寒い夜に
「う〜……今日は寒いなあ」
勇者が呟くとおり、その日の夜は空気が冷たかった。風はないものの、季節の変わり目のせいなのか気温はぐっと低い。
「あ〜、今日が見張り当番でなくてよかったわ〜」
マーニャは毛皮のコートの前をぐっときつく合わせながら、夕食を終えるとすぐに馬車に入ってしまった。
「今日の見張りは誰だっけ……?」
「あたし!」
元気良く手を挙げたのはアリーナ。
「あたしとトルネコさんよ」
クリフトはそれを聞くと慌てて言った。
「こんな寒い夜に姫様を見張りになどとんでもない!私が代わりに見張りをします」
「ええ?いいわよ。特別扱いしないで。それに、寒い夜は星がよく見えるっていうじゃない」
「しかし……」
「トルネコさんが一緒ならなんだかあったかい気がするし」
「アリーナさん、それは私がまんまるに太っているからですか……へくしっ!」
トルネコはくしゃみをすると、鼻をすすった。
「あら?トルネコさん、お顔が少し赤いようですわ」
ミネアは失礼、とトルネコの額に手を当てると、慌ててそばにあった毛布を彼に掛けた。
「少し熱があるみたいです。今日は馬車でお休みにならなきゃだめです」
「いや、でも見張りが」
「見張りなんて言っている場合ではなかろう。早く治さねば」
ライアンもブライもそう言ってトルネコを馬車に連れて行った。
「トルネコさんの代わりに、私が見張りに」
クリフトの申し出は、あっさり承認された。
「そうだな。今日はクリフト戦闘でよくがんばったしな」
「ええ、たまにはクリフトさんにもご褒美が必要ですね」
「ちょ、ちょっとそれはどういう意味ですかっ。私はトルネコさんが風邪を……」
「わかったわかった。だから今晩の見張りは頼んだぞ?」
「え、ええ……」
クリフトがどうにも納得のいかないまま頷くと、勇者はぽんと彼の肩に手を置いて。
「でも、一応見張りだからな。ちゃんと周りの様子も見るんだぞ」
「他にどこを見てるって言うんですか!」
「そりゃあ、あれだよなあ」
「ええ、そうですね」
勇者とミネアはやれやれという顔をして馬車へ行ってしまった。
「だからなんなんですか!」
クリフトの叫びは無視され。
「ねえ、クリフトも座れば?」
その声に振り向くと、すでにアリーナはたき火の側に座って毛布をかぶっていた。クリフトはその言葉に従ってアリーナとたき火をはさんで向かい側に腰を下ろす。
「トルネコさん、大丈夫かなあ」
「そうですね、近くに町があれば宿屋でゆっくり静養できるんですが。まあ、ミネアさんが熱冷ましの薬草を持っていましたし、まだひきはじめですからしっかり暖かくしていれば大丈夫でしょう」
そうしてふたりは今日の移動の際のことや、戦闘のことについてしばらく話していた。辺りはすっかり闇に染まり、馬車の方からも物音ひとつ聞こえない。恐らくもうみんな寝てしまったのだろう。
「静かねえ……」
「そうですね。寒い夜は特に――耳が痛いほどに静けさを感じます」
「綺麗だわ」
アリーナは星空を仰いで呟いた。今にも降ってきそうな星空。クリフトはなんだか世界に二人だけのような錯覚に陥りそうだった。
「――くしゅんっ!」
アリーナがくしゃみをして、クリフトは心配そうに立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「少し、寒いみたい。そうだ、クリフト、隣においでよ」
「え、ええっ?いえ、それは……」
「だって並んで座ってたほうがあったかいじゃない?」
「それはそうですが――」
「早く」
クリフトは軽く溜息を零すとアリーナの隣に少し距離を置いて腰を下ろした。アリーナはよいしょ、と体をずらしてその距離を無かったことにする。
「姫様、そんなに近づいては――」
ふわり。クリフトの体を何かが包んだ。それは毛布であり、アリーナの体を今も包んでいる。ということは。
ふたりでひとつの毛布にくるまれているということ。
慌てて毛布から出ようとしたら、アリーナが眉をつり上げた。
「だめ!クリフトも風邪をひいちゃうでしょう。今日はトルネコさんに毛布を多めに掛けてるから、見張りの分はこれひとつしかないもん」
「でも、今は冬って訳でもありませんし、たき火がありますから大丈夫ですよ。だからみなさんもここに毛布を1枚しか置かなかったのでしょうし――」
言いかけてクリフトは気づいた。いくらなんでも外の見張りに毛布を与えないなんてことはない。とすると……わざとだ。わざと大きめの毛布を1枚しか渡さなかったに違いない。全くどうしてみんな――というか主に勇者とマーニャ・ミネアだが――余計な気を回すんだろう。そしてクリフトはもうひとつ気がついた。姫が自分をこっちに呼び寄せたのは、むしろ自分の寒さを気遣ってのことだと。
「ほらね、ふたりでこうしていると暖かいでしょう?」
にっこり微笑む姫。顔が赤くなったのはたき火にあたっているせいではないだろう。クリフトは一瞬その笑顔に目を奪われ、そして無理矢理視線を引きはがした。できるだけ体が触れないように気をつける。
「お母様の星はどれかしら?」
「え?」
「お母様が亡くなった時にね、誰かが言ったのよ。亡くなった人はお星様になって空からいつも見ていますって」
「そうですか……」
「なぐさめだってわかってるけど……時々ね、あんなに綺麗に輝いてるならそれもいいなって思うんだ」
「姫様……」
「でも……でもさ……」
俯いた姫の肩はほんの僅かに震えていた。
「お父様の星はまだないよね。星になんかなっていないよね」
「……」
泣き出しそうな顔は、痛々しい笑顔に隠されて。クリフトは抱きしめたくなる衝動を抑えて、必死に笑顔の仮面をかぶる姫に力強く断言した。
「当たり前です!きっとどこかで、現実の世界で、あなたの身を案じていらっしゃいます」
「そうだよね。……ありがとう」
アリーナはそう言うと両手を火にかざした。白いその手はひどく小さく、頼りなさげに見えた。思わずクリフトはその手に自分の手を伸ばした。
「こんなに冷えて……」
そしてそのままその手を引き寄せ、自分の両手で包む。
「……クリフトの手はあったかいね」
守ってみせる。この小さな手を。必ず元のサントハイムに導いてみせる。そう誓うと、クリフトは黙って微笑んだ。
そうしていつの間にかアリーナは、安心したように眠ってしまった。クリフトは手を離そうかどうか少しためらって、まだ彼女の手が少し冷たいのを言い訳にそのままにした。
空のずっと上の方で、星が瞬いていた。
――朝――。
馬車から起き出して顔を洗ったり伸びをする面々。今朝は良く晴れて昨夜の寒さが嘘のように暖かかった。
「そうですか、トルネコさんもお加減がよろしいのですね」
「ええ、おかげさまでぐっすり寝たら元気になりました。クリフトさん、見張りを代わっていただいたそうで、ありがとうございます」
「アリーナ、寒くなかった?」
マーニャの問いかけに、姫君は明るく答えた。
「うん。クリフトがあっためてくれたからね」
一瞬固まる雰囲気。そして、クリフトに向けられる好奇と疑惑と驚きの目。
「って、クリフト――」
「違います!妙なことを想像しないでください!」
「いや〜やっぱり毛布1枚っていう作戦が効いたなあ」
「だから違いますって――……っ!やっぱりわざとだったんですね!?」
「あ、いや、あ、あはははは」
「寒い夜になんて意地の悪いことをするんですかあなたは!」
「さーて、朝ご飯の用意しなくちゃなーっ」
「……まあ、あやつに大それたことができるわけもないしのう」
「ああ、夕べはあまり食べてないからおなかが減った。朝食はなんですかねえ」
「……じっくり聞くとしたら朝より夜ね、やっぱり」
憤るクリフトはまたしても無視され、それぞれ朝食の準備に散っていった。
「朝食ができるまで馬車で少し休むといい」
ライアンがそう声をかけてくれた。見張り当番は朝食準備を免除され、馬車で休むのがいつもの自然なルール。
「行こう、クリフト」
「……ええ」
先を歩くアリーナは、ふと立ち止まって、振り向いた。
「あのね」
「はい?」
「昨日はありがとう」
それは励ましのことを指しているのか、温めた手のことを指すのか、アリーナをそのまま寝かせて一人で見張りをしたことを指すのか。
どちらにしても。
彼の心を温かくするのは、いつも彼女の笑顔。
なんと!オレンジペコさんがわたしの誕生日祝いに,SSを書いてくださいました。
しかも,「甘々」「日常」「暖をとる」をテーマに。
甘いし,日常だし,しかも暖をとる方法がまた。
読みながら顔がにやけるのを止められませんでした。
そんな中にもほろりとさせられるシーンがさりげなく混ぜ込まれている辺り,さすがです。
ペコさん,ありがとうございました!
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