ホワイトチョコが溶ける理由(わけ): side クリフト


朝から随分と,暖かい日だった。
歩いているだけでわずかに汗ばむほどの陽気。
この時期特有の強い南風に思わず足を止めて,帽子を押さえた。海のにおいを含んだその風は,私の髪を弄んでから山のほうへ去っていく。
首を一振りして髪を元に戻し,手にした袋を抱え直して,再び歩き出した。
城まで,あと少し。




自室に戻って袋をテーブルにおいてから,ふうっと息をついた。
さて,どうしよう。
材料は,サランで調達できた。後はこれを加工するだけ,なのだが・・・。
できればこの部屋で済ませてしまいたい。外に出たら絶対,確実に姫様に見つかるだろう。わざわざこっそり材料を買いにいったのが水の泡になってしまう。
でも。

「オーブンが,いるなぁ・・・・・・」

思わず呟いたその声は,自分でも情けないほど頼りなく聞こえた。
そう,お湯を沸かしたり簡単な調理をするくらいなら,部屋の脇におまけのように付いている小さな炊事場でも何とかなる。しかしオーブンとなると,話は違う。どうあがいても城の調理場を借りるしか。

時間はまだ,昼をまわったところ。
・・・・・・・・・うん。まだ,いけるだろう。
私は覚悟を決め,再び材料を持って部屋を出た。





「すみません,お昼の慌しいときにお邪魔してしまって」
「いえいえ気になさらずに。後は賄い食を作るだけですので,どうぞご自由に使ってください。ここには料理人以外はそうそう来ることはありませんのでご安心を」

フライパンを片手で返しながら笑うシェフに頭を下げる。どうやら私の目的はすっかりばれているようで,少し照れくさい。

調理場のすみに,使う調理器具をそろえた。神官服の上から自前のエプロンをして,腕まくりをして。こうすると俄然,気合が入る。


砂糖と植物油の分量を測って。
ホワイトチョコを刻んでから,温めた植物油に溶かし込んだ。
小麦粉とほんの一つまみの塩を合わせて2回ふるいにかける。
これで事前準備はおしまい。ここからが楽しい。

卵を卵黄と卵白に分けてボウルにいれる。
まず卵黄を泡立て器で砂糖とすり合わせて滑らかにしてから,先ほど作ったチョコレート油を加える。そのあと少量の水も。さらに小麦粉。
完成予想図を頭に描きながら次々に材料を混ぜ込んでいくこの時間が,たまらなく好きだ。焼いているときの甘い香りと同じくらいに。


「相変わらず見事な手際ですねぇ」

横からかけられたシェフの声に思わず苦笑いした。小麦粉をまぜながら返事をする。

「いえ・・・本業の方から比べるとまだまだ」
「それ以上お上手にならないで下さい。神官様が今以上に腕を上げられたら,この城のパティシエを全員首にしなければいけなくなる」
「えっ」
「特にアリーナ姫様は,他の者が作った焼き菓子を食べなくなりそうですので」
「ぃやっその」
「あぁそうそう,卵白の泡立ては加減が大事ですからね。完成を楽しみにしてますよ。それでは」
「あ・・・・・・」

大皿に盛りつけられた・・・というより,なんとかはみ出さない様に無理矢理のせられた大量のトマトベースのパスタを手にして,シェフは休憩室へと去っていった。
見習いのコックやお手伝いの女性たちも「失礼します」と,わらわらとシェフについて行く。


――気がつけば,調理場には私一人。


「・・・・・・・・・・・・。泡立てよ」

新しい泡立て器を手にとって,卵白の入ったボウルを氷水にあててガガガっとかき混ぜ出した。




3回目の砂糖を加える頃には,卵白は真っ白な生クリームのように姿を変えていた。
ここからがいつも微妙。シェフの言う通り,泡立てすぎてもいけない。
手に伝わる泡立て器の抵抗と,卵白のつやで出来上がりのタイミングを判断するしかない。
でもなんだかそれには,心地よい緊張感があって。

徐々に重くなる泡立て器,真珠のようなつやを見せてきた卵白。さあ,あと少し。
脳裏に浮かぶのは,あの方の笑顔。

「なにそれ?」
「わっ!!!」

ボウルをひっくり返しそうになった。
突然・・・本当に唐突にその場にいらっしゃった姫様。


「なに作るの?それなあに??」
「今日は午後から歴史の授業では・・・」
「え?うん。でもまだ少しだけ時間があったから,シェフにおやつでもおねだりしようと思って」

こっそり厨房にきちゃった。そしたらクリフトがいたの。そう言ってぺろりと舌を出して笑う。

「だからといって気配を消して近づかれなくてもいいのに」
「驚かせたかったの!」
「あぁ・・・もう」
「あれクリフト怒ってる?」
「いいえ」
「怒ってるでしょ」
「別にそんな」
「それとも動揺してる?」


水に浮いた氷に,ぴしりとひびが入る音。


「あっなんだろこの紙袋」
「!駄目です」「どれどれ」「駄目ですってば!!」

開けられた。ああぁ・・・。

「・・・リボン?」
「はい・・・リボンですね・・・」
「なんに使うの??」
「なんでしょうね・・・」
「クリフト髪結ぶことにしたの?」
「そんなに長くありませんよ・・・」
「今作ってるその生地に混ぜるの?」
「混ぜてどうするんですか!」
「じゃあ・・・誰かにプレゼントするための,ラッピング??」


どき。



「ひどいよぅクリフト!」
「は???」

予想外の台詞が飛んできた。何故?

「わたしのおやつ作ってくれてるのかと思って期待したのに!!」
「ぃや,え?」
「他の人にあげちゃうのね」
「ち,違いますよ」


そうか。姫様は,『お返し』の風習をご存知ないんだ。
だからこの状況でも,気が付かれないのか。いやむしろ激しい勘違いをしてらっしゃる。
それはそれで困った・・・。


「いいもんいいもん,どうせお腹なんてすいてないもん,お昼食べたばっかりだもん」
「姫様」
「いいってば!」
「聞いてください」

そっぽを向く姫様の顔を両手で挟んでこちらを向かせた。ぶうぅっと頬が膨れている。

「今日の授業は,いつ頃終わりますか?」
「・・・・・・夕方だけど」
「では,私はこれを作り終えたら,急いで仕事を片付けますので」
「?」
「その後・・・そうですね,夕食の後,お会いできませんか?」
「ほんと!」

一瞬で引っ込んだ頬に思わず笑った。

「ええ」
「うん!会いに行く!急いで行くから!!」
「その時に,このリボンの秘密もお話しますね」
「んー。・・・気になるけど,じゃあそれまでは内緒のままでいいわ」
「ありがとうございます」
「それじゃあまたね!」

ご機嫌が戻った姫様は,手をぶんぶん振りながら調理室のドアを閉めた。


「・・・・・・はぁ」

ため息が漏れる。
よかった,姫様が今日が何の日かご存じなくて。
・・・本当によかった,調理室に誰もいなくて。


先ほど,もう少し,というところまで泡立てた卵白は,かなり緩んでしまっていた。






黄昏時はあっという間に過ぎて,気がついたらもうすっかり暗くなっていた。
書き上げた書類をトントンとそろえて,机の左上に置く。なんとか間に合った。
文字の書き過ぎか右肩が少し痛い。ぐりぐりと回す。

いつもの神官服から,楽な部屋着に着替えた。
テーブルにティーカップを並べて,すぐにお茶が淹れれるようにして。
そして昼間焼いたお菓子・・・ホワイトチョコレートのシフォンケーキを大き目の箱に入れて,リボンをかける。
最後に,サランから帰る途中に摘んだ,白い小さな花をそっと添えた。

さぁ,これでいつ姫様がいらしても大丈夫。






・・・部屋の扉は,なかなか叩かれなかった。
夜はどんどん更けていく。
ソファーに座って本を読んでみたり,ケーキの箱のリボンを結び直したり,お茶の葉を数種類ブレンドしてしてみたりしたが,なんだか落ち着かない。
もしかして,今日はもう,いらっしゃらないのかも,しれない・・・。

ちょっと待て。
・・・・・・私は,どうしてこんなに動揺しているんだ?
別にお菓子は普段から焼いて差し上げているし,部屋にも時々遊びにいらっしゃるのに。
情けない。これではすっかり,ホワイトデーに踊らされているただの男。
少し切なくなってきた,そんな時だった。


コンコン


「はい!」
「クリフト?」

その声がどんなに聞きたかったか。踊らされるのもやはり悪くないかもしれない。

「どうぞ,開いてますので」

ケーキの箱を後ろ手に隠す。急に緊張してきた。
勢いよく開いた扉の向こうには,私と同じように部屋着の姫様。

「ごめんね,遅くなっちゃって」
「いえ,大丈夫です。ありがとうございます姫様」

パタンと。扉がしまった。

「リボンの秘密を聞きにきたわよ」
「ええ。・・・秘密は,こちらに」

箱を前に差し出して。

「姫様。先日はありがとうございました。お返しに・・・受け取っていただけますか?私の気持ちを」





バレンタインに続き,TEA BREAKのオレンジペコ様とのホワイトデー特別企画です。
今回はクリフト視点が前半に。事前に内容について打ち合わせを重ねたので,
前半からクリアリが絡んでます。またもやお約束を素で行ってます。
お菓子作りにこだわるクリフト,書いていて楽しいのなんの。シフォンの作り方は,
わたし自身ががシフォン焼くときのレシピを採用してみました。
この後は,ペコさんの「side:アリーナ」へと続きます。
甘いの。ものすごく。それはもう。そして少し,どきどき。ペコさんありがとうございます。
にやける覚悟をしてからお読みくださいませ。

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