あなたを守る方法

人が,いない。

いつもは,にぎやかな,城。

なのに,今は。








光のない瞳で。
アリーナはずっと,サントハイム城を見つめていた。
サランの街,クリフトの実家であるルラーフ家の屋敷。ここの,洗濯物を干すためのバルコニーからは,城がよく見えた。
月明かりに浮かぶその姿は,慣れ親しんだいつものもの。
だが,その中にはもう,人の姿はないのだ。

「お父様。わたし武術大会,優勝したのよ」
アリーナのつぶやきは,空へと消えてゆく。

「もうすぐ16歳になるのよ。お父様の楽しみにしていた,成人の儀式。わたしの誕生日に行うんだって張り切ってたじゃない」
手が白くなるくらい,握り締めたこぶし。

「間に合わなく,なっちゃうよ?お父様・・・」



火急の知らせを受け,エンドールからサントハイムに戻ったアリーナが見たものは,
もぬけの殻のサントハイム城だった。
誰もいない城。恐ろしいくらいに反響する自分の声。主を失った王座。
すべてがまだ,信じられなかった。
今日はひとまずサランへまいりましょう。クリフトがそう言ってくれなかったら,あのまま呆然とその場にへたたりこんでいたかもしれない。
自分の基盤となるものすべてを失った,その衝撃に耐え切れずに。



「風が冷たいですよ?」
「・・・みつかっちゃったか」

不意に右後ろから聞こえた声。振り向かなくてもすぐに誰だかわかる。
だからアリーナは,そのまま視線を城からはずさなかった。
肩にふわりとケープが掛けられる。暖かい。

「母からのプレゼントです。よろしかったら,そのままお持ちになってください」
「ありがとう。あったかいね。明日フィアナさんにお礼いわなきゃ」
「いえ・・・」

会話が途切れる。
触れそうなほど近くに感じる,クリフトの気配。
すぐ後ろに立っているのだろう。鋭敏なアリーナの感覚には,かすかな体温まで伝わってくる。
冷たい風から守ってくれているのだ。そう気が付いた途端,張り詰めていた糸が,切れた。

「城のみんな,どうしちゃったんだろうね」
転落防止の柵に体重を預ける。

「まだ,これは夢なんじゃないかって」

積もり積もった不安が,つい,口から飛び出した。
クリフトが聞いてくれる。そう思うだけで。
・・・こんなにも,自分は押さえが利かなくなる。

「明日。目を覚まして城に向かったら,衛兵が敬礼で迎えてくれて。
台所ではシェフのみんなが暖かいスープを作っていて。
教会にはもちろん,あなたがいるのよ。また本をいっぱい抱えてね。
お話ししてたらブライに見つかって,早く勉強の準備を,って叱られるの。
ぶうぶう言いながら部屋に戻って教科書開いてたら,お父様が様子を見にいらして,わたしを褒めてくれるの」

夢中でしゃべる。しゃべっているうちに,やはり,認めたくない現実を,知る。

「でも,わたしが今言ったことのほうが,夢,なのよね」

ようやく,アリーナはサントハイム城から目を外した。
クリフトのほうに向き直り,その顔を見上げた。
―――幼馴染の少年の目に浮かぶ,光の粒。

「クリフト・・・?」

彼は泣いていた。
声を立てることもなく,ただ静かに。
目から零れ落ちた涙が,きれいな頬の線を通って落ちてゆく。
その瞳は,まっすぐにアリーナを見つめたままだ。

「すみません,姫様。久しぶりに,昔の悪い癖が出たようです」
止まらない涙はそのままに,信じられないほど優しい笑みを見せた。

「そうね,そうだったわね・・・」
アリーナもようやく,表情をやわらげた。

悲しいけど,絶対泣きたくない。
子供の頃,アリーナがそう思うたびに,クリフトは泣いた。

クリフトはもともと,感受性が強すぎる子だった。
周囲にいる人たちの感情をそのまま吸うかのように,自分の感情を同化させてしまう。
今はもう,いつも穏やかな彼。だがアリーナは知っている。
本当はまだ,激しい一面を残しているのだ。
クリフトはそれを上手に隠しているだけなのだ,と。

「姫様。あなたが・・・泣きたくないのなら」
風が,涙をさらっていく。

「私が・・・あなたの代わりに,泣きましょう」

なんという,言葉。

「『私も泣きません』とか,『この胸で泣いてください』とか,『一緒に泣きましょう』とは,言わないの?」
「ええ。それがあなたの求めている答えではないと,分かっていますから」

守られている。そう感じた。
剣や,盾や,魔法だけではなく。
その身すべてで,クリフトはわたしを守ってくれる。
わたしに降りかかるすべての災厄から。
――あなたの代わりに泣きましょう。
なんという,強い,言葉。

わけの分からない感情がアリーナの中に渦巻いた。
・・・いや,分からないふりをしていただけなのかもしれない。
本当はもう,ずっと前から気がついていたのだ。
伝えるのが,怖かっただけ。

でも,いざとなると,どうやって伝えればよいのだろう。クリフトみたいに,上手な,間接的な言葉を知らない。
もどかしい。
勝手に,身体が動いた。

「ひめ・・・さま?」
「ありがとう」

クリフトを抱きしめて,上着の胸元に顔を寄せたまま,アリーナはささやいた。
自分のほうがずっと小さいから,抱きついているようにしか見えないだろうけど。
あくまで,「抱きしめている」。
気持ちなんて,これですべて伝わる。
おずおずと,ケープの上から自分の背中に回された手。
クリフトの気持ちだって,全部伝わってくる。

自分からは意地でも言わない。言葉にはしない。
だって,なんだか恥ずかしいもの。
彼の本当の激しさを,暴いて。
そして,最初はクリフトから言ってもらうの。
ものすごく熱い瞳で。熱い声で。いつか,きっと。
ほら。今もどんどん手に力が入ってきてるじゃない?



風は,あいからわず冷たい。
でも,この腕さえあれば,もっと冷たくても,もっとつらくても,進んでいける。アリーナはそう思った。

月の光を受けた一つのシルエットは,白亜のサントハイム城よりもさらに,輝いていた。





小さな後書き

アリーナが自分の思いに気が付く瞬間が書きたかったんです。
大切な人を守る方法って,きっといくつもあるんだと思います。

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