これだけは譲れない

夕食の片付けも,皆で手分けすれば早く終わる。
川辺で食器を洗う者,残った野菜を麻袋にしまう者,焚き火の勢いを少し弱くなるように調節する者。
そして,少なくなった食材や道具をチェックし,明日到着するモンバーバラで購入する物のリストを作成する者。

「・・・しまった」

さらさらと,こぎれいな字でメモを書いていたクリフトはその手を止め,顔をしかめた。
それに気がついたアリーナがひょこひょこと傍にやってきて,右腕にしがみつく。

「どうしたの?」
「いえ,塩が切れてしまったようなんです」
「お塩?」
「ええ。確かもう一袋あったと思っていたんですが,どうやら私が勘違いしていたみたいで」
「いいじゃん,明日の昼にはモンバーバラに着くんだし」

飛んできたノイエの声に,クリフトは振り返った。

「道具屋でも食材屋でも買えるだろ?」
「でも,サントハイム産の塩でないと」
「なんで?塩なんてどれも同じじゃ」「駄目なんです!」

間髪いれず否定の声。

「駄目なんです!これだけは・・・絶対にほかのでは駄目なんです!!
サントハイムの塩は,サランの西の海岸で作られているんですが,海水を煮詰めて,さらに天日で干して作ったものなんです。
海水から作った塩には,岩塩とはまた違う旨みがあってですね,さらに塩辛さの度合いにも微妙に違いがあって。
私が作っているのは主にサントハイムの郷土料理なので,違う塩だと全然別の仕上がりに・・・」
「ああーわかったわかった」

熱く語るクリフトなんて珍しいもん見れたな。ちょっと得をした気分で,ノイエはひらひらと手を振った。

「お前の塩に対する情熱はよくわかった。っていうか料理に対する情熱。
まぁ,あるんじゃないか?塩。ほら,モンバーバラってけっこうでかい街だっていうし」
「うん,マーニャが言ってたわよ。大きな劇場があるって」
「劇場の周りには,さまざまな国の郷土料理を食べさせてくれるレストランが数多くあります」

洗った食器を籠にしまい終わったミネアが,こちらの手伝いにやってきた。

「きっと売っている店,ありますよ。サントハイム産のお塩」
「よかったねークリフト!」
「これでまた明日からもうまいメシにありつけるぜ!」

わいわい喜ぶ二人を見てクリフトは,はははと笑いながら右眉を下げた。





翌日,昼前にモンバーバラに到着した一行は,宿に荷物を預けた後,しばしの自由行動となった。
今,この街で大人気の喜劇王パノン。彼が大劇場の控え室にやってくるのは,夕方のこと。
彼と話をするにはその時間を狙うしかない。
それまで各自,自由行動!とノイエが言ってくれたので,クリフトは早速食材屋を探しに行くことにした。
一緒に行ってもいい?とアリーナが上目使いでのぞき込んできたので,めいっぱいの笑顔で手を差し出した。



「やっぱり・・・?」
「すまないねぇ神官の兄ちゃん。以前はうちの店にも置いてあったんだが。
やっぱり貿易船が来れなくなっていた影響でね。まだ品薄なんだよ」
「そうですか・・・」

もう何件回っただろう。帰ってくる返事はすべて同じ。

――まだ入荷していない――

つい先日まで,ハバリアの港は封鎖状態にあった。貿易は再開されたものの,以前からくらべると船の数はまだまだ少ない。
海上に出没するモンスターも多いため,貿易商たちは長距離の移動となるハバリアへの航海をなるべく避けるようにしているのだ。
そのため,どうしても必要な物資から優先して船に載せられる。
この大陸でも良質の岩塩が取れるため,サントハイム産の塩は果てしなく後回しにされているらしい。

・・・だんだんと,陽が傾いてきた。もう,見つからないかもしれない。口にこそ出さないものの,クリフトは不安でいっぱいだった。



住宅街の中にある小さな公園のベンチに腰掛け,露店で買ったサンドイッチを取り出し,隣に座ったアリーナに手渡す。
まだ小さな子が数人,ブランコで遊んでいた。傍で見守るのは優しげな老女。
夜通し踊り続ける母に代わって子供たちの面倒を見てくれる,みんなの”おばあさん”。
夜とは違う,モンバーバラのもう一つの風景に,クリフトはなんだかほっとする。

肩から伝わるアリーナの体温が心地よい。
顔にかかる髪をかき上げてから大きく口を開けて,おいしそうに頬張るその姿を見ていると,不意にその髪に触りたい衝動に襲われ,あわてて自分もサンドイッチを口にした。
視線に気がついたのか,アリーナが顔を上げてこちらを見上げる。

「おいしいね!」
「そうですね」
「天気もいいし,なんだか気持ちいいな」
「ええ」
「でもお塩,なかなか売ってないね・・・」
「すみません,姫様」
「?」
「私のわがままでこんなことになってしまって。歩きつかれたでしょう?」
「ううん,全然。日頃の鍛え方が違うもの」

アリーナは両手でガッツポーズを取る。

「もうちょっと探してみましょっ。きっとどこかにあると思うの。
それに,クリフトがここまで意地になるのって,わたし初めて見たかもしれない。
だからなんだか,ちょっと,うれしいな」

えへへ,と笑う顔を見,今度こそ我慢できずに手を伸ばしてしまうクリフト。

「どうしたの?髪に何かついてる?」
「いいえ」
「じゃあ,毛先がからまってる??」
「いいえ」
「じゃあ・・・そのまましばらく,さわっていて・・・くれる?」

どくん。
心臓が跳ね上がった。
髪に触れた手が震える。



「あーっ見たぞ見たぞー!なにイチャついてんだよ!!」

すばらしく絶妙なタイミングで飛ばされた野次。
クリフトは思わず頭を抱えそうになった。アリーナは頬を膨らませる。

「ノイエ・・・」
「なにようノイエ,もうちょっと待っててくれたっていいじゃない」
「待たねえ。というか待ってやる義理がないし」

人がせっかく,塩,見つけてやったのに。

「・・・・・・今なんて言いました?」
「だーかーら。見つけたんだよ,サントハイムの塩」
「うそ!すごーいノイエ!わたしたちいっぱい食材屋回ったけど見つけられなかったのよ!」
「だろー?どうよ?さあ,めいっぱい感謝しろクリフト」
「ありがとうノイエ!!!」
「うわわっちょっと待った何も抱きつかなくても!?感謝しろとは言ったけど言葉だけでじゅうぶ・・・ああアリーナ??わわわそんな目で見んな,誰もお前からクリフトを取ったりしないって,なにやきもち焼いて・・・ああっもう!!!」

静かだった公園は途端ににぎやかになった。





「ここだ」
「うわぁほんとだ,サントハイムの紋章」

門の上に描かれたマークをみて,アリーナがうれしそうな声を上げた。
クリフトも懐かしそうな顔で見上げている。

「サントハイムの郷土料理を出すレストランなら,きっと塩,あるんじゃないかって。そう思って。
ためしに聞いてみたら,まだ残ってるっていうからさ」

せっかくだし,お前たちと一緒にもらいに行こうと思って。得意げに話すノイエ。

「ノイエかしこい!」
「おわっっ」
「・・・だから何故そこで姫様がノイエに抱きつくんですか」
「く・・・クリフト落ち着け!俺は何もしてない,悪くないっ」
「仕返しだもーん」
「お前らいい加減にしろ!!!」

普段は,俺とアリーナがクリフトを困らせるって構図なのに。いったい何なんだ。
身に降りかかった災難をノイエは嘆いた。





「ええ。たしかにございますよ」

シェフはそういって,大きな戸棚から紙袋を取り出した。
そっと封を開け,さらに湿気避けに二重に包まれていた蝋紙を開く。
白い,しっとりとした塩が姿を現した。

「ああ!確かにサントハイムの塩です」
「ええもちろん。これがないとうちの営業はできませんからね。知り合いの貿易商に無理を言って,サランから仕入れてもらっているのですよ。別の塩では,味が変わってしまいますからね」
「すげえ。クリフトと同じ言葉だよ」
「はい。本当にこれじゃないと駄目なんです」
「すごいねークリフト!」

再びきれいに包みなおしてから,シェフはクリフトに,塩を手渡した。

「どうぞ,お持ちになってください」
「本当にありがとうございます!お代は・・・」
「いえいえ,結構ですよ」
「しかしそういう訳には」
「いいえ」

シェフは首を振る。

「わたしも,サントハイムの出身でしてね。この塩でないといけない,という気持ちが,よくわかるんですよ。
同じ故郷を持つ者同士ではありませんか。遠慮なんていりません。この塩でまた,おいしい料理を作っていただけるんなら。わたしはそれで十分,幸せですよ。
今,サントハイムは大変なことになっていますが。こうして,故郷の塩を求めて,同郷のかたが訪ねてきてくれた。
それがどんなに嬉しいことか。ねぇ?
サントハイムの王女様も,あなたたちと同じように旅の途中だそうです。
王女様ががんばってるんだ,わたしたちもお互い助け合って,がんばっていこうじゃないですか」

「・・・ありがとう・・・ございます」
「ありがとう。ほんとにありがとう」

クリフトもアリーナも。その言葉しか出てこなかった。
サントハイムに生まれてよかった。
アリーナは,王族として生まれたことを誇りに思った。クリフトは,神に仕える道を目指したこと,そして貴族として生まれたことを誇りに思った。
同郷者は世界中にいる。そして信じている。故郷に再び平和が訪れる日を。
自分たちの活躍が,サントハイム出身の人たちを,こんなにも勇気付けているのだ。

みんながもっと誇れるような国にしていこう。
誰もが日々の幸せを実感できるような国にしていこう。
改めて,二人は心に誓った。
王女であること。
貴族の血を引いていること。
それがほんの少し,疎ましく感じたこともあったけれども。
今は誇りに思った。

「よかったな」
ノイエにばしばしと肩を叩かれて。

「一緒に・・・がんばろうね」
少し涙目のアリーナに見つめられて。

私は,なんて幸せ者なんだろう。
込み上げてくるあたたかい気持ちを,クリフトはかみ締めていた。





小さな後書き

塩が極上だとそれだけでかなり味に差が出ます。
料理好きなクリフトのこだわりでした。
そして故郷への思いを再確認した二人です。

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