眠れない夜には

「っくしょい!」
「ほらほら,ちゃんと毛布をかぶっておかないと」
「あちーんだよ・・・」
「駄目です。せっかく熱が下がってきたところなんですから」

不満げなノイエにそう念を押してから,クリフトはそっと部屋から出て行った。



まだそれほど遅い時間ではないのだが,スタンシアラはもうすっかり闇に包まれていた。
家々から漏れる明かりが大運河の水面をたゆたう。
行きかうゴンドラは,愛する家族が待つ家へと帰る人々で賑わっていた。
かすかなざわめき,やさしい水音,潮のにおい。
地上の煌きに負けないほどの,満天の星。
宿の一室から見える景色はそれはもう美しく,幻想的だったのだが,残念ながら病人にはあまり注目してもらえなかった。
ノイエはただぼんやりと,部屋の天井にゆらゆらと映りこむ水紋を見ていた。




昨日の昼前のことだった。スタンシアラに到着した一行は,今まで訪れてきた数々の街との,そのあまりの違いに驚愕した。
ゴンドラと筏という,なんともめずらしい移動手段を心の底から喜んだのは,いつも元気な二人。

「すっげー!ほらアリーナ見てみろ,あっちにもまた水路がある!!」
「ほんとね,あっ,綺麗なお城〜!」
「どこだどこだ??」
「違うよノイエ,あっち。お城の中にまで水路が延びてるわ」
「まじ!?」
「!!危な・・・」


クリフトの声のすぐ後に,激しい水音が,一つ。




――はしゃぎすぎた。反省している。
確かに,あんなに小さな筏の端っこで立ち上がったら,傾かないほうがおかしい。
ああ,それは確かに俺が悪かったよ。風邪の一つや二つはまあ天罰だと思うことにする。
でもなんで落ちたのが俺だけなんだ??アリーナだってすぐそばにいたじゃん。
まさかあいつ・・・

「ノイエ,失礼しますね」

こんなときでも,律儀に声をかけてからドアを開けてくる,クリフト。
その手には湯気の立つお湯が入った桶と,タオルを持っていた。

「熱が下がるときに汗をかいたでしょう?そのままにしておくとまた,身体が冷えますから。
一度拭いてから着替えましょうね」

桶をサイドテーブルに置いてから,タオルを湯に浸す。

「ほかのみんなは?」
「夕食に。ノイエの分は後で持ってきますから,安心してください」

ぎゅっと絞られるタオルを見ながら,ノイエはふーんと気のない返事をした。

「上半身に着ているもの,全部脱いでください」
「えー。俺,なんかクリフトの言いなり?」
「病人は医者の言う事を聞かないといけませんよ,ノイエ」

クリフトは絞ったタオルを伸ばしながら,ちょっとだけ困った笑顔で,ノイエを軽く諌めた。

「・・・ちぇ。わかったよせんせい」

ベッドから半身を起こして,服を脱ぐ。

「はい,背中から拭きますよ」
「・・・・・・っひょ〜,きもちいいー!あったかいなぁ」
「でしょう?こうして汗をぬぐうことは,とても効果的なんです。
 筋肉や関節の痛みも取れやすくなるし,身体も清潔になるし。
 ・・・あ,でもあまりに高い熱が出ているときは,話は別ですよ。
 かえって身体に負担がかかって,逆効果になる場合もありますからね」

クリフトはノイエに話しかけながら,ゆっくりと身体を拭いていく。

「これで,暖かいものを食べてぐっすり眠れば,明日にはもう,熱は完全に引いていると思います」
「ああ,明日こそスタンシアラ王に会いにいかないと・・・」

眉を寄せるノイエに,クリフトはふふっと笑った。

「そう気にしないでください。長い船旅だったので,他のみなさんも休憩を必要としていたんです。
 あなたが風邪をひいたせいで,日程が遅れた。そんな風に考えている人は,あなた自身だけですよ」
「・・・・・・お見通しなんだな」
「ええ。顔に書いてあります」
「なんだよそれ」
「はい,おしまい」

クリフトはタオルを桶に戻すと,ノイエの荷物から着替えを取り出した。

「さあ,また冷えないうちに服を着てくださいね」
「・・・へーい」





トルネコが持ってきてくれた卵粥をふうふうしながら食べ,無理矢理薬湯を飲まされた後,
ノイエは再びベッドに横にさせられた。


「なんかもういっぱい寝すぎて,眠くないんだよ」
「眠くなくても,せめてこのまま横にだけはなっていてください」
「嫌」
「こら。もう,わがままですね」
「ふーんだ,お兄さんぶりやがって。お前と俺の誕生日,3日しか離れてないじゃん。同い年,同い年」

これではまるで反抗期の少年だ。自分でも分かっていたが,ノイエはとめられなかった。くるんとそっぽを向く。

「どうせ,アリーナだけ助けたんだろ」
「え?」
「おかしいじゃん,だって俺とアリーナ,ほとんど同じ場所にいたんだぜ。
 なんであいつは落ちずに,俺だけボチャンなんだよ。クリフトがアリーナをかばったんだろ!
 きっとそう・・・」
「ノイエ」


その一声で,ノイエは押し黙ってしまった。
綺麗な声で,そしてあまりに正確な発音で名を呼ばれると,誰もが一瞬,声の主に思考を支配される。

「姫様はご自分でとっさに回避されたんですよ。
  見ていなかったんですか?隣を通っていた筏に飛び移られたのを。
私はちゃんと,あなたに手を伸ばしたんです。でも届かなかった。それは,申し訳ないと思っています」

淡々と。いつもと違う,あまり感情を感じさせない声。

「それと,もしもの話ですが。姫様も一緒に水に落ちそうになったとしたら。
 私はやっぱり,とっさに姫様に手を伸ばしてしまうのでしょうね。
 すみません,そういう意味では,あなたの言うとおりですよ,ノイエ」

一気にこみ上げる罪悪感。慌ててクリフトのほうに首を向けた。
自分は,なんて馬鹿な質問を――

「ごめん,悪かった」

普段はなかなか言えないその言葉が,自分でも驚くほどすんなりと出てきた。
クリフトは少しだけ目を見開く。その後,とてもうれしそうに,すっ・・・と目を細めた。

「気にしないでください。体調が悪い時はどうしても,情緒不安定になりやすいですし」

素直に謝れてえらいですね,と。ノイエは頭を撫でられた。

「またそうやって子供扱い・・・!人がせっかく」「たった3日でも,私のほうが”お兄さん”ですから」

珍しく皮肉げな,でもどこか楽しそうなクリフト。

「しかもちょうど新年をはさんでいるでしょう?同い年じゃなくて,ひとつ違いになるんですよ」
「ちくしょー,年末に生まれやがって・・・」

かなわないな,とノイエは思う。
子供扱いしてほしくないはずなのに,なぜか頼りたくなるのは,クリフトの包容力のせいなのだろう。
せっかくだからノイエは,もう少し甘えておくことにした。

「それじゃ,さ。”お兄さん”に一つ頼みがあるんだけど?」
「はい,なんでしょう」
「子守唄,歌って」
「・・・は?」
「だから,こもりうた,子守唄。クリフトすごい歌うまいだろ?ほら,こないだの酒場で。
  俺正直感動したんだよな。だから,聞かせて。あ,嫌だとは言わせないぞ!
  お前,アリーナにも昔よく歌ってやってたんだろ?聞いたぞ〜」
「ノイエ・・・あなたもういくつになったと」
「弟を寝かしつけるのは兄の仕事だろ。歌ってくれなきゃ寝ない。絶対寝ない!」



両者,しばしの沈黙。



「・・・・・・しょうがありませんね」

先ほど自分が言ったことを逆手に取られたクリフトは,しぶしぶ了解する。

「そのかわり,ちゃんと寝てくださいね」
「クリフトの歌が心地よかったら,寝る」
「はいはい,努力します」


クリフトは,ベッド横の小さな椅子に座った。
毛布の上から,ノイエのお腹の辺りをぽん・・・ぽん・・・と叩く。

――うわ,こいつ慣れてる。さてはアリーナに相当歌わさせられたな。

すぅ,と,息を吸う音がした。ノイエは目を閉じた。




ふわりと空気に溶け込む,やわらかな声。
決して声を張り上げない。不自然な抑揚もつけない。
三拍子の,美しい,優しい旋律。
歌いなれた彼の声は,どこまでもまっすぐに伸びる。でも,どうしようもないくらいに,温かい。
歌詞は,一般的に使われている共通語ではなかった。おそらくは彼の故郷,サントハイムの古語なのだろう。


ああ,悔しいけど,本当に上手いや。
なんか,安心する。
なんでこんなに,あったかい声出せるんだ,クリフト。
おまえだって,平穏無事な人生を歩んできたわけじゃないのに。
どうしてここまで,他人に,無条件に,優しくできるんだよ・・・。
おかげで,昨日熱にうなされてすごい夢見ちまったんだって,もう恥ずかしくて言えないじゃないか。

・・・これじゃほんとに,俺,あやされる子供だな。
なんか母さんのこと思い出す。
シンシアと同じベッドで昼寝させられたとき。
こうやって,お腹をとんとんってやってもらったな。
そしたらすぐ眠くなっちまって。
笑ってたな,母さん。
うん,いつも,笑ってた・・・・・・。




「・・・おやすみ,ノイエ」




クリフト?
母さん?
ううん,どっちでもいいや。
ありがとうな・・・・・・





小さな後書き

病気の時はなぜか不安な気持ちになります。八つ当たりしたくなります。
そして安心できるものがほしくなります。
クリフトの歌によって,幼かった頃を思い出したノイエでした。

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