空が青い理由

「あれっクリフト,今から買出しに行くのか?」


水がたっぷりと入った樽を船に運び終えて一息ついたノイエは,大きな篭を抱えて船を下りようとしているクリフトに気が付き,声をかけた。

「もうちょっとで出航の準備,終わっちまうぞ」
「えぇすみません,大急ぎで行って戻ってきます」
「昨日俺が持ってきた野菜だけじゃ足りなかった?」
「いえ,野菜はあれで十分ですよ。ちょっと他に手に入れたいものがあって」
「ふーん。・・・まあいいや,気をつけてなー!」







サントハイムの南西に位置する列島。この辺りの海域は潮の流れが大変複雑で,海の男泣かせなことで有名だった。
しかしその副産物として,海流がもたらす豊富な海の幸に恵まれていた。

水や食料の補給のためにこの小さな海辺の村を訪れたのが,昨日の午後のこと。
買出しのほとんどは昨日のうちに済ませているのだが,魚介類だけは朝に手に入れたほうがいい。
しかし,出航の時間が早すぎるため,残念ながら魚屋はまだ開いていない。
ならば漁師から直接購入しようと,彼は考えたのだった。
ムニエル,フライ,塩焼き,マリネ。今日の昼は何にしようかと思い巡らせながら,クリフトは早足で近くの漁港へ向かった。




港では,ちょうど沖から一隻の漁船が帰ってくるところだった。
あの船にお願いしてみよう。クリフトは海岸沿いに出て,漁船の到着を待つ。


一羽のカモメが左から近づいてきた。馴れているのか,人を怖がりもせずにすぐ足元まで寄ってくる。
いつも漁師からおこぼれを頂戴しているのかもしれない。もしくはこっそり頂いているのか。
自分もこのカモメと同じ。魚が目当てで船を待っている。そう思うとクリフトは少し可笑しかった。

再び,船を見る。その後ろに果てしなく広がる海は,故郷のものとは違う色。
しかし距離だけで言えばかなり近い。この海を越えれば,サントハイム。


・・・もう,二年になるんだ。


クリフトは北東の方角に目を向けたまま,静かに佇んでいた。




やがて漁船は岸に到達した。50近い歳の漁師が,巨大な桶を手にして船から下りてくる。
漁師はすぐにクリフトに気が付いて,どこか人懐っこい笑顔で話しかけてきた。

「ん?なんだい兄ちゃん,おれになんか用かい?」
「はい,おはようございます。すみません,突然で申し訳ないのですが,魚を直接購入させていただけないでしょうか?」
「おぉ構わんよ,今日は大漁だからな,魚屋に回してもまだ余るくらいさ」
「ありがとうございます!助かります」
「・・・ああ!あんた,あっちの港に泊まってる立派な船で来た人かい」
「え?えぇ,そうですが」


髭面の漁師はうんうんと妙に納得顔で頷いた。


「やっぱりなあ。昨日あんた,八百屋に買い物に行っただろう?」
「いえ,八百屋には・・・」
「あれ?じゃあ別の兄ちゃんか。あーいや,うちの息子の嫁が昨日,八百屋に買い物に行ったんだけどよ。
 そんとき店の前でやたらかわいい兄ちゃんに会って,みんなで野菜分けてあげたっていうんだ。
 家に戻ってきてからもずっとはしゃいでるもんだからさぁ,おかげで息子がふて腐れちまった,はっはっは。
 あの船に乗ってきたって言ってたらしいし,てっきりあんたのことかと。
 ・・・あぁでも兄ちゃん,確かにきれいな顔してっけど,かわいいって感じではないよなあ。こりゃ失礼」
「い・・・いえ・・・・・・」


昨日ノイエが『貰った〜』とにこにこ顔で持ってきた大量の野菜の出所が分かって,クリフトは思わず眉を下げた。
纏わりつくカモメに,漁師は雑魚を一匹放り投げる。カモメはそれをうまく空中でくわえると,そのまま海のほうに飛んでいった。


「おお?その服,あんたもしかして神官様かい?」
「あ・・・はい,そうです」
「そうかそうかー。若いのにたいしたもんだなぁ。
 そうだ,ここで出会ったのもなにかの縁だ。一つおれのために,海での安全を祈ってくれんかね」

祈りの言葉を求められ,クリフトは少しだけ目を細めた。
旅の空では,神官として何かを依頼されることは意外と少ない。

「ええ,喜んで。ではご一緒にお祈りしましょう」
「いやいや,おれはいいよぉ。神官様が祈ってくれれば,天の彼方の神様にも十分届くだろうしさ」
「いいえ」


クリフトは静かに首を振り,そして微笑んだ。


「神は,皆の心の中にも住んでいます。
 自分自身に祈り,語りかければ・・・そうすれば,天の神にも伝わります。
 もちろん,祈るだけで全てが解決するというわけでは,ないんですけど・・・」
「心に,かぁ」


自分の心に対して,祈る。クリフトはいつも,それを心がけてきた。



「本当に雲の上に神はいらっしゃるのか。それは誰にも分かりません。
 あくまでただの伝説なのかもしれません。
 でも,たとえこの空に神がいらっしゃらなくても私は,一人一人の心に宿る神を,信じます」



言ってしまってから,はっとした。


「・・・すみません」

クリフトが頭を下げると,漁師の男は「いやいやいやいや」と手を振った。

「兄ちゃんあんたいいこと言うよ!偉そうな年寄り神官より,若いあんたの言葉のほうがよっぽど胸にきた。
 確かにおれのちっぽけな祈りでも,自分自身になら必ず届く。んで,それが空まで届くんなら言うこたぁねえ」



ありがとうよ。
そう言われて,クリフトの心が温かいもので満たされていく。



「・・・いいえ」
「よし,じゃあ祈るとするかね」


「そうですね」




なぜ,こんな話をしてしまったのだろう。天空の神を信じきれていないなんて,神官としてあるまじき事なのに。

それでもクリフトは,妙に清々しい気分だった。
潮風が前髪をさらりと持ち上げる。
つられるように見上げた先の空は,海の色を映し込んだかのような,無垢な青。




「・・・では,この祈りが天まで届きますように」




両手を組み,目を閉じる。
クリフトはそっと,その柔らかな声を風に乗せ始めた。

空に神がいても,いなくても。彼は自分自身の心に,そしてこの美しい空に,祈りを捧げ続ける。





小さな後書き

69999ヒットを踏んでくださった烏丸ユキさんのキリリク,
「青空の下で祈るクリフト」でした。
祈るだけでは駄目だと知っている彼が,それでも祈りを欠かさない
理由はこんなところにあったりします。

烏丸さん,リクエストありがとうございました!

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