Spring SantaClaus

夕方になって急に雨が降った。
それまではきれいな夕焼けだったのに。沈む太陽のすぐ横から一気に雨雲が湧き出てきたかと思うと,ざあっときた。
俺は慌てて母さんにもらったパンを懐に押し込んで,昨日完成したばかりの自分の家へと走った。



扉を開けて中に滑り込んで頭をぶんぶん振る。雫が派手に飛び跳ねて,床にいっぱい模様を作った。

「・・・っわ,ずぶ濡れじゃん」

パンを死守できた自分を褒めてやりたい。
まずは早いとこ着替えないとな。


カーテンを閉めるついでに外の様子を見た。
青い葉の上をいくつもいくつも雨粒が滑り落ちて,ゆっくりと地面に染み込んでいく。
草と土の匂いのする雨。春の優しい雨。

・・・去年の今頃は,この雨が辛かったな。
旅先でこんなふうに降られるたび,嫌でも村のこと,父さんと母さんのこと,そしてシンシアのことを思い出した。
もう存在しない俺の故郷。いないはずのみんなの声。雨の向こうにその気配を,否が応でも感じてしまう。
そのときの感覚がよみがえってきて一瞬切なくなった。箪笥からタオルを一枚出して,頭をわしわしとかき回す。

今は,きらいじゃないぞ。雨。村はちゃんとここにあるから。みんな傍にいるから。
急に降ってこられるのは,やっぱり困るけどな。




とりあえず暖炉に火を入れた。少し時期はずれかもしれないけど,まぁいいや。晩飯をスープにでもすれば,そのまま火が使えるし。
シャツが腕に張り付いて気持ちが悪い。上着と一緒にまとめて脱いだところで,突然扉が開いた。

「ノイエ,いる?」
「おわっっ」
「あ,ごめんなさい。着替え中だったのね」

ごめんなさいと言ってるくせに,すたすたとシンシアは中に入ってくる。ちょ,ちょっと待て!服,かわりの服・・・あれ,どこにしまったっけ?

「あら,びっしょり。一番ひどい降りの時にノイエ帰ってきたのね。私は傘があったから大丈夫。
 おじいちゃんの食事作るときに多めに作ったの。ほら,おいしそうでしょうこのスープ。身体もあったまるわ。
 あ,暖炉に火が入ってる。ちょうどよかった」

あくまでマイペースに,にこやかに。シンシアはゆっくりとしゃべり続ける。
・・・というか,なんで俺がうろたえなきゃならないんだ。よく考えたら普通逆じゃん。
シンシアはスープの入った鍋を暖炉にぶら下げると,ごくごく自然な動きで,箪笥の2段目から俺のシャツを取り出した。

「はい,着替え」
「あ,ありがと」
「でも着る前に,ちゃんと身体拭いてね。まだ背中と髪が濡れてるから」
「・・・はぁい」


なんでお前のほうがシャツのありか覚えてるんだよう。たしかに引越しは手伝ってもらったけど。
・・・くそぅ。
なぁシンシア。俺ってやっぱり,弟みたいなもんなのか。
俺,着替えてたんだぞ。上半身裸だったんだぞ。ちょっとくらい動揺してくれたっていいじゃん。

あんまり普通すぎて。決意が,揺らいでしまう。




身体を拭いて,髪の水気もしっかり切って。ざっくりしたチェックのシャツを軽く羽織って。
台所を覗くと,シンシアが着々と晩飯の準備を進めている。
俺,自分で作るから。旅の間にそれなりに料理覚えたから。昨日そういったら,父さんも母さんもそろって笑って,シンシアに作ってもらえと言った。
しばらくは家の片づけがあるし大変だろうから,って。
そんなことはないんだけどな。俺の荷物なんてたかが知れてる。
そう。たかが知れてるくせに,シャツのありかさえ分からない俺。情けない。


赤い薄手のニットを着た,すらりとした背中に声をかけた。

「今晩のメニューはー?」
「さっきのスープと菜の花のサラダ,あとはこのパンを軽く焼いて,ミートパテを乗せて食べましょう」
「うまそう!」

やっぱりなんだかんだ言っても,食事を作ってもらえるのはうれしかったりする。


俺も,自分の家を建てる。
村の復興が一段落した頃,父さんと母さんに告げた。二人ともさみしがったけど,それでも息子の一人立ちを喜んでくれた。
でも,別に村から出るわけじゃない。歩いてすぐの距離のところに住むだけ。

とにかく早く自分の家がほしかった。
そしたら,言えるような気がして。




雨はもう止んだらしい。日も落ち,外は静かな薄闇に包まれている。
それでも家の中は場違いなほど暖かい。温度も,気配も。だってシンシアがいる。もうそれだけで,あったかい。

「うぅ,もう食えないや」
「そうね,いっぱい食べたわね。・・・今,お茶入れるね」
「あ,それくらい俺がやるよ」
「そう?じゃあ,私は片付けのほうをするから」



お茶の葉をすくってティーポットに移す。沸いているお湯を注ぐ。
横でシンシアが食器を洗う。
目の奥が熱くなった。シンシア。なぁ,シンシア。

「・・・こうやって」
「ん?」
「並んで」
「なぁに」
「後片付けできるなんて,思わなかった」
「・・・うん」


そんな顔で笑わないでくれ。

シンシアは濡れた手を拭いて,そっと俺の髪を撫でた。
子供の頃みたいに。そして,あの最期の日みたいに。
おかげで俺は,シンシアの肩に伸ばしかけた手をそのまま宙に浮かせることになった。





季節外れの暖炉の火。その傍に敷いた絨毯に寝転がって,本を読む。
『川魚大百科』。トルネコにもらった本だ。釣っていた魚の正体が分かるのは結構楽しい。
暖炉のほうに顔を向けていると,だんだん頬が火照ってきた。反対側に転がった。

シンシアが玄関で,すっかり乾いた傘を紐で括っていた。
足元にはきれいに洗った鍋が置いてある。

帰り支度。急に胸が締め付けられた。


「もう・・・帰るのか?」
「ええ」
「もうちょっといればいいのに」
「明日の朝,またご飯つくりにくるから」

それがあまりにも,いつも通りの顔だったから。

「嫌だ」



鍋が足にぶつかって転がる。
傘が再び広がる。



「ノイ,エ・・・?」
「嫌だ」

抱きしめたのは,シンシアが蘇ったとき以来だった。


「帰るな」

あの時はすがりつく感じだったけど。今は違う。腕の中にすっぽりおさめる。

「俺,もう,自分の家,持ったから」

さすがに表情を変えたシンシア。

「いっしょに,暮らそう・・・?」



・・・なんで問いかける形になるんだよ。
断言,したかったのに。

ほら,シンシアも,またいつもの顔に戻っちまったじゃないか。どうして俺って,いつも・・・


「うん」
「・・・・・・え?」
「いいよ」


あ・・・れ?


「私の荷物,取ってくるわね」

そう言って,シンシアは何事もなかったように鍋と傘を手にすると,玄関の扉を開けて出て行ってしまった。


「・・・えっと・・・・・・」

一人,家に取り残された俺は,ただ呆然とするしかなかった。

OK,してもらえたんだよな・・・?
たぶん・・・。





「ただいま」

半刻後。白い大きな布袋を持って,シンシアは戻ってきた。

「・・・おかえり」

短いやり取りが照れくさい。思わず俯く。
俺の横に,シンシアはよいしょと袋を置いた。中には服やら小物やら,さっきの鍋まで入っている。

「結局持って帰ってきちゃった,鍋」

俺の目を見て,子供みたいに笑った。
ああ,ほんとにここで,一緒に暮らせるんだ・・・。
また目が熱くなった。


「シンシア」
「ん?」
「サンタクロースみたいだな」
「そうね。白い袋だものね。服も赤いし」
「幸せ,持ってきてくれるし」
「うれしいこと言うのね」

手を伸ばす。今度は宙に浮くことはなかった。そっと頬に触れる。

「じゃあ,プレゼント,くれ」
「ええ。よい子のノイエに。・・・何がいい?」
「初めてのキス」



・・・俺,絶対顔が真っ赤になってる。
多分暖炉の前にいたときよりも。



シンシアは小首を傾げた後,一度向こうをむいて扉を閉めて,またこっちを向いて俺のすぐ傍にきた。
何も言わない。
俺よりちょっとだけ低い位置にある目。
それがすぅっと,閉じられた。

・・・・・・ど,どうしよう。
勢いで言ってはみたものの,いざとなると緊張でろくに動けない。
錘がぶら下がっているみたいに重い両手を,それでもなんとかシンシアの肩に乗せる。
どきどきする。どきどきがシンシアに伝わりそうで,さらにどきどきが加速する。


ゆっくりと顔を近づけて。
俺も目を閉じて。


    がつっ



「・・・いっ,たぁ」
「あら・・・」



・・・まじで!?
歯?歯がぶつかった??


「ノイエ,目,閉じちゃったのね」
「・・・・・・」

くすくすと笑い続けるシンシア。これがへこまずにはいられるか。
肩に乗せた手を外し,ふらふらと暖炉の前まで行って,そのまましゃがみこんで絨毯の上に倒れた。
くっそお・・・。何で俺って・・・


傍でシンシアの声がする。

「ノイエ」
「・・・いい」
「ノイエ,拗ねちゃったの」
「ほっといてくれ」

あまりに穏やかな声だから,余計に悲しくなる。
まだ俺は,子ども扱いされるのか?
さっきの着替えてた時といい,ちゃんと男として,見てくれてないのか?
やっぱりシンシアは俺のこと,なんとも思ってないのか・・・?


「ねぇ。ノイエ」
「なんだよ」
「私も,ノイエにいっぱい幸せ,貰ってるのよ」
「・・・じゃあ,俺もサンタ?」
「そう。だから私にも,プレゼント,ちょうだい?」

俺のすぐ左にころりと転がって,笑った。
俺が見下ろす感じになる。距離が近すぎて左の腕が震えた。


「・・・何をあげればいい?」
「ノイエ」
「・・・・・・ん?」
「ノイエを,ちょうだい」



え。


えっ・・・。な,えぇっ?
ちょ,ちょっとまて!俺,一人で勘違いしてる?
シンシアは笑顔のままだ。ごくごく普通だ。うん,やっぱり絶対俺の勘違い。もっかい確認しよ。


「ど・・・どういう意味?」
「意味って・・・」

シンシアはまた普通に,首をかしげる。
わ,分からねぇ。本当に,そのままの,意味?
一人でおろおろしてたら,シンシアはふっと真顔になって俺の首に手を回した。



唇に柔らかで温かな感触。
今度は目を閉じるどころじゃない。見開いたまま閉じれない。
このまま時が止まってしまうかと思った。

それでもやがて,シンシアは腕を解いて顔を離した。
めったに見れない表情。透き通りすぎて怖いくらいの紫の瞳。


「私は,ノイエのこと,大好きよ。
 一緒に暮らそうって言ってくれて,ありがとう。
 だから,もう二度と離れないように。
 もうあなただけ,歳を重ねたりしないように」



そっか。

そうだな。シンシア。
不安,なんだよな。

一年間。
凍りついていたシンシアの時間。
あぁそうだ。実際には,同い年になっちまったのか・・・。


緩く結んだ桃色の髪がほつれて,耳元にひとすじふたすじ影を落としている。
真っ直ぐにこっちを見る瞳。ちゃんと血の通った頬。あの時とは違う。シンシアは今こうして生きている。

シンシアがよく俺にしてくれたみたいに,髪を撫でてみた。ふわっと微笑む。そのまま力いっぱい抱きしめる。


今の俺のこの気持ちを,どうすればシンシアに伝えられるんだろう。
世の中に存在するとびきりきれいな言葉を100個,200個集めたとしても多分足りない。
俺の心の中にシンシアを取り込んで,気持ちを丸ごと見せてあげたいと思った。



「・・・シンシア」
「うん」
「大好き」
「うん。ありがと」
「今まで言えなくて,ごめんな」
「ううん」
「これからはいっぱい,言うから」
「ええ」


今度は俺からキスをした。
ときどき目を開けて確認して。何度も,何度も。



「愛してる」



その単語を無意識に口にした途端,不意に泣きそうになった。
俺には死ぬまで縁のない言葉だと思っていた。
死んだら,あの世でシンシアに言おうと思ってた。照れながら。
でもこうして今,シンシアは俺の腕の中にいて。こっちを見てくれていて。

だから,言えた。照れもせずに。




「愛してる」
「うん。私も」




俺の気持ち,全部伝われば,いいな。






暖炉の暖かさとシンシアの暖かさに包まれて。
多分俺は今,世界一の幸せ者なんだろう。






小さな後書き

多分今まで書いた中で一番,甘く,幸せな話。
季節外れのサンタクロースたちは,穏やかな夢を見るのでしょう。

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