歌のちから 酒のちから

北の入り組んだ海岸を利用して船をしっかりと固定し,一行はガーデンブルグへと陸路を急いだ。
想像以上の山道が行く手を阻む。
足場が悪い。魔物が強い。うかつに休めない。
結果,まだ道程の半分も行かないうちに,太陽が傾いてきてしまった。
なんとか陽が沈む前に山を抜けることが出来たのは,ひとえにパトリシアのすばらしい脚のお蔭だろう。
それでも,今晩は野宿になりそうだ。

近くに川か湖あるかな。
薪集めないと。
テントをはらねば。
夕食のメニューは何にしようかな。

麓に集落の灯りが見えたのは,それぞれぼんやりと今晩の予定を立て始めた矢先のことだった。





こんな小さな村だから,宿はいつもがらがらなのよ。
そう言って突然の団体客を快く迎えてくれた女将に,皆,心から感謝した。
二階にある5つの部屋すべてを使っていいといってくれたので,ノイエとクリフト,ライアンとトルネコ,ブライ,マーニャとミネア,アリーナ,に分かれる。
案内された部屋はどの部屋もまだお日様の匂いが残っていて。今晩眠るふかふかの布団の感触を確かめて,誰もが思わず口元を緩ませた。


宿の一階は食堂になっていた。仕事帰りに一杯楽しむ男たちや,そろって食事をしにくる常連の家族でにぎわっている。
大所帯の自分たちのために,女将は端っこの大きなテーブルを空けてくれた。早速席について,みな頭を寄せるようにしてメニューを覗き込む。
肉がいい,魚がいい,野菜ときのこがいい。
まずはビールだ,わたしは赤ワイン,お酒はちょっと。
思い思いの注文をし,さっそく来た飲み物を喉に流し込んで,ようやくふうっと一息ついた。
次々に運ばれてくる食べ物は,どれも新鮮な食材が使われていて,シンプルな味付けながら実においしい。思わず酒も進む。



「・・・んで。なんであんたはそんなかわいい飲み物飲んでるのよう?」
「え」

コップに伸ばした手を止めて,クリフトは斜め左前でワイングラスを揺らすマーニャを,ちょっと困った顔で見た。

「・・・いけませんか?」
「あったりまえでしょ!
オレンジジュースよ?しかも絞りたてよ??さらになんでストローですすってるのよああもう。
アリーナが飲むのなら可愛いから許すけど,男だったらここはビール!しかも生!!そして中ジョッキ!!!
ほーらノイエを見なさいノイエを。いい飲みっぷりじゃない」
「あっはっはっは〜,クリフトこの黒いビール上手いぞー!ほら,お前も飲め飲めっ」
「じゃあ,ちょっとだけ・・・」
「だめー!!!」

横から伸びた華奢な手がノイエのジョッキを奪い去った。

「だめ,クリフトはお酒飲んじゃだめなの」
「なんでだよアリーナ」
「ちょっとくらい飲ませてあげてもいいじゃない」
「だって,お酒飲むとクリフト,クリフトじゃなくなっちゃうもの」
「なんですって!?ちょっとアリーナ,いったいどうなるのよ??へべれけになっちゃうとか笑い上戸になっちゃうとか逆に泣き上戸とか」
「それとも説教始めるとか?意表ついていきなり脱ぎだすとか?おっもしれーさあ飲めーーー」

「・・・ひどい言われようだな」ライアンにぽんと肩を叩かれ,困った笑顔のままクリフトは頷く。
アリーナはぶんぶん首を横にふった。

「違う,クリフトはそんな酔い方しないわよ。そんなんじゃないけど・・・でも飲ませちゃだめ!」
「大丈夫,ちゃんと飲まずにいますから。姫様」
「ほんと?」
「ええ」
「うん・・・。ならいいの!」

満足げに,今度はこくこくと首を縦にふるアリーナ。おとなしくジョッキをノイエに返した。
しかしマーニャは引き下がらない。

「実際のところどうなるのクリフト?飲ませないからせめて教えなさいよ」
「姉さん,もうその辺で・・・」
「いや,普通のままですよ?少し赤くなる程度で」
「本当なの爺さん?」
「クリフトは嘘は言うとらんぞ」
「でもそれじゃあなんであんなにアリーナが躍起になってるのか,説明がつかないじゃない」
「はい。実は私自身も,なぜ姫様がいつも私の飲酒を禁止なさるのか,よくわからないんです・・・」
「アリーナ。なんで?」
「言わない,絶対に言わないもん!」
「あら強情ねぇ」
「んでクリフト,今日は歌ってくれないのかぁ〜?」

クリフトに渡す予定だった黒ビールを結局自分で空けてしまったノイエは,明らかに怪しい足取りでテーブルの周りをふらふら回りながら言った。

「女将さんにこぉんなにお世話にらったんらから,おれいしないとらぁクリフトぉ」
「ノイエ,大丈夫ですか?飲みすぎなんじゃ」
「らいじょうぶだ〜」
「ああ,ノイエ君,食べ物を食べる前に一気に飲んじゃったんですねぇ。わたしみたいにお腹いっぱい食べてから飲まないと」
「トルネコみたいなおなかにらったらたいへんだ〜!」
「なあに?神官様が賛美歌でも歌ってくれるのかい?」

きびきびとした動きで客に食事を運んでいた女将が,いいタイミングでひょいとテーブルに顔を出す。

「いや,それは・・・」
「きいてらってくれよ女将さんっ,こいつめちゃめちゃうまいんらよぅ歌〜」

俺,聞くたびにかんどうしちゃってさぁ。照れもせずにそんな台詞を言うノイエは,相当酔っているなとクリフトは思った。

「そんなこ・・・」「あらあ,それはぜひ披露していただきたいところねえ。ねえみんな?」

クリフトの否定の声を遮る女将の声に,客はいっせいに賛成の意を伝える。期待の視線が,クリフトに集まる。

「ごめんねクリフト」アリーナが申し訳なさそうな顔で見上げてきた。
「わたしがノイエに,歌上手なことばらしちゃってから,なんだか歌わされてばかりで」
「いいえそんな,気になさらないでください。私も歌うのが好きなんですから」

頼まれると断れない。みんなが喜んでくれるから。
喜んでいる顔が,見たいから。それが,彼が彼である所以なのかもしれない。
こうしてクリフトは,客たちに押され,食堂の中心へといざなわれてしまった。







・・・酒に酔っている者も,そうでない者も。誰もが,彼の声に酔った。
サントハイムで歌われている民謡。短調の,少し切ない旋律。
透明な声が,次々とさまざまな色に染まっていく。
朝の空の色になり,昼の草原の色になり,黄昏時の雲の色になる。



最後のフレーズに差し掛かった時,彼は目を閉じた。
観衆が息を呑む気配がした。それに合わせて,声をまたわずかに変化させる。


夜の闇にさらわれないように
朝の光に戸惑わないように
あなたが迷わないように


あなたの刻を わたしに
わたしの刻を あなたに


そして,一瞬の静寂。
一気に湧き上がる歓声と拍手にクリフトは包まれた。食堂の客がいっせいに彼の周りを囲む。

「・・・すごいなぁ,兄ちゃん!」
「半月前に来た吟遊詩人よりあんたのほうがよっぽど上手いぜ!」
「『もうすぐ夕暮れ 逢う魔が時』ってあたりが,よかったよぉ〜」
「歌,っていいもんだなぁ・・・」
「なんてきれいな声なんだい。歌ぁ聴いてうるうるしちまうなんて何年ぶりだろうねぇ」
「そんな若いのに,神官様なのかい?」
「うちの街の神父様もこんだけいい声だったら,ミサは大賑わいだろうね!」
「はははちげぇねえや!!」

あまりに激しい客たちの反応にきょろきょろと戸惑っていると,思わぬ方向から助け船が出た。

「まあまあ,その辺にしといてあげて。照れやさんなのよ彼」






ようやく落ち着いて席に戻り始めた客を見て,クリフトはふう,と息をついた。
「ありがとうございますマーニャさん」
「いいのよ,どうせあんたあのまま放って置いたら,何曲も歌わせられることになるだろうし」
「・・・そうかもしれません。断るの,苦手で」
「まあまあ,喉渇いたでしょ。これでも飲みなさいって」

レモンが入った水を差し出され,クリフトはまた礼を行ってグラスを受け取った。
ごくごくと一気に飲んだあと,あれ?と首をかしげる。

「マーニャさん,これ・・・・・・。お酒入ってませんか?」
「あら?だれも入ってないなんて言わなかったわよ」
「え!?」
「あーっマーニャ!飲ませちゃったのね!!」
「確認せずに一気に飲んだのはクリフトよん」
「ひどいですマーニャさん・・・」
「クリフト,今すぐ部屋に帰って!今日はもうほかの人には会っちゃ駄目!!」
「らんでだよ〜?いいじゃんいいじゃん,俺クリフトと飲みたいー!」
「ノイエは一人で飲んでて!」

言い合いをはじめたアリーナとノイエを,クリフトはまあまあ,と仲裁した。

「大丈夫ですよ姫様。私はこの通り普通ですし,どうせノイエは同部屋です。
食事が終わったら,酔ってしまったノイエを連れてまっすぐ部屋に戻りますから」

ご安心ください,と微笑むクリフトに,アリーナはしぶしぶ了解する。

「じゃあ,今日だけは飲むの許してあげる。他のお客さんに,若い女の人,いないし」
「なんですって?」
「なんだぁ???」

若い女性がいないから,飲んでもいい。とは?
いったいクリフトは,どんな酔い方をするというのだ。
なぜ,アリーナはお酒を飲ませたがらないのか。お酒を飲んでしまったクリフトをほかの人に見せたがらないのか。
それが知りたくて,皆,「一杯も二杯も同じ」とばかりに彼に酒を勧めた。

出されたビールやワインをこくこくと飲んでいくクリフト。
そのうちに,目元と耳たぶがちょっとだけ赤くなってきた。そしてほんの少し,無口になってくる。



「でもほんと,まだ,普通よねぇクリフト。口数は減るみたいだけど。
けっこう濃い目のを入れたのに。お酒には強いんだ。ふ〜ん」
「な〜?実は酔ってるなんてこと,ないのか?」

マーニャは頬杖をついた姿勢のまま,ちょっと酔いが醒めたノイエはテープルに突っ伏して顔だけを上げて,クリフトを観察している。
視線の先にいる当の本人が,二人のほうを,見た。

「!」
「!!」

そして言う。

「いつも通り,ですよ?」


「うわぁこういうことねなるほどなるほど」
「なんでだろ,なんか悔しいぞ俺〜!」
「何か・・・おかしいですか?私」
「まあ,いろいろとねぇ・・・」

強めの酒が入った小さなグラスを,その長い指先で弄んでいる。
潤んだ青い瞳に長いまつげが影を落とし,卓上のろうそくの灯りが映りこみゆらゆらと揺れる。
熱くなった顔を醒ますかのごとく,かすかに開いた口からもれる,ため息。
そして,先ほどまでの清々しい声とうって変わって,恐ろしいほど甘く響く声。

それらすべてが無意識の代物だ。
しぐさに,表情に,声に色気が入る。変化はこの一点のみ。

「アリーナが,見せたがらない理由がよくわかったわ」
「・・・でしょう?前に一度,エンドールで飲んで大変な騒ぎになったの・・・。
もうあんなに,クリフトが女の人に囲まれるの,見たくないもの」

マーニャは思った。
確かに,クリフトはもともと顔の造作がいい。先日,サランを訪れた時に起きたちょっとした事件で,それは再認識した。
しかし,聖職者然としたその動作と雰囲気のせいなのか。街の女性たちに言い寄られることはないようだ。
むしろ行動すべてが目を惹くノイエのほうが,もてる。
だが,今のクリフトはどうだろう。若い女性が放っておく訳がない。
そしてこの可愛らしいお姫様には,大好きなクリフトが女性に取り囲まれる姿なんて,我慢できるはずが,ない。

「そろそろ・・・部屋に行きましょうか,ノイエ」
「〜っ!」

グラスを置いて立ち上がったクリフトに,ぞくりとするほど耳に残る声色で声をかけられ,ノイエは思わずたじろいだ。

「・・・なんか聞き様によっては他人が勘違いしそうな台詞だわ」
「マーニャぁ・・・」
「ああ,嘘よアリーナ。冗談冗談。本当に可愛いい子ねぇあなたは」
「クリフトお前やばいからその声!」
「?」
「自覚ねーのな・・・」
「もう足元ふらつかずに歩けますか?大丈夫?」
「むしろお前が大丈夫か!?」
「クリフトー!わたしももう部屋に戻るの!!」
「では,姫様も一緒に二階に参りましょうね」

いつものふんわりした笑顔とは全然違う表情に,アリーナの顔がぱあっと赤くなる。

「おおっアリーナ顔赤い!」
「ノイエうるさい!」
「・・・姫様,お酒を召されすぎましたか?」
「ん〜〜〜!!違うもん!」
「あっはっはっは,最高!!」
「姉さんも酔ってるでしょ!?わたしたちももう戻るわよ」
「では我らもそろそろ戻るとしようか,トルネコ殿」
「そうですね,もう食べ物も食べつくしましたし」
「わしもそろそろ風呂に入りにいこうかのう」

皆そろってぞろぞろと席を立ち,二階へと続く階段へ向かった。途中で女将が,「後でお茶でも飲みにおいで!」と声を掛けてくれる。

ちょっと不機嫌なアリーナをなだめ,トルネコとライアンにまた明日ねと手を振り,早く酔い醒めてくれクリフト〜とわめくノイエを笑い飛ばしてから,マーニャは自分の部屋の前で,後ろを歩いているブライを振り返った。

「クリフトも罪な子ねぇ」
「本人はいたって普段どおりのつもりなんじゃ。酒が入っても,受け答えそのものはしっかりしとるしのう。たちが悪いわい」

ブライの言葉に頷きながら,マーニャは左手で髪をかき上げて,ふっと笑ったのだった。



「お酒って,怖いわ」



小さな後書き

いますよねぇ。酔うと反則なくらい色っぽい人。

ノベルに戻る
トップ画面に戻る