「今からか?」


宿の部屋を出て階段降りようとしたマーニャは,背後から声をかけられ静止した。
気配に気づかなかった自分に,そしてわざわざ気配を消して近づいた相手に対して少し苛立ちを覚えた。


「・・・そうよ」

ゆっくりと振り返る。右手に無造作に花束を持ち,左手で右の上腕を掴んだライアンの姿があった。


「・・・あのワイン,なかなか美味しかったから,もう少し飲もうと思って」
「そうか。気をつけて」
「あら?女性の一人歩きは危ないとかって,止めてくれないのねぇ」

ライアンは僅かに笑う。

「一人で飲みたいのだろう?」


別に一人がいいってわけじゃ。
そう言いかけて,マーニャは押し黙る。仕掛けられた罠にはまるところだった。


「そなたの花束は?」
「もうばらして部屋にあった水差しに挿しちゃったわ」
「ではこれを持っていけばいい」

ライアンは自分の花束をマーニャに差し出す。
素朴で力強い野の花と,さまざまな種類の秋のバラ,そして華やかなダリアが印象的な花束だった。

「・・・最初の花束と全然違うじゃない」
「そなたが持っていれば,さらに華やかで美しい花束に変わっていくだろうな。
 それでは,よい祭りの夜を」


手渡しざまにマーニャの手を取り,長い爪の先に軽く口付けると,ライアンは目を合わせることもなく,すぐに背中を向けて去っていった。




「・・・・・・飲も」


階段を下りながら,マーニャは受け取った花束を見る。
豪華な花々の中,気後れすることもなく堂々と混ざる野の花は,人には渡せそうにない。










「なんだかクリフトの花束とわたしの花束,そっくりになっちゃったね。
 リンドウやアメジストセージみたいな青っぽい花と,オレンジ色のチューリップといろんなマムが沢山」
「あぁ本当だ。不思議ですね」

不思議もなにもあるか。路地を歩きながら,ノイエは聞こえてきた背後の会話に思わず両肩をあげる。可笑しくてしょうがない。
『人から見た自分のイメージの花』と『自分が好きな花』が手元に残っていくと,花屋の若者が言っていたではないか。


「・・・そういえば,俺,思ったんだけどさ。せっかくチューリップが名産なんだから,
 プロポーズのときは花じゃなくて球根を渡すほうがいいと思うんだよな」
「どうして?」
「へっへー。球根なだけに,」「あ,球根で求婚ね」
「先に言うなあぁーっ!」

いつものようにノイエをばっさり切って,アリーナは満足げに笑った。

「でもそういえば,男の人からじゃなくて,女の人から花束を渡すっていう風習はないのね」
「やっぱり女の人にとって,花は買うものじゃなくて貰うもんだからなんじゃ?」
「女心分かってるぞーって感じの発言するのね。ノイエなのに」
「ひっでぇなーおい。さっきのツッコミと合わせ技ですげぇ傷ついた・・・。クリフト慰めて」
「はいはい。・・・ノイエの花束は,緑色と桃色のチューリップがたくさんですね」
「おぅ,そうだな」



一瞬よぎった感情。喉に絡まる切なさと,胸に刺さる僅かな痛み。
ノイエは決めた。
この花束がしおれる前に,彼女に贈ろう。



「・・・わりぃ,俺やっぱ一度,宿に戻るな」
「ええっ?朝までうろつくんじゃなかったの?」
「いや,さすがに眠くなってきたし。またすぐに復活してくるから。それに今日はお前ら,二人っきりの時間全然ないじゃん」
「ちょ・・・っと,ノイエ,そんな・・・」

慌てるクリフトに,ノイエはにやりと笑う。
嘘ではない。どんなにいつも三人一緒に出歩いていても,夜眠りにつく前には必ず,クリフトとアリーナは二人だけの時間を持つ。

「なんだったらさっきのカップルみたいに腕組んで歩いてもいいんだぞ? んじゃなー!また合流するから!」



二人に向かって右手を上げてから,ノイエは宿へと走り出した。
左手に花束を持ち,なるべく揺らさないよう胸に当てて固定する。


手元に残した桃色のチューリップたち。これを,スケッチブックの最後のページに描き足そう。
たとえ実物は贈れなくても,あの笑顔の横に添えることはできる。
せっかくだ,他の花も描こう。シンシアが好きだった白い花。エンドールの街路樹に咲く淡い紅色の花。
サントハイムで,スタンシアラで,モンバーバラで。行く先々で初めて目にした,色とりどりの花たちも。

大通りに出た。頭の中のキャンバスにさまざまな色を乗せながら,ノイエは花で溢れた路を行く。







「・・・へんな気,利かせなくてもいいのにね」
「えぇ」
「でももしかすると,本当に眠かっただけかもしれないけど」
「・・・・・・」

おそらく違うだろう。だが,そうではないともクリフトは言い切れなかった。彼は寝る時間が早い。寝つきもいい。

「多分,夜明け前までには戻ってくるでしょう。姫様は大丈夫ですか?
 お疲れでしたら,私たちも宿に戻・・・」
「うぅん大丈夫! せっかくだから歩こう」
「分かりました。では」

クリフトはアリーナに自分の花束を差し出した。

「どうぞ。ノイエが戻ってくる前に」


アリーナは最初きょとんとし,すぐに意味に気がついてとびきりの笑顔を見せた。

「サントハイムの王族と貴族には,この風習はありませんが」
「神官服には胸ポケットもないけどね」
「ですが,真似をする分にはいいと思うんです」
「うん。ただの真似っこだもんね。だから女の子からも渡しちゃう」


くすくすと笑いあいながら,二人はお互いの花束を交換する。これだけ似た花束なら,入れ替わっても気づかれないだろう。
アリーナは花束からリンドウの花をひとつ摘むと,クリフトの橙色のスカーフの中に隠す。
そしてクリフトは,淡い黄色のマムを摘み,アリーナの髪に飾った。



ごく自然に,クリフトはアリーナの手を取った。
手を繋いで歩いたサランの夜を思い出し,二人は目を合わせて微笑む。

「さぁ,どこに行きますか?」
「そうね,やっぱりあの広場かな。でもその前に。
 今夜は一晩中起きていそうだから,今のうちに」
「? 」
「人通りの多いところに出る前に」
「・・・・・・!?」

下から見つめてくるいたずらっぽい眼差しを受け,クリフトはアリーナの言いたいことに気がついてしまった。
一瞬唖然とし,少し照れ,目を逸らし,口元を左手で覆い・・・,そして観念して,辺りを確認する。

人の気配はない。



「・・・・・・」



いつものお休みのキスの代わりに,クリフトは素早くアリーナに顔を寄せた。




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小さな後書き

それぞれのカップルらしい,花束の贈り方でした。
ちなみに翌日,三人組とマーニャは寝不足で朦朧とし,ブライは腰痛が悪化したため,
結局もう一泊することになってしまったようです。

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