流行のうたを歌おう


ゆったりと,しかし確かな力強さを持つ流れ。
運河のどこか華やかな水音とは違う,自然の河が生み出す堂々とした静寂がここにはあった。
時折吹くやや強い風が,家々の煙突から上る煙をさらう。
両岸の奥に広がる黒い森がざわりと揺れる。

リバーサイドの夜は,穏やかに更けていく。






アリーナは勢いよく宿の扉を開けた。
食堂の椅子に座ってのんびりしているマーニャとミネアを見つけ,側に駆け寄る。

「ただいま!」
「あらお帰りアリーナ。結構長いお散歩だったわねぇ」
「うん,川の向こうまで行ってきたの」
「はいこれ。身体が温まるわ」
「ありがとミネア」


アリーナに続いて中に入ってきたクリフトに,奥のカウンターにいたトルネコが声をかけた。


「お帰りなさい。・・・おや,ブライさんは?」
「昼間に会った学者の方の家に行かれました」
「あぁ,そういえば行くと約束されてましたね。どうです,クリフト君もこちらで一杯」
「え,ですが・・・」
「おーいアリーナー!クリフトに酒飲ませてもいい?今日の客は俺たちだけみたいだし。駄目?」

トルネコの隣に座っていたノイエが,すかさずアリーナに確認する。

「うーん・・・じゃあ今日は特別ね」
「さんきゅ!クリフトとりあえずここ座れって。なに飲む?」
「では,ノイエのと同じものを」
「了解!あ,これ,果実酒のお湯割りだけどいいか?」
「はい」
「じゃあ俺作ってやる〜。・・・ええと,とりあえずこれ入れるだろ・・・んで,お湯・・・・・・」


出来上がった随分濃い色の液体を見て,クリフトは思わず苦笑した。
その様子をテーブルからずっと見ていたマーニャは肩をすくめる。

「前に分量,ちゃんと教えてあげたんだけどねぇ」
「あれを飲んだら,クリフトさんでもすぐに酔ってしまいそうね」



・・・なんだかみんな,今日はとても楽しそう。
アリーナは思った。
そう,今日はうれしい日。
全員の力を合わせて,激しい戦いに勝利した日。
そして,クリフトの声が戻った日。



トルネコがもう一つ空のグラスを用意して,濃すぎるお湯割りを半分移した。
それぞれに湯を足し,クリフトとノイエに差し出してから腰を上げる。

「はい,これでちょうどくらいですよ」
「わりぃトルネコ」
「ありがとうございます。・・・あれ,トルネコさんはもう飲まれないんですか?」
「ええ。いや,ライアンさんに剣の修理を頼まれていたのを思い出したんですよ。
 これ以上飲むと作業に響きそうですから,このあたりで我慢しておきましょう」
「そっか。そういや昼の戦いで,あのトドの牙にまともに剣ぶつけちまったってライアン言ってたっけ」
「そうそうそれです。鍔のところがぐらぐらになってしまったそうで。・・・では,二人ともゆっくり飲んでくださいね」
「おう!」
「はい,お休みなさい」


二階へ上がっていくトルネコに「お休みー」と手を振ったアリーナだったが,その後すぐに自分も席を立った。


「わたし,お風呂入ってくるね」
「そしたら私も一緒に行こうかしら。姉さんはどうする?」
「あたしはもうちょい後にする。あんたたちと違ってお酒も飲んじゃったしね」
「そうなんだ。じゃあ,お風呂上がったらまたここに戻ってくるね!」
「えぇ,待ってるわよ」






テーブルに一人だけになったマーニャは,クリフトとノイエがいるカウンターの方へと移動した。
二人とも振り返ってマーニャを見ると,揃ってグラスを掲げてみせた。クリフトは軽く。ノイエは思いっきり。
傍にある暖炉の火が,青と緑の瞳に橙色の光を添える。
マーニャは満足げに頷いた。


「・・・二人とも,いい男になってきたじゃない」
「な,なんだよ急に」
「さぁて,どっちの隣に座ろうかしらね。酔うといい男と,黙って考え事してるといい男」
「ええっ?私,酔っても普段とそんなに変わらないですよね・・・?」
「俺,しゃべったら駄目なのかよぅ」
「真ん中に座って両手に花ってのも悪くないわね」
「答えてくれないし。っていうか花って」
「そうやって表情ころころ変えるから,かわいいって言われちゃうのよ」


マーニャはとりあえずノイエの左に座ると,自分のグラスに3分の1ほど酒を注いで目の高さまで持ち上げた。


「さっきのは入れすぎ。お酒はこの辺までで,あとはお湯。じゃないとあっという間にひっくり返っちゃうわよ」
「でもさ,ライアンはさっきこれ,ストレートで飲んでたぞ?」
「あの人とは比べないほうがいいわ・・・」
「はは・・・強いですからねライアンさん」
「あんたも大概強いけどね」
「えっそうですか?」
「やっぱ気付いてないんだなーお前。酒の強さも,飲んだらどうなるかも 」
「?」

自覚のないクリフトはその意味が分からず,首をかしげた。


マーニャは指先に小さな炎を作ると,それを湯の入ったデカンタに放る。
ぽん,と軽めの音がして,冷めかけていた湯は一瞬で沸騰した。
デカンタ自体はまったくの無傷だ。

「すごい。メラの応用ですか」
「そうよ。・・・熱っ,ちょっと沸かしすぎちゃったかしら」
「マーニャがいると火打ち石とかいらないよな」
「あんたもこのくらいできるようになりなさいよ」
「う〜ん俺,メラ系苦手なんだよなぁ。俺がやると確実に入れ物もぶっ壊すと思う」
「確かにそうかもねぇ・・・」


にかっと,ノイエは歯を見せて笑う。
酒のせいもあるのだろうが,いつもにも増してご機嫌だ。疲れが溜まっているはずなのに随分と元気だった。
クリフトはグラスを傾けて一口飲んでから,聞いてみた。


「ノイエ,なにかいいことでもありましたか?」
「おっ分かる?俺なー,さっきライアンに,すっげーうれしいこと言われたんだ」
「うれしいこと?」
「おぅ。・・・だから今,かなりいい気分」

左手で頬杖をついたまま,ノイエは目を閉じる。

「明日も,いい感じでいけそうな気がする」



そう。明日向かう場所は,魔物たちの根城。
それでも今の彼らに,悲壮感はまったくなかった。



「・・・えぇ,そうですね。私もこれでまた,皆さんのお役に立てます」
「なぁクリフト」
「はい」
「歌って?」
「えっ」
「せっかく戻ったその声,もっと聞かせてくれよ」
「いいわねぇ」


マーニャは右手に持っていたグラスを置き,落ちてきた髪をかきあげた。


「でもせっかくだから,もうちょっと酔いが回ってからお願いしたほうがよくない?」
「わっはっは!確かに」
「童謡や民謡じゃなくて,たまには違うのを歌ってもらおうかしらね」
「そういえば今,やたら流行ってる曲あるよな。行く街行く街で聞くやつ。出だしどんなんだっけ?えっと・・・」
「ええっ?」

歌うこと自体は一向に構わないし,むしろ要求されてうれしいのだが,何故酔ってからのほうがいいのだろう。
いやそれ以前に,流行の歌なんて・・・。思わぬ成り行きにクリフトは動揺する。

「あぁ思い出した。・・・『この角を曲がればもう 君の家はすぐそこ』・・・っていうあれ。クリフト知ってる?」
「えぇ,聞いたことがあります。でもちょっと待ってください,その歌って確か・・・」
「ノイエ,そんなに元気に歌っちゃ,出る雰囲気も出ないわよ」
「分かってるよぉ。でもクリフトの声には合いそうだろ?しかも酔った後の」
「・・・確か,恋の歌,ですよね・・・。しかも口語の」
「まあまあいいからとりあえず飲みなさいって」
「そうそう!酔ってしまえば歌うときも照れくさくないぞー」



・・・どうして自分は,いつもこんなに酒を勧められるんだろう。
やはりまったく自覚がないクリフトだった。




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小さな後書き

さて,今回の歌はちょいとめずらしいです。
がんばれ,酔うといい男。

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