暖炉で薪が崩れた。
温度も気配も温かなその空間で,3人はゆっくりとグラスを傾けていた。



徐々に酔いが回ってきたクリフトは,ぼんやりと前を向いたまま,左隣のノイエに話しかけた。

「ノイエ」
「うん?」
「食べ物がなくても,飲めるようになったんですね」
「まあな。最近はわりと大丈夫」
「生意気になってきたじゃない」
「大人になったって言ってくれ。・・・ってぇー!だからなんでいつもおでこビシってやるんだよ,いたた」
「・・・私たちももう,あとひと月ちょっとで,19になるんですね・・・・」


遠くを見るような目をして,クリフトは呟く。


「あ,そうか。もうすぐだな,俺たちの誕生日」
「そういえばあんたたち3日違いだったわね」
「おぅ。ちょっとの差で俺が年下。悔しいけど」
「ノイエのほうが年上だったら多分違和感あるわよぉ」
「うー,確かにそうかも・・・」
「で,そっちの年上のお兄さん。さっきは随分,長い散歩だったじゃない」


マーニャは突然話を振った。
いつものクリフトなら,真っ赤になるか,もしくは慌てて噎せてしまうか,そのどちらかだろう。
しかし今の彼には酒が入っている。クリフトは目を伏せると,かすかに笑った。


「・・・ぅわ,ははっ・・・。後で今の顔ざっくり描こっと」
「普段見れないものを見れると,なんか得した気分ね・・・」
「・・・歌っていいと,言われました」
「ん?」



クリフトはグラスを左手に持ち替え,右手を喉元に添えた。



「私の声は,変わっていないと。だからまた,歌を聞かせてほしいと。・・・・・・うれしかった」
「・・・そっか。うん」
「そうね」


・・・茶化すのはやめておこうかしらね。
また徐々に冷めてきた湯に,マーニャは再び炎を投げ込んだ。


「そろそろ,酔ってきたよな?」
「ええ,たぶん」
「じゃあ歌って!アリーナだけじゃないぞ,俺だってお前の歌,聞きたいんだからな」

甘え上手は,おねだりもうまかった。


クリフトはしばし,考える。
ここ数日,自分の声が出ないせいで,ノイエにかなりの負担をかけてしまった。
感謝の意味も込めて,普段はまず歌わない歌を披露するのも悪くないかもしれない。


「・・・では,さっきの曲,歌いますね」
「おう!」



グラスを右手に持ったまま,クリフトはささやくように歌い出した。




     この角を曲がればもう 君の家はすぐそこ
     君はたぶん部屋中の灯りをつけて 僕を待ってるんだろう
     そして僕は扉を叩く それから君の名を呼ぶ
     きっと君はとびきりの笑顔で 僕に飛びつくんだ
     こんな幸せなことはない そう思わないかい?

     君に約束してもいい
     僕は君の傍で 君の名を呼び続けるよ
     だからお互い長生きしないとね
     一度でも多く 君の名を呼びたいから



心地よく揺れるリズム。
酔って甘くなった声が,デカンタから上る湯気に溶け込む。

ノイエは指先を軽く揺らしながら,彼の声に聞き入っていた。
マーニャは風呂を後回しにしてよかったとつくづく思った。



     この箱の中には 君の大好きな焼き菓子
     君はたぶんこれに合うお茶を用意して 楽しみに待ってるんだろう
     そして僕は箱を開ける それから君の名を呼ぶ
     きっと君はとびきりの笑顔で 僕にありがとうって言うんだ
     こんな幸せなことはない そう思わないかい?

     君に約束してもいい
     僕は君の傍で 君の名を呼び続けるよ
     だからお互い長生きしないとね
     一度でも多く 君の名を呼びたいから


     この窓の外には 君が生まれた世界
     君はたぶん朝一番で窓を開けて 春風を待ってるんだろう
     そして僕は目を覚ます それから君の名を呼ぶ
     きっと君はとびきりの笑顔で 僕にキスしてくれるんだ
     こんな幸せなことはない そう思わないかい?

     君に約束してもいい
     僕は君の傍で 君の名を呼び続けるよ
     だからお互い長生きしないとね
     一度でも多く 君の名を呼びたいから


     何度でも約束するよ
     僕は君の名を呼び続ける
     こんな幸せなことはない そう思わないかい?





歌い終わって,クリフトはふうっと息をついた。
どうやら酔っているときに歌うのは,いつもと随分勝手が違うらしい。


「・・・やるわねぇクリフト」
「やっぱりすげぇよお前!こういう歌もうまいじゃん」
「ありがとうございます。でも,何度か音がぶれそうになりました」
「アリーナに聞かせたかったなぁ」
「いえ,姫様が聞いていらしたら,とても・・・」

観客がノイエとマーニャだけだったからこそ歌えたのだろうと,クリフトは思った。
いくら酒が入っていても,アリーナの前では恥ずかしすぎてこの歌は歌えない。

ノイエはにやーっと笑った後,ふと今思いついた風を装って,クリフトに質問をした。

「なぁ。アリーナのフルネームって,なんていうんだ」
「アリーナ・イア・ラフォーリィ様です。・・・どうしてまた?」
「名前,呼んでやれよ」
「え・・・」
「おぅ。姫様,じゃなくて,アリーナ,って。・・・あぁさすがにそれは無理か。
 じゃあ,アリーナ様。たまにでいいからさ。喜ぶと思うぞ」
「そうね。確かに喜ぶでしょうねぇ。
 今の歌にもあったじゃない?『こんな幸せなことはない』,ってね」
「・・・・・・」


二人に言われて,クリフトは初めて気付いた。
自分はアリーナの名を呼んだことが,一度もない。

名前を呼ぶ幸せを,自分は知らない。
名前を呼ばれる幸せを,アリーナは知らない。



「・・・そう,ですね」



静かに笑ったその顔は,やはり普段と違って随分と色っぽい。
傍で見ていたノイエとマーニャは,妙にどきどきする羽目になった。


「・・・とりあえず,無事に戻ったあんたの声に乾杯」


3つのグラスが,澄んだ音を立てた。






寝間着姿で,肩をタオルで覆ったまま食堂にやってきたアリーナは,カウンターで乾杯している3人に気が付いた。


「あっ,クリフトもうだいぶ酔ってるのね?」
「おぅアリーナ!わりぃ,結構飲ませちまった」
「も〜・・・。まぁ,後はもう寝るだけだからいいけど」
「いつもみたいに部屋でお話はしないわけ?アリーナ」
「えっ!?いいよ今日は」
「アリーナ様」



びくり,とアリーナの両肩が揺れる。

クリフトの背後で,ノイエが器用にウィンクした。



「また,髪がぬれたままですよ。乾かしましょうか?」
「・・・・・・うん!!」



満面の笑みを浮かべて,アリーナはクリフトに飛びつく。
クリフトはカウンターにもたれるようにして,アリーナを受け止めた。
二人にひやかされながらもしっかりと抱きしめてしまったのは,酒のせいなのか。

「ははは!歌のまんまになったな!!」
「アリーナ,まさにとびきりの笑顔ねぇ。・・・ところでノイエ,うまいことクリフトに名前呼ばせたわね」
「まぁなー。こないだアリーナに約束したんだ。俺にまかせろ,って」
「なかなかやるじゃない?」
「えっへん。じゃあうまくやった俺に乾杯!」

マーニャとノイエはもう一度グラスを軽くぶつけた。



アリーナの髪を拭くクリフト。クリフトを見上げるアリーナ。
以前レイクナバで同じ光景を見た事を,ノイエは思い出す。


「・・・でも,随分違う」
「何の話?」
「いや,なんでも。・・・幸せそうな奴ら見てるのって,悪くないよなぁ」
「あら。今日は随分いろいろいいこと言うのね」



気付けばその場にいる四人全員が,なんとも幸福そうな顔。


そしてノイエとマーニャの耳の奥底では,先ほど聞いたばかりの流行の歌が,そっと繰り返し流れていた。




     きっと君はとびきりの笑顔で 僕に飛びつくんだ
     こんな幸せなことはない そう思わないかい?




第1話へ戻る

小さな後書き

最後は思いっきりクリアリでした。
大切な人の名前を呼ぶ。
ごく普通のことなんですけど,なんだか素敵なことだと思いませんか。

ちなみに今回の曲のイメージは,ジャズ。
だからちょっと,クサめの歌詞だったりします。

ノベルに戻る
トップ画面に戻る