異国のうたを歌おう


サランの街は昨晩よりも一段と冷え込んだ。
領主の屋敷の客室。立派な暖炉には,赤々と薪が燃えていた。



「この寒さは応えますねぇ。
 ・・・ああそれでも,私にはまだ厚い肉布団がある分,ましなのかもしれません」

柔らかなソファに身を沈めたトルネコは,お湯で割った果実酒を喉に流し込んだ。
グラスを持つ右手,その甲に縦に走る大きな傷跡が痛々しい。

「冷たい風が骨まで染みるわい」

暖炉の傍の揺り椅子で,ブライは湯飲みを傾けた後,ほおっと息を吐いた。
「美味いのぅ」と呟いて,しばし暖炉の火を見つめる。
勢いのある炎も,心までは温めることができない。



城を取り戻しても,消えたサントハイムの人々は帰ってこなかった。
城内は嫌味なほど何も変わっていなかった。美しい模様が織り込められた緞帳,使い込んで飴色になった調度,澄んだ水を湛えた中庭の池,今にも開きそうな花のつぼみ。
二年前に味わった絶望感がよみがえる。何もかも変わらずにそろっているのに,そこに息づいているはずの人間たちだけが足りない。
敬愛する王は王座にいない。



「・・・ところで,手の調子はどうかの?」
「えぇ大丈夫,もう痛くはありません。明日クリフト君がもう一度回復魔法をかけてくれるそうです。
 そうしたらきれいさっぱり,痕も残らないそうですよ。彼の魔法の効力は素晴らしいですね」
「そうじゃな。・・・あやつの前ではとても言えぬが,確かにたいしたもんじゃ」
「その言葉を聞いたら,クリフト君喜ぶだろうなぁ」

トルネコは思わず,カーテンが引かれている窓を見た。
今頃二人はどのあたりを歩いているのか。時間的にもそろそろ帰ってくるころかもしれない。
しかし力強いノックの音に,考えは中断される。

「トルネコいるか?」
「どうぞ,ノイエ君」


部屋に入ってきたノイエは,ブライを見て少しほっとしたようだった。


「なあトルネコ,その手ちょっと見せて?
 ・・・・・・うーん,やっぱ俺じゃ駄目かなぁ。中途半端な回復魔法だと傷残っちまうし。
 クリフトかミネアじゃないと無理か。ごめんな」
「ありがとう。えぇ,その気持ちだけで私はうれしいですよ」
「ライアンは?」
「ついさっき,部屋のほうに」

サランの領主ウェイマーは,一人に一部屋ずつ客室を用意してくれた。ここはトルネコにあてがわれた部屋だった。

「トルネコのそれ,酒?・・・あぁやっぱり。ブライのは?」
「梅昆布茶じゃ」
「それ好きだよなぁ。塩分取りすぎだってクリフトに怒られるぞ。全然怖くないけど」
「よう分かっておるではないか」
「そのクリフトがまだ帰ってきてないんだよ・・・。もちろんアリーナも」

ノイエは左手でピアスをいじくった。

「俺,ちょっと外行ってくるな。半刻くらい探して会えなかったら戻ってくるから。
 もしすれ違いになったらよろしく。あ,マーニャとミネアはもう部屋で休んでる」
「分かりました」
「じゃあな!」


片手を上げて部屋を後にしようとしたノイエは,ふと立ち止まってまた戻ってきた。
揺り椅子の前でしゃがみ込んで,ブライを見上げる。


「ブライ」
「なんじゃ?」
「長生きしたかったら, 普通のお茶にしたほうがいいぞ?」
「・・・そうじゃな」

へへっと笑って,ノイエは勢い良く扉を閉めて出て行った。




勢いが良過ぎたせいで隙間の開いてしまった扉を,トルネコはそっと押した。

「『みんな心配です』って,顔に書いてありましたね。ほんとにいい子だなぁ。
 ノイエ君だけじゃない,クリフト君もアリーナさんも,みんな」
「・・・のぉ,トルネコよ」
「はい?」
「わしは自分が情けない」

揺り椅子が軋んだ。

「姫様を励まし力づけるのがわしの役目だというのに。
 今その役目はクリフトが一人で負うておる。それどころかわし自身がこうして励まされる始末」
「いえ,それは」
「じゃが・・・」


湯飲みの底に溜まった濃い部分をすする。塩辛い。


「今日ほど若い者たちを頼もしく思った日はない」
「・・・えぇ,本当に」

身体を起こすと,トルネコは自分のグラスに湯と果実酒を足した。

「私の旅の目的は,伝説の天空の剣をこの目で一目見ることです。
 ・・・いや,もちろんそれは今だって忘れちゃいない。
 でもただ,今は単純に,彼らの傍にいられることがうれしくてたまらないんですよ」

トルネコはグラスを小さく掲げた。

「クリフト君がついてるんだ,なぁに,アリーナさんもきっと笑顔で帰ってくるでしょう。
 私たちはここでこうして,どっしり構えていましょう。それが年配組の務めだと思いませんか。ねぇ?」


ブライの口元が緩む。トルネコに空の湯飲みを突き出した。


「お湯だけ入れてくれんかの。塩分は控えねばな」




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小さな後書き

保護者組も,頑張っています。
さて,次は若者たちの出番です。

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