クリフトとアリーナは並んで歩いていた。どこへ向かうともなく,ただ気ままに。
外に行こうと言い出したのはアリーナのほうだった。

「特に行きたいところがあるわけじゃ,ないんだけどね」
「ええ。・・・せっかく久しぶりに帰ってきたんです,少し散歩しましょう」


クリフトはアリーナの手を取った。2年前は引っ張られた手。今日は少し,自分が引っ張ってみてもいいだろう。
路地を歩く。会話はほとんどなかった。手のぬくもりが二人をつなぐ。
窓から漏れるランプの灯り。魚の焼ける匂い。おこぼれを頂戴しようと扉の前で待っている猫。
いつだってサランの街はこうして,自分たちの帰りを待っていてくれる。


焦ることはない。
焦って道を見失ってはいけない。
2年が3年になることを恐れてはならない。


歩くうちに,クリフトの心は静まっていく。
夜明けを待つ森のような,内に動を秘めた静。それが彼の本質。
アリーナは一度強く手を握ったあと,ふっと力を抜いた。

「なんだか安心する。クリフトと歩くと」
「幼い頃を思い出されるからでは,ないですか?」
「そうかもしれない。・・・それだけじゃないと思うけど」

子供時代,旅立ちの日,昨日,そして今日。
思えばアリーナがサランを訪れるときには,必ず隣にクリフトがいた。



街灯の灯る大通りに出た。この時間はまだそこそこの人通りがあった。
クリフトの淡い青の髪に気がついた人たちは,ぎょっとした。しかし,彼の正体に思い当たると,皆すぐに笑顔になる。
そっと見守るような視線を受けるたびに,クリフトは静かに目礼した。

アリーナは少しだけ表情を崩した。

「昨日の昼間にも思ったんだけど,やっぱり髪の色だけでばれちゃうのね」
「そうですね。でも,サラン限定です。他の街では大丈夫ですから」
「クリフトがクリフトだって分かってるってことは,その横にいるわたしが誰なのかも・・・気がついてるのかな」
「・・・中には,そんな人もいるかもしれません」
「そうね」

この街が温かいのは,きっと,そこに住む人々のせいなのだろう。





大通りをそれて脇道に入る。二人の足が自然と同じほうに向く。
井戸のある広場。街外れの古い小さな宿屋。
それはアリーナが城を飛び出したあの夜に,二人で歩いた道だった。

振り返る。思い出す。そして前を向く。
昨日より今日,今日より明日を見る。
自分たちはそれができる人間だと,二人はお互いに悟っていた。



「この辺り,だったよね」
「はい」

草原の一歩手前。アリーナにせがまれ,この場所でクリフトは歌を歌ったのだった。

「あの頃は全然気がつかなかったけど」

繋いでいた手を離し,アリーナはクリフトと向かい合った。見上げる。

「最後のフレーズに,結構,感情込めてた?」
「・・・・・・」
「ありがと」

ようやく見せた笑顔は,夜空に浮かぶ糸のような月より遥かに明るい。
ことん,と倒れこんできたアリーナの身体を,クリフトは抱きとめた。



「・・・一緒に行こう,次の季節も」


アリーナは最後の歌詞を,歌わずに唇に乗せた。

「一緒に行こうね?クリフト。もう少し,かかりそうだけど」
「ええ。昨日,約束しましたから。それに」

瞳の青が深みを増す。

「誓いました。生きてあなたの傍にいる,と」
「・・・うん。このロザリオに懸けて,誓ってもらったわね」

服の上からでも分かる十字の感触。そのあたりに,アリーナはそっと頬を寄せて,目を閉じた。
お互い,言葉にできないほどの思いで満たされる。身じろぎしただけで気持ちが溢れ出しそうで,二人はそのまましばらく動けなかった。


それでもやがて,アリーナはゆっくりと目を開ける。
吸い込まれるように視界に入ってきたのは,2年前には気がつかなかった物。
それは,今にも朽ち果てそうな木の立札。







ノイエは焦っていた。
サランの街はそれほど大きくはない。だからどこかで二人に会えるだろうと高を括っていたのだが。

「この街,細い路地多すぎだぞぉ・・・」

しまいには自分自身が迷子になりそうになる。今どの辺りにいるのか,正直まったくわからない。
クリフトとアリーナを探しにきたのに,このままじゃ自分のほうが探されかねない。
とりあえず明るいほうに向かって歩く。どこか大きな道に出てしまえばなんとでもなるものだ。


今朝の二人の様子を見て,ノイエはほっとした。
クリフトはしっかりと自分の意思で,アリーナに想いを告げたのだと分かった。
二人なら,大丈夫。今日受けた衝撃からもきっとすぐに立ち直れる。
そう分かっているのに,放っておけない。
身体が勝手に動く。自分のお節介っぷりにもほどがあるとノイエは思う。

心配だった。クリフトとアリーナだけではない。ブライはいつもどおりを装っているが,やはり落胆していた。
マーニャやミネアにしても,この戦いによって心の傷を癒すどころか広げてしまった。
手に穴が開くほどのトルネコの大怪我も,できることなら自分が癒してあげたかった。


剣も,魔法も,何もかも中途半端な自分が嫌だった。
強くなりたい。
剣をライアンに習おう。魔法をマーニャに習おう。そう思った。
大切な仲間たちを守りたい。

だからこそノイエは,今もこうして,皆の心だけでも守ろうと足掻いている。



聞き慣れた笑い声が耳に飛び込んできたのは,大通りに出る一歩手前だった。
路地の右手に,4,5人入れば一杯になってしまいそうな,カウンターだけの小さな酒場があった。
そっと覗き込んでみると,髭を蓄えた50絡みのマスターが静かにコップを拭いている。
客は二人だけ。やはり,クリフトとアリーナだった。

アリーナは笑っていた。内側から零れるような,自然な笑顔だった。
傍らのクリフトに何か話す。クリフトが頷くと,また笑う。
あまりに幸福すぎるその空間。不意に幼馴染の少女を思い出した。胸にちくりととげが刺さる。
それでもノイエは純粋に,穏やかな二人の様子を見てうれしいと感じた。
アリーナの視線が流れて,ノイエの前で止まった。大きな目がさらに大きくなる。

「ノイエ!!」
「よぅ」
「ノイエ,どうしてここが?」
「街中探したんだぞ。お前らの邪魔してやろうと思って」
「ぇえ,なにそれー」
「しっかし,今日寒いよなぁ,外歩いててすっかり冷えちまった。
 俺もなんか飲もー!・・・って,二人ともなにスープなんか飲んでんだよ!ここ酒場じゃん!!」


柔らかい気配がするその店に,ノイエは飛び込んでいった。



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小さな後書き

自分の弱さを知っている人は, 前を向いて歩いていける強さを持っているんだと思います。

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