きみのためにうたを歌おう

クリフトの歌が聞こえる。続きの間から扉越しに届く,穏やかな声。
夏の終わりの風が,北の窓から東の窓に抜ける。ティーカップの中のお茶の香りを,部屋全体に広げていく。
その心地よさに,思わずうとうとしそうになる。うっかり寝てしまわないように,アリーナはカップを手に取り,お茶を一口含んだ。



廊下から続く扉が3回叩かれた。口の中のお茶を飲み込んでから,アリーナは返事をした。



「・・・はい」
「アリーナ?俺」
「えっ?」

耳に馴染んだその声に驚き,アリーナは慌ててソファーから腰を挙げて,扉を開けた。
その向こうには,おなじみの笑顔。


「よっ」
「ちょっとだけ久しぶりね!ノイエ」
「だな。元気にしてたか?」
「うん,このとおり」

挨拶代わりに友人を軽く抱きしめ,頬にキスをする。同じように返してもらってから,アリーナはノイエを部屋の中に招き入れた。

「とりあえずここ座って,休んでて。クリフト隣の部屋にいるけど,もうすぐ戻ってくるから」
「さんきゅ。・・・お?あいつ歌うたってる?」
「うん。子守唄」

ぶっ,と噴き出してしまうノイエ。

「・・・相変わらず寝かしつけるのはクリフトの役目なのかよ」
「だってクリフトの歌聴いたら,あの子達一発で寝ちゃうんだもの」
「まぁ,そりゃそうだろうな。じゃあちびどもとは次回にでも遊ぶか」
「うんよろしく。でもノイエ,今日は随分早いのね。驚いちゃった」


サントハイム城内の礼拝堂では,定期的にミサが行われる。王族と一部の貴族など,王家に親しい者だけが参加する小規模なものだ。
それを聞くことを口実に,ノイエとシンシアは度々,アリーナとクリフトの元に遊びに来ていた。
ミサは夜に行われる。二人が来るのはいつも夕方だった。今日はまだ,昼を回ったところ。


「あ,いや。今日の夜,行けなくなっちまったから,先に伝えとこうと思って」
「えっそうなの?残念ね・・・」
「悪いな。いや,シンシアがちょっと・・・」


不意に,扉の開く音がした。続きの間からクリフトが姿を現す。
クリフトはノイエがいることに驚かなかった。声が聞こえていたらしい。


「いらっしゃい,ノイエ」
「おぅ!元気そうだな」
「えぇ,あなたも」

二人はいつものように腕を回して,肩と背中を軽く叩き合った。

「ちびどもは?」
「ぐっすりです」
「はは,さっすが」
「ね,言ったとおりでしょ」
「今少し聞こえたんですが,シンシアさん,どうかされました?」
「あぁ,や,ちょっとだけ具合が悪くて」
「えっ?大丈夫なの」
「ほんとに大したことはないんだ。悪いな,二人とも心配させちまった」
「いえ・・・。風邪でもひかれましたか」
「いや,違うと思う」



ノイエの表情が曇った。



「なんかな・・・。急に立ちくらみで倒れそうになったりとか。
 あと,食事の前に気持ち悪そうにしてたりとか。顔色も悪かったり。
 あ,普段は普通に元気なんだ。たまにそうなるだけ。
 昨日の夜くらいから微熱が出てるみたいだから,念のため休んでろって言ってある」



それを聞いたクリフトとアリーナは,無言のまま顔を見合わせた。
しばらくぼんやりとしていたノイエも,やがて二人の様子がおかしいことに気がつく。


「おい?なんで急に黙って・・・」
「ねえクリフト,このあとってミサまでは用事なかったわよね」
「えぇめずらしく」
「じゃあ決定ね」
「はい。念のため専門医も連れて行きましょう。ちょっと失礼します」


クリフトはすばやく部屋を後にした。
一人状況を把握できていないノイエは,突然の展開にただ呆然とするばかりだった。


「なんだ?おい,なんなんだ?」
「ノイエよかったわね,クリフトが診てくれるって」
「診てくれる・・・って,あ,シンシアを診察してくれるってこと?」
「そうそう」

クリフトは医師の資格を持つ。旅をしていた頃,ノイエは彼の医学知識に散々お世話になった。

「ありがと!助かる。あんまり治らないようだったら,ブランカあたりの医者に診てもらおうと思ってたんだ」
「ほかの医者も一人連れて行くから。女性だから安心して」
「あぁ。わりぃな」
「気にしないで」

これでシンシアの不調の原因が分かると喜んでいるノイエは,ニコニコしすぎて不自然なアリーナの様子をまったく気にも留めなかった。








いつものようにノイエのルーラで村に移動し,そしてやはりいつものようにクリフトのルーラ酔いが治まるのを待ってから,皆はノイエの家の玄関をくぐる。


「お帰りなさ・・・あら」

出迎えたシンシアは,来客に少し驚き,そして喜んだ。
体調は随分よくなったらしい。顔色も普通だった。

「こんにちは。ノイエについてきちゃった」
「お久しぶりですシンシアさん」
「こんにちは,アリーナさん,クリフトさん。すみません,今晩行けなくなってしまって・・・・・・?」

後ろに控えている年配の女性に気が付き,シンシアの言葉が止まる。

「お医者さんだよ。シンシアのこと診てくれるって」
「あ・・・」


そのときのシンシアの表情を見て,クリフトとアリーナは確信した。




第2話へ進む

小さな後書き

気がついていないのは,一人だけです。

ノベルに戻る
トップ画面に戻る