「病気ではありませんよ」


基本的な診察を終えたクリフトはそう断言した。


「ほんとか!?よかった・・・。じゃあ原因はなんな・・・」
「あせらずに。後は,専門医に任せましょう。・・・お願いしますね?」
「はい」

医師の女性は笑顔で頷く。

「すみませんが,どこか別の部屋をお願いできますか?」
「え・・・あぁ,そっちの部屋だったら大丈夫だけど」
「ありがとうございます。・・・さぁ,こちらへ」


シンシアをつれて別の部屋に移る医師を,ノイエは不思議そうに見送った。
自分の後ろに立つアリーナとクリフトに向き直る。


「なあ・・・。病気じゃないんだろ。じゃあどうして専門医の出番になるんだ・・・?
 というかなんの専門?」

ほんとに気がついてないのねと,アリーナは笑う。

「ノイエ,残念だけれど,シンシアさんの体調はしばらくこんな感じだと思うわ」
「は?だから病気じゃないんだろ?なんで・・・」
「だって治しようがないんだもの」
「な・・・」
「アリーナ,その辺にしてあげてください」

クリフトにやんわりと諌められ,アリーナはごめんなさいと肩をすくめた。二人の表情が妙に明るい理由が,ノイエにはさっぱり分からない。


「ねぇノイエ。2年半くらい前のわたし,どうだったか覚えてる?」
「どうだった,って・・・。
 んと,2年半前ってことは・・・俺が結婚するちょっと前くらいか?あの頃確か,すっげぇ苦しそ・・・」



ノイエの表情が固まった。




アリーナを見た。
彼女はこくこくと,何度も首を縦に振った。
クリフトを見た。
彼はほほえんだまま,ゆっくりと頷いた。



それでもまだしばらく固まっていたノイエだったが,背後の扉の開く音にようやく呪縛が解ける。慌てて振り返った。

医師の女性に続いて,シンシアが部屋から出てくる。
すぐに彼女の元に駆け寄った。が,聞きたいことがたくさんあるはずなのに,言葉がうまく思い浮かばない。
仕方なく,無言のままシンシアの右手を取った。強く握る。


「・・・診察結果は?」


クリフトの問いに,女医はにっこりと笑って返事をした。


「間違いなくご懐妊されています」

「ノイエ,シンシアさん,おめでとう!!」
「おめでとうございます!」


懐妊。その言葉の意味が頭の中に浸み込んでも,しばらくノイエはそのまま立ち尽くしていた。


「子供,授かったってこと,だよな・・・?」
「ええ」

シンシアは夫の瞳を見つめながら,はにかんだように笑った。
左手をそっと自分の腹部に当てる。

「春の初めには,生まれるそうよ」
「そっ・・・か・・・」


呆然としたまま,ノイエはシンシアの左手の上に,自分の右手を重ねた。
いつもより高めの体温が伝わってくる。これは二人分の温もりなのだと理解するまで,また少し時間が掛かった。


「大切に育むわ」
「・・・・・・」



うれしい。うれしい。
でもあまりに驚きすぎて,いつものようにはしゃげない。ノイエの顔はまだ引きつったままだ。

それでもただ,この気持ちを伝えたくて。言葉もなく,ノイエはシンシアの華奢な身体を抱きしめた。
力だけは込めすぎないように,細心の注意を払いながら。









「もしかしたら,そうなのかしらとは,思っていたのだけど・・・」


すぐに言わなくてごめんなさいと,ダイニングテーブルの椅子に腰掛けたままシンシアは謝った。
お茶を入れようとしたシンシアを,ノイエは無理やり座らせたのだった。


「そのせいで,こんなに心配させてしまったわね」
「気にすんなよ。確かに,はっきりするまで言えないよな。だって・・・」


天空人が子供を授かる可能性は,皆無に等しい。
ノイエもシンシアもそのことを知っていた。しかし,皆無ではない,ということも知っていた。
だからこそ,シンシアはなかなか言い出せずにいたのだった。

ノイエに言って。喜ばせて。そして医者に診てもらって,もし違っていたら。


「・・・でも,間違いなくここにいるのね。赤ちゃん」

目を伏せて,シンシアはほほえんだ。向かいに座るアリーナの顔もほころぶ。
クリフトはシンシアの代わりにお茶を淹れながら,医師らしく助言をする。

「しばらくは体調が不安定になるでしょう。無理をせず,具合が悪いときは休んで。
 あ,そうだ。安定期に入るまで,ルーラは絶対に禁止ですよ。
 それから,しっかりと栄養を取りましょうね。チーズやミルク,多めに食べるように心がけてくださ・・・」
「そんなんじゃ駄目よクリフト」

ひょいっと席を立ったアリーナは,シンシアの横に移動した。

「休んでてもどうにもならないこともあるし。ご飯食べたくても気持ち悪くて食べれないときもあるし。
 うん,やっぱり女同士じゃないと分からないこともあるわ。シンシアさんちょっと来て。あっちでお話しよ!」
「え?・・・ええ」
「あなたも来て」
「かしこまりました」

アリーナはシンシアの手を取ると,彼女を隣の部屋へ連れ込んでしまう。
女性の医師がその後に続く。扉がガチャリと閉められる。
男たち二人は,完全に取り残されてしまった。



「つ,連れてかれちまったな・・・。どうする先生?形無しだぞ」
「はは・・・。では私はあなたと,男同士でないと出来ない話でもしましょうか」
「お,今の切り返しちょっとよかった」


クリフトは笑うと,友のカップにお茶を注いでから,椅子に腰を下ろした。
ノイエはすぐにカップに口をつけた。久々のクリフトのお茶はやはりおいしい。家にある茶葉を使ったはずなのに。淹れ方が違うのだろう。
にやっと笑って,うまいと告げる。いつもと同じその反応を見て,クリフトはほっとした。ノイエもだいぶ落ち着いてきたようだ。


「・・・驚いたでしょう」
「あぁ。思ってもみなかった」


カップを置いて,ノイエは頬杖をつく。


「なんていうのかな。授からないのが当たり前だと思ってたから。で,十分幸せで・・・。
 子供はできて当たり前,みたいな考え方,俺はきらいで。
 あ・・・,俺が半分天空人で子供が授かりにくいとか,そういうのはこの話自体には関係ないぞ」
「えぇ,分かっています」
「子供がいて幸せってのは分かるけど,だからって,子供がいないから幸せじゃない,ってのは,絶対に違うと思う。
 故郷の村でシンシアと一緒に暮らせて。俺はもうほんとに幸せでさ。シンシアもそうだったと思う。
 それ以上なんて考えてなかった。俺達に子供がいたら,っていうの,あんまり想像してなかった。
 だから,余計にびっくりして。・・・あぁ,なんかうまく言えないな」


うつむいたままノイエは首をゆっくりと振ると,顔と手のひらの間で潰されていたピアスを指で軽くはじいた。
空いているほうの手で,カップの横に添えられた角砂糖をつつく。


「・・・でもほんと,すごいうれしい。声上げて騒ぎたかったのに,逆に声出せなかったくらい,うれしい」


俺は父親になるんだな。
つぶやいたノイエの,その表情。
それを見ただけで,クリフトはうっかり泣きそうになる。


「おい?泣くのは生まれてからでいいぞ」
「・・・えぇ,そうですね」
「ほんっとに,変わってないなぁお前」
「あなたも」
「そうか?」
「変わったけれど,変わらない」
「・・・かもな。とりあえず,これからも色々とよろしく。これに関してはお前のほうが二年半先輩だしさ」
「はい」


まだまだ歳若い青年たちは,手を上に向けて握手をした。




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小さな後書き

22歳の父親たちの,静かな会話です。
そしてクリフトなにげに,アリーナを呼び捨てで呼んでますね。

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