扉の開く音と共に,女性達の話し声が聞こえてきた。アリーナたちがようやく戻ってくる。


「お待たせ。ちゃーんと話,しといたわ」
「お帰りなさい。お疲れさまです」
「さんきゅ,アリーナ。シンシア大丈夫か?早く座れって」
「ううん,平気よ」

その表情からは,無理をしている印象は受けない。本当に体調がいいのだろう。

「ノイエ,大事にしてあげてね」
「もちろん」
「きっと元気な赤ちゃん,産まれるわ。わたしにだって産めたもの」
「シンシアのほうがお前よりもだいぶ細いけどなー」
「その分わたしは二人同時よ?」
「そうだったな!」

今日ばかりは肘うちを勘弁してあげるわ,とアリーナは大げさに肩をすくめ,代わりに右手を高く上げる。
ノイエはその手に自分の手を合わせ,タイミングよく打ち鳴らした。ぱぁんと小気味よい音が響く。二人は満足げに笑い合った。

「いい音したね!・・・じゃあ,わたしたちはそろそろおいとまするわね」
「あ・・・。ほんとだ,結構時間経ってたんだな。悪い,忙しいときに」
「いえ,ミサは夜からですから。それまではちょうど空いていたんです」
「そっか。そういやルーラが駄目だったら,しばらくそっちに行けなくなるな・・・」
「落ち着いたらまた,クリフトさんの聖歌を聴きに,サントハイムにお邪魔させてください」
「えぇ。いつでもお待ちしてます」


残念がるノイエとシンシアを見て,クリフトはふと,思いついた。



「・・・では,歌わせてください。ここで」
「え・・・?」
「いいわね!クリフト,歌って」
「いや,すっげぇ嬉しいけど,でもまた夜に歌わないといけないんだろ?」
「ミサでは,天の神と地上の人のために歌います。
 でも今は,ここに在る小さな命のために歌いたいんです」


歌わせてください。再度クリフトは言った。



ノイエとシンシアは顔を見合わせ・・・,そして,頷く。


「ありがとう,クリフト。頼んだ」
「お願いします」
「はい」



アリーナに勧められて,シンシアは椅子に座った。ノイエはその後ろで膝立ちになって,両腕をシンシアに回す。
その横にアリーナは立ったまま並ぶ。女医は壁際に控えた。



歌の前に,クリフトは祝福の言葉を紡ぐ。


「・・・どうか,この命が健やかに育ちますように。
 この空に産声を上げ,この大地に立ち,人々に包まれ,この世界の全てに愛されますように」


クリフトは左手を胸に当て,すぅっと息を吸うと,流れるように歌いだした。





ミサのたびに,一度は歌われる聖歌だった。
シンプルなメロディ。一音一音が長く伸びる。
本来なら四声に分け,声を重ねて歌う曲。だがクリフトは,一声だけで皆を十分に引き込んでいく。



神聖語で綴られた歌詞の意味は,ノイエとシンシアには分からない。だが,言葉の壁を越えて伝わってくるものがある。
心が,捕らえどころのない清らかな何かで満たされる感覚。
感情や知性を超えたその果てにある,清冽で,かつ透明な美。
恐ろしいほど澄みきっているのに冷たくはなく,むしろ温かさすら感じる歌声は,祝福に溢れていた。



クリフトは歌う。
友の血を受け継ぐ,小さな命のために。
祝福の言葉どおり,健やかに育まれ,すべてに愛されて,そしてこの森が長い冬の眠りから目覚める頃に,元気な産声を響かせてくれるに違いない。


竜の神の前で,『俺は,人間だから』と告げたノイエ。
やがて長い年月を経ていくうちに,彼の子孫は,天空人の血脈だということを徐々に忘れていくのだろう。
こうしてノイエの血は,この地上に生きる人々の中に溶け込んでいく。





最後の一音まで大切に歌い上げて,クリフトは左手を胸から下ろした。
歌が終わっても,しばらく誰も動こうとしなかった。まだこの場の空気には,歌の余韻が色濃く残っていた。





「っく」




息をせき止めるような音がした。
声の主の顔を見て,皆驚く。

ノイエが,泣いていた。



「うっ,わ・・・,くそ,やられた・・・」


今までに何度もミサで聴いた曲だというのに。この木で出来た家の中では,声もろくに響かないはずなのに。
気がついたら涙が頬を伝っていた。止められなかった。


シンシアが振り返って,ノイエの涙をそっと指で拭う。

「・・・あぁ,どうしよ,止まんねえ。・・・俺,泣くのあんまり好きじゃないのに・・・」
「ノイエ・・・。いいんですよ,泣いて」


相手が辛く悲しい思いをしているときに,安易に『泣いてもいいんですよ』と呼びかけることは絶対にしない。
だが,こういうときの涙は無理に抑えなくてもいいと,クリフトは思っていた。



「俺,歳とって涙もろくなっちまったのかな・・・」
「22歳でそんなこと言ってたら,ブライに杖でつつかれるわ」

アリーナがその肩に手を置いて言う。

「・・・そうだな」


泣きながら,ノイエは笑う。
そしてその場にいる全員に向けて,感謝の言葉を贈る。



「ありがとう」



それから,もう一度シンシアの身体に腕を回して,背中から抱きしめる。



「大切に,しような」
「えぇ」



手をそっと,シンシアの腹部に添えた。






「・・・元気に産まれてこいよ。春に,待ってるぞ」




まだ触れても分からない,小さな小さな命。
だがノイエは確かに,その手を通して伝わってくる,力強い返事を感じた。



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小さな後書き

今回の歌は,小さな命に贈られた祝福の歌でした。
その命は両親と同じように,大地に愛され,森に育まれ,人々の温もりに包まれて健やかに育っていくのでしょう。

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