lifeblood


山間から薄く差し込む夕陽に染まったテンペの村は,重々しい空気に包まれていた。
家々の煙突から炊事の煙が上がっている。だが,夕食時独特の活気がまったく感じられなかった。

俯き加減で歩く村人たちの顔には笑顔がない。会話もない。
アリーナたちが声をかけても,立ち止まりもしない。


「サランとは大違い・・・ね」
「皆さん山仕事で疲れていらっしゃるんでしょうか」
「いやそれにしても,これは・・・」


村から北に伸びる道が封鎖されていた。ここを通らないことには先へ進めない。
一体何があったのか。三人は身分を隠したまま村長の家を訪ね・・・その事実を半ば無理矢理に聞き出した。




「わたしが,倒すわ」

意外なほど静かに,アリーナは告げた。
肩が震えていた。







「少し狭いですが,どうかご辛抱下さい」

村人はそう言って謝った。
大きめの駕籠だが,さすがに三人入るときつい。

「クリフトおぬし無駄に手足が長いのう」
「すみません・・・。せめて神官帽は置いていきます」
「わたしも帽子,取ったほうがいいみたいね」

クリフトとアリーナが帽子を取ると,少し場所に余裕が出来た。
視界がぐらりと揺れる。駕籠が宙に浮いた。三人は息を潜めた。



昨日は村に一軒だけの宿に泊まった。
若い娘を生贄に。定期的に繰り返されるおぞましい行事は,ちょうど今日行われる予定だった。
一行は娘の代わりに駕籠に入った。生贄を要求する魔物を打ち倒すために。




アリーナは拳を握り締めた。
今まで何も知らなかったことが,悔しかった。自分だけのせいではない。それは分かっている。
テンペの村長は魔物の報復を恐れ,このことを外部に漏らすことを禁じてしまった。
せめてサランに伝わっていれば。サランは国内の各都市を総括する役目を持つ。
サランに入った情報は即座に城に伝わる。そして兵が動いていたはず。
・・・・分かっている。でももし,自分がもう少し早くこの村を訪れていたなら。
再び,アリーナは拳を固める。



クリフトは深呼吸した。
背中の剣が駕籠の中では邪魔になるので,足の間に立てて挟み,手で抱え込んでいる。
昨日は話を聞くうちに泣きそうになった。一体何人の娘が命を落としたのだろう。
これから戦う相手は,その娘たちの命を奪った魔物。
サランからテンペまでの道程で,何体も魔物を手にかけた。恐怖心はあったが,罪悪感はなかった。稽古の時よりもむしろ冷静に剣を振るう自分に驚いた。
全ての生き物の命が大切。そんな風に思っていたはずなのに。だがもう,建前は吹っ飛んだ。
せめてその瞬間の,剣にかかる重さを忘れずにいよう。
クリフトはもう一度,ゆっくりと息を吸う。



ブライは杖の先の宝玉に触れた。
氷の魔法を使ったのは一体何年ぶりか。昨日はバッタを三匹ほど氷漬けにした。
二人ともそれなりに戦える。だがまだどこか危なっかしい。戦いそのものの恐ろしさを理解していない。
後ろからひっそりと援護する。二人の死角から襲い掛かろうとする魔物を冷たい刃で貫く。それが自分の役目。
大きな怪我を負わせるわけにはいかない。どちらにも。
ブライは杖を手にしたまま,静かに目を閉じる。




どん,と縦に揺れた後,駕籠の動きが止まった。祭壇に下ろされたらしい。
駕籠を運んだ村人二人が,ものすごい勢いで走って逃げてくのがアリーナには分かった。

それぞれ武器を手にして,いつでも飛び出せるよう身構えた。
徐々に迫ってくる足音。どうやら複数いるらしい。
自分たちには理解できない言葉を話すもの,低く唸るもの,吠えるもの。
その声がぎりぎりまで近づいたとき,アリーナは二人に目で合図し,一気に飛び出した。

「やぁっ!!」


アリーナの拳は惜しくもすんでのところで避けられてしまった。
突然の奇襲に驚いている魔物たち。アリーナの攻撃を避けたのは,爬虫類の顔でありながら二足歩行をする魔物。
その他に大きな犬のような獅子のようなものが二匹いた。

「カメレオンマンと暴れ狛犬じゃ!」

カメレオンマンは杖を振り上げ,耳障りな声で何か叫んだ。
すると二匹の暴れ狛犬がその前に立ちはだかった。
重なる唸り声。口元から垂れる唾液。後ろでニヤニヤと笑う不気味な顔。
こんなやつらに彼女たちは。アリーナの怒りは頂点に達した。


「・・・覚悟しなさい!!」


またもやアリーナは飛び出した。左の暴れ狛犬に向かう。
頭上から襲い来る鉤爪をかわして,逆の前脚を蹴る。敵が僅かにバランスを崩した。
その隙を逃さずアリーナは次々と拳を打ち込む。



「ブライ様,私の後ろにっ」

抜き放った剣を正面に構えてクリフトは叫んだ。
道中ではここまで大きな魔物には出会わなかった。どうしても恐怖を感じてしまう。アリーナのように自ら飛び込めない。
さらにブライを敵の攻撃に晒すわけにはいかない。守りつつ攻めなければ。クリフトは唾を飲んだ。

「落ち着いて行けば大丈夫じゃクリフト」
「はい!」


唸り声,そして風圧。
剣と鉤爪がぶつかる。そのまま受け流して横に回った。
こちらに噛み付こうと迫ってきたその顔を,クリフトは剣で水平に払う。鼻先を切られた暴れ狛犬は,まるで子犬のような悲鳴を上げた。

ブライはいつでも魔法を発動できるよう,杖を掲げて意識を集中させた。
目はアリーナとクリフトを交互に追う。どちらかに危機が迫れば,すかさず氷の刃で敵を仕留めるために。
しかしこの調子だと,自分の出番はまだなさそうだった。



アリーナは身を屈めて敵の懐に入った。全身をばねにして飛び上がる。

「たああっっ!!!」

スピードを乗せた拳に突き上げられ,暴れ狛犬は吹っ飛び仰向けに倒れた。魔物とはいえやはり動物。腹が弱い。
先ほどまで唾液を垂らしていた口から,霧のような血が噴き出した。その喉元にアリーナは体重をかけて右膝を落とした。
ごきりと嫌な感触がして,暴れ狛犬は動かなくなった。



前脚の攻撃を剣で受け,お返しに小さな傷を追わせる。
クリフトはひたすらそれを繰り返していた。落ち着いて行けば大丈夫。ブライの言葉を頭の中で繰り返す。
かすり傷だらけの暴れ狛犬はついに痺れを切らし,大きく跳躍して襲い掛かってきた。
今度は受けずに避け,敵の背中に回って剣を素早く逆手に持ちかえた。

「はっ!」

小さな気合いの声と共に,渾身の力を込めて腕を下ろす。
剣自体の重さも加わったその一撃は,頭を貫き左目に抜けた。
地響き。舞い上がる土煙。

巨体から急速に力が抜けていく。
力尽き倒れた暴れ狛犬からクリフトは剣を引き抜いた。刀身に絡みつく血の多さに僅かに動揺したが,すぐに大きく振って血を飛ばす。
大きく息をついてから後ろを振り返ると,アリーナもちょうど敵を倒したところだった。
すでにその目はカメレオンマンを見据えている。

「あとはお前だけよ!」

今だ嫌味な笑みを浮かべたままの魔物。
アリーナの傍へ寄りながら,クリフトは僅かな違和感を感じた。



・・・変だ。
どうしてこの状況で笑っていられる?



答えに気がついた。
身体が動いた。



肩を押され,アリーナはよろめいた。
寄りすぎてクリフトとぶつかってしまったのかと,ちらりと右を見た。

その視界を何かが横切る。

「え?」




   ザシュっ




緑の布が染まる。
それは,花よりも宝石よりも濃く鮮やかで美しい赤。


「・・・っいやあぁ!!!」




アリーナの目の前でクリフトは脇腹を抉られ,倒れた。
ブライの氷の魔法が飛ぶ。喉をつぶされながらもしぶとく生きていた暴れ狛犬に止めを刺す。

「クリフト!・・・クリフト!!」

アリーナはクリフトの元に座り込んで,叫ぶように名を呼ぶ。
自分のせいだ,自分がちゃんと敵の生死を確認していれば。
血は溢れ続けている。傷が内臓にまで達しているのかもしれない。

それでも,クリフトの意識ははっきりしていた。
衝撃と激痛のために顔をゆがめながらも,しっかりとした声で言った。

「私は大丈夫です,早く残った敵を!」
「・・・・・・分かったわ!」


いつもとさほど変わらないその声に,アリーナは少しだけ安心した。
クリフトは回復魔法が使える。大丈夫,大丈夫だと自分に言い聞かせて,カメレオンマンに向かっていく。
あの最低の笑みはもう消えていた。今その顔に浮かんでいるのは,動揺と焦りだけ。

脇を蹴る。胸に拳を叩き込む。叫びながらひたすら叩き込む。無我夢中だった。
杖の尖っているほうで左腕を打たれた。しびれる。皮膚が引っかかって僅かに削がれる。
勢いづいて,さらに叩こうとカメレオンマンが杖を振り上げたところに,ブライの氷の刃が襲い掛かった。

首に深く突き刺さる。黄色い目がかっと見開かれた。


「これで最後よ!!」


アリーナの回し蹴りが決まった。吹っ飛んだ身体は木の幹に打ち付けられ,首があらぬ方向に曲がる。
カメレオンマンは小さく痙攣した後,だらりと腕を落とした。杖が地面に転がり金属音を立てた。




間違いなく息絶えたことを確認すると,荒い息のままアリーナは振り返った。
クリフトは倒れたままだった。ブライが傍で名を呼んでいるが,まったく反応がない。
アリーナは慌てて駆け寄った。

「クリフト!?」
「・・・大丈夫ですじゃ。自分で回復魔法をかけたようですわい」
「でもまだ怪我が」

左の脇腹の傷はとりあえず塞がってはいるものの,完全に治っているとは言いがたい。
かさぶたを剥がしたあとに現れる薄皮のような,赤い皮膚が傷口を覆っていた。
今にも破れてまた血が流れ出しそうで,危うい印象は拭えない。

「治りきる前に気を失ってしまったのでしょうな・・・。
 とにかく,早く宿に戻って寝かせてやらねば。さきほどの二人を呼んで参ります」

ブライは駕籠を運んでいた者たちを呼びに,教会へと急いだ。


アリーナはなすすべもなく,血の気を失ったクリフトの顔を見つめていた。
生粋のサントハイムの民である彼は唯でさえ色が白い。それが今や蒼白だった。
呼吸はゆっくりしているが,浅く頼りなかった。胸が僅かにしか上下しない。



「なんて無茶,するのよ・・・」




脳裏にちらつくのは母の最期の瞬間。


北からの山風が森を駆ける。
鳥たちはようやく,恐る恐る鳴き声を上げ始めた。

ブライと村人たちが戻ってきた。
クリフトを担ぎ上げて駕籠に乗せ,運んでいく。



その間もアリーナは,ただ,立ち尽くしていた。




第2話へ

小さな後書き

戦いは,命がけです。

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