ベッドの上のクリフトは,その身体を上掛けで隠してさえしまえば,ただ穏やかに眠っているように見えた。


「後は自然に目を覚ますまで待つしか,ありませんのう」
「うん・・・」


意識さえ戻れば,クリフトはまた自分自身に回復魔法をかけることができる。
今,アリーナたちにできること。それは,傷が開かないように念のため包帯を巻いておくことだけだった。
宿の主人と女将が手伝ってくれた。おかげで随分と早く終わった。

アリーナはブライと並んで,ベッド脇に寄せた椅子に座っていた。
クリフトはぴくりとも動かない。まだ起きる気配は,ない。
俯くと,真下の床板が欠けて指一本ほどの隙間があることに気がついた。意味もなくその穴の奥をじっと見ていた。


先ほどようやく正午を過ぎた。
薄暗い部屋。窓際のほんの僅かな場所だけが,白く見えるほど明るかった。
太陽が高い位置にあるせいで,かえって陽の光が入ってこないのだ。
まるで部屋ごとすっぽり,暗色の布で包んでしまったかのよう。

部屋の隅に置かれたたらいに,クリフトの神官服の上着が浸してあった。
包帯を巻くときに脱がせたそれを,女将がすぐに浸けてくれたのだった。
みるみる水の色が変わっていくさまにアリーナは言葉を失った。



「姫様のお怪我のほうは,大丈夫ですかな?」
「平気よ。ちょっと打たれてかすっただけだから。女将さんが手当してくれたし」


女将はアリーナの左腕にも包帯を巻いてくれた。
浅い傷だったのでたいしたことはない。だがその分本格的な血止めの処置をしなかったので,白い包帯には徐々に赤い模様が浮き出てきている。
そういえば今まで包帯など使ったことがなかったなと,アリーナは思う。
擦り傷,切り傷。怪我をしたらすぐにクリフトが治してくれた。
だが,逆の場合は。クリフトが怪我をしたときは。



「・・・クリフト,わたしのせいで怪我,したのに」

自分は何もできない。


「みんな,救えたかもしれないのに」

散ってしまった若い娘たちの命。それに対して今から自分にできることも,やっぱりない。


それでもアリーナは,せめて彼女たちに報告したいと思った。
魔物を倒したこと。もうこれ以上の犠牲者はでないことを。
アリーナは椅子から身体を起こした。


「・・・ちょっと外,行ってくるね」
「しかしお怪我が」
「大丈夫」







扉は随分,静かに閉められた。
クリフトが目を覚ましたのはその直後だった。

ぼやけていた視界が徐々にはっきりする。宿の天井が見えた。
自分が倒れてしまったことを,クリフトはようやく理解した。
上掛けの下でそっと脇腹に触れてみた。包帯が,少し巻きすぎなほどにぐるぐると巻かれていた。


「気がついたか」
「ブライ様・・・。っ・・・!」
「急に動いてはいかん!
 ・・・まだ傷は癒えとらんのじゃ。回復する余力はあるか?」
「はい,大丈夫です」

クリフトはゆっくりと上半身を起こした。途端に酷くなる痛みに思わずうめく。
少しずつ包帯を解いた。現れた赤い痕にぞっとした。もしあの時咄嗟に回復魔法を使わなかったら。
魔法力はまだかなり残っていた。クリフトは傷口に触れると,目を閉じて,癒しの力を注ぎ込んだ。
青く白い光が,暗い部屋を明るく照らす。

すうっと,光が消えた。痛みが完全に引いたのを確認してから,クリフトは触れていた手を除けた。
息が止まった。



脇腹に走る,引きつったような線。



今のクリフトの力ではここまでが限界だった。
深い傷の場合,怪我は治っても痕が残る。

「未熟者めが」
「・・・すみません」
「命を落としては意味がないと,自分で言ったばかりじゃろう」

言葉は厳しいが口調は温かかった。クリフトは顔を上げると,ブライを真っ直ぐに見た。

「いいえ。絶対に死なない自信があったんです」
「・・・そうか」
「ですが,ご心配をお掛けしました・・・申し訳ありませんでした,ブライ様」


まだどこか幼さの残る顔で謝られると,ブライもこれ以上強くは言えなかった。
アリーナだけではなく,クリフトの成長もブライはずっと見守ってきたのだ。
怪我を負わせてしまったことをブライは心から悔やんだ。氷の刃がもう少し早く敵に届いていれば。

ブライはクリフトの背中に薄手の毛布を掛けてやった。

「あ,すみません」
「今日はゆっくり休め。出発は明日じゃ。
 食事はできそうか?・・・では何か栄養のあるものを作ってもらおう。血が足りなくなっておるはずじゃ」


毛布の上からクリフトの背中をゆっくり2回叩いて,ブライは部屋を出て行った。





部屋に一人残されたクリフトは,しばらくそのままぼんやりとしていた。
脇腹の傷痕を見る。色の白い肌の上に赤く走るそれは,随分と目立った。

思わずアリーナを庇ったあの時。クリフトには確かに,死なない自信があった。確信に近かった。
自分はこれから先もずっとアリーナの傍にいる。だから,ここで死ぬなどありえない。
理由として筋は通っていない。だがクリフトは,現にこうして生きている。



そっと扉が開いた。
アリーナだった。身を起こしているクリフトに気がついて,ぱっと顔を上気させた。

「クリフト!気がついたのね!!」
「姫様・・・はい,もう大丈夫です」

アリーナは手に持っていたトレイをサイドテーブルに置くと,一気に上掛けをめくった。クリフトが止める間もなかった。
あらわになった傷に,その顔が一気に曇った。

「まだ,治ってないの・・・?」
「いいえ,怪我自体は治っています。もう痛くありません」
「でも痕が」

再び,大丈夫ですと笑って,クリフトはアリーナの左手を取った。
腕に巻かれている包帯を解く。擦れたような傷が現れる。


「よかった。このくらいなら・・・」

クリフトが触れると,傷は瞬く間に治っていった。痕も残らない。


「・・・わたしの怪我より,自分の怪我を心配してよ」
「だから,本当にもう大丈夫ですよ?ほら」

脇腹を軽く叩いてみせる。

「痛くない?」
「えぇ」
「そっか」

小さな膝頭の上で,アリーナはぎゅっと拳を握り締めた。

「ありがとう。・・・ごめんね」
「いいえ。ご無事で,よかった」


アリーナを守ることができた。それが何よりだった。
心も,守ってあげたいとクリフトは思う。
大それた考えかも知れない。でも自分にしか守れないものが,必ずあるはずだ。



「クリフト,あのね。夜になったら歌ってくれる?
 身体が平気だったらでいいんだけど」
「え?」
「レクイエム」


遠くを見たまま,アリーナは言った。


「せめてみんな,ちゃんと天国にたどり着けるように」
「・・・はい」
「ありがと」

アリーナはクリフトの手から血で汚れた包帯をそっと奪って,ポケットにしまった。

「これ,しばらく持ってることにする。
 ・・・そうそう,食事を持ってきたんだったわ。ブライに頼まれたの」

サイドテーブルに置いていたトレイを取って,クリフトの膝に乗せた。
トレイの上には,温かなトマトスープ。柔らかく煮込んだ肉や野菜が沢山入っている。
ちゃんと食べてね。そう言ってアリーナは椅子に腰掛ける。クリフトが食べ終わるまで見届けるつもりらしい。

上半身が毛布を羽織っているだけだということに,クリフトは今頃気がついた。
アリーナの前でこれはまずい。慌てて服を探した。
箪笥の上にも,サイドテーブルの上にもない。

「あ,服ならあそこよ」

アリーナが部屋の隅を指差す。
たらいの水に自分の神官服が浸してあった。

「女将さんが,すぐに石鹸水に浸してくれたの」

大量に付いたはずの血の跡はもう,まったく残っていなかった。



クリフトは再び,傷を見た。
服の血は消えたが,この痕は消えない。一生残るだろう。
アリーナを守れた証がひとつくらいあってもいいかなと,クリフトは思う。
でももう,これ以上はいらない。アリーナとブライに心配をかけるようなことがあってはならない。

より強力な回復魔法を使えるようにならなければいけない。傷も残さず一瞬で回復できるような。
それ以前に,攻撃を食らわないようにしないと。
剣の腕をもっと磨こう。クリフトはそう決意した。



じっとこちらを見ているアリーナに笑いかけてからクリフトは,背中の毛布で身体を包んだ。
スープを口にする。柔らかな肉をさらによく噛んで,飲み込んだ。
胃に熱が広がる。冷えていた身体が徐々に温まる。新しい血の源になっていくのが分かる。


「おいしい?」
「えぇ」


怪我自体は完全に治した。若い自分は体力の回復も早い。明日にはもう,動けるようになるだろう。
栄養を取り込んで,失った血を取り戻して。それどころかさらに背を伸ばし筋肉をつけようとする。
生きるために足掻き,変わっていく自分の身体。
命の底知れぬ力を感じて,クリフトは不意に小さな感動を覚えた。



「天気だけは,いいわね」


窓の外に目をやって,アリーナは呟いた。
クリフトも外を見る。よく晴れていた。
夜までこの天気は持ちそうだった。当分雨は落ちてきそうにない。



レクイエムはきっと,空の向こうまで届いてくれるだろう。
祈りの歌は,娘たちの魂を迷わず天まで運んでくれるに,違いなかった。




第1話へ戻る

小さな後書き

lifebloodは訳すと鮮血ですが,活力の源泉,欠くことの出来ない要素という意味もあるそうです。
そんな気持ちも込めた,このお話。

ノベルに戻る
トップ画面に戻る