「どうしてこんなところに! リース,帰るわよ!!」
「はいお姉様!」

二人の足先がふわりと浮く。
我に帰ったアリーナは,すぐに駆け出そうとした。

「待って!お願い,待っ・・・」
「あっいけない,薬が」
「いいわよそんなの!さぁ早く!!」
「待ってーーーっ!!!」



伸ばした手は空を掴んだ。
エルフたちの姿は,予想以上の速さで天の彼方へと消えていく。


「いやああっ!なんで!どうして・・・っ!!」


また間に合わなかった。ブライに伸ばした手も。父のために伸ばしたこの手も。
自分の無力さを思い知る。この手さえ自由に伸ばせるのなら,何でもできると思っていたのに。

がくりとへたたり込んだアリーナの膝に,何かひんやりとしたものが触れた。



「・・・・・・?」



手に取る。


追いついたクリフトが,あっと声を上げた。



金色の鳥が蓋にとまっているような,凝った細工の小瓶だった。
見た目からは想像できないほど,ずっしりと重い。
瓶の中には,とろりとした蜂蜜色の液体が揺らめいている。



「姫様,もしかして・・・」

「・・・・・・これが,さえずりの蜜,なの?」



その通りだと言わんばかりに,中の液体は金の光をアリーナに返してきた。
アリーナの瞳にも,黄金色が宿る。
眉が上がる。口が開く。息が吸い込まれる。



「・・・・・・!!」


言葉にならない声を発したアリーナは,隣のクリフトの手を取ってぶんぶん振った後,そのまま彼に飛びついた。








準備はいいですか?
そう確認してきたクリフトの,繋いだ手が震えていた。
またルーラ酔いになるのが嫌なのか。それとも,自分の判断が正しかったかどうか証明されるのが怖いのか。

「うん,大丈夫」

大丈夫よ,とアリーナは二回繰り返す。

「・・・では,行きますね」


上に投げられたキメラの翼。それに引っ張られるように自分たちの身体が持ち上がったのが分かる。
後はルーラと同じ感覚だった。景色が流れ,並行感覚が揺らぎ,温度が感じられなくなる。
気がつけばもう,城の中庭に降り立っていた。


隣のクリフトがふらりと揺れる。倒れそうになるのを,必死になって耐えていた。
アリーナが横から支える。


「クリフト,だいじょ・・・」「やはり修業がたらんのう」




聞きなれた声。もう嫌というほど。
慌てて振り返る。



「ほっほっほ」



独特の笑い声。
白い髪,白いひげ,黒い目。



「・・・ブライ!!」「ブライ様!」




走りよる。飛びつく。

「ブライ!ブライ・・・!!」
「ご無事でなによりですじゃ」

居る。ブライは間違いなくここに居るのだ。


「・・・頑張られましたな」
「・・・うん!」
「クリフトも。よく二人で進む決断をしたのぅ」
「いえ・・・,ブライ様のおかげです」


後ろからゆっくりと歩いてきたクリフトは,まだ青い顔のまま笑った。
ブライの手が肩に乗せられる。その温かさに泣きそうになるのを,クリフトは何とかこらえた。


「見てブライ。これが多分,そうだと思うの」
「・・・・・・おぉ!手に入れられましたか」
「これでお父様も,声が戻ると思う」
「では早速,王のもとへ。姫様にしかできない役目ですぞ」


役目。その言葉にアリーナはどきりとする。
今回の自分は,あまりに役立たずだった。


「・・・うん,でも誰が蜜を渡しても一緒だけどね」
「ほっほ,何をおっしゃいますやら。娘から渡すのが一番でしょうぞ」


息を飲む。



そうだ。父の娘という役割をこなせるのは,自分だけ。
サントハイム王国第一王女という肩書き以前に,もっと単純で純粋な役割。

王女に生まれたことを拒絶したかったわけではない。その役割を自覚した上で,それでも旅に出たいと思った。
外の世界を知りたい。知って,成長したい。
そのことを,大切なそのことを忘れていた気がする。いつしか旅先で活躍の場ばかり求めて。


活躍の場は,自分の役割は,こんな身近なところにもあるのだ。



「・・・そうね。うん。・・・そうよね」
「さぁ,早く届けましょうぞ」
「うん!!」




ごめんねクリフト,今日は走っていくから!
まだまだ足元が怪しいクリフトにそう言い残して,アリーナは跳ねるように走り出す。
後ろでクリフトが返事をする。その声に押されて,さらに速度を上げた。

城の中にも,こんなに走り回れる場所がある。
それに気づいた後なら,外を走る感覚も違うだろう。




今度はこっそりとではなく,行ってきますと胸を張って告げて城を出よう。でもその前に。
おかえり。父王にそう言ってもらうために,アリーナは階段を駆け上がった。





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小さな後書き

外を知り,そして改めて内を知ったアリーナ。
明日からの旅は,これまでとはまた違ったものになるのでしょう。
アリーナの心に蜜よりも密に満ちた光は,彼女をまた少し成長させてくれました。

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