アリーナの表情に変化はなかった。なさすぎた。
クリフトを見上げたまま,ただ,黙っている。
彼の言葉の意味がとっさに理解できなかったのだ。
『このまま上に進む』
上に進む。
・・・つまり。
赤い瞳が一気に燃えた。
「・・・どうして!? え,だってブライ,探して,どこかで,だからきっと・・・」
「この塔は外から見たところ,かなり先細りになっていました」
クリフトはアリーナの言葉を途中で遮った。
眉はまだ寄せられたままだ。
「四階と五階は相当狭いはず。足場も,少なくとも四階はしっかりしていると思います。
この階の天井に穴はありませんでしたから」
「・・・・・・」
「だから,ここからならすぐに一番上までたどり着けるのではないかと。
四階に上がる階段も,そこに見えていますし」
「でも,それだったらブライを見つけて合流してからでも・・・」
「ブライ様はもう,この塔にはいらっしゃいません」
そう断言したクリフトに,アリーナは苛立ちを覚えた。
マントの右の端をぐっと掴む。ちゃんと分かるように説明して欲しい。
「だからどうして」
「下の床にぶつかる前に,脱出されたんです」
「・・・えっ」
「さっき姫様が予想されたとおり,魔法で移動されました」
「じゃあブライは!!」
「はい。怪我もされてないと思います」
「よかった・・・!」
アリーナはほっと息をついた。
途端,逆に今までどれだけ張り詰めていたのかが分かる。
落ち着いてクリフトの話を聞こう。そう思い,力を抜くために軽く肩を動かして息を吸った。それからゆっくりと吐く。
「・・・ブライは今どこに?」
「使われた呪文は,リレミトだと思います。建物や洞窟の外まで脱出する魔法です」
「そしたら,入口のところに戻っているのかな」
「おそらく。でも,そこにももう,いらっしゃらないと思います」
「?」
意味が分からない。
今度は,おとなしく説明の続きを待つことにした。
クリフトのほうも,ようやく表情が落ち着いてきていた。
「たった一人,塔の入口で待つのは,とても危険です」
確かに。魔物たちの格好の餌食となるだろう。
「だからといって,一人で塔に登るのはもっと危険だと思うんです」
「うん,そうよね。・・・・・・あ!」
「はい。私だったら,ルーラで移動します」
クリフトの話を聞いていくうちに,アリーナも確信した。
ブライは間違いなく,どこかの街に移動している。
「じゃあきっと,ここから一番近い砂漠のバザーよ」
「いえ・・・」
クリフトは僅かに首を傾けたまま,考え込んだ。
やがて,こくりと一つ頷くと,アリーナの目を見て告げた。
「・・・サントハイム,ではないかと」
「え?でもそしたらわたしたち,どうやって合流するの?
ルーラはブライしか使えないのに」
「これがあります」
道具入れからクリフトが取り出したのは,白くまっすぐな風切羽。
「あぁ!あの時にブライが買ってた」
「えぇ,キメラの翼」
「確かにこれさえあれば・・・」
自分達二人だけでも,サントハイムに戻ることができる。
「私たちがさえずりの蜜を手に入れることができたなら,直接サントハイムに向かうのが一番早いです。
だからブライ様はきっと,城で待ってらっしゃいます」
「うん,きっとそうよ!すごいねクリフト!」
クリフトの見事な洞察力に,アリーナは素直に感嘆した。
もしも自分一人だったなら,何も考えずにブライを探し回っていたことだろう。
「いえ・・・。すごいのはブライ様です」
確かにそうかもしれない,とアリーナは思う。
ブライは常に考えているのだろう。
いくつもの可能性,分岐点,そしてその先にあるそれぞれの結果を。
クリフトの手にあるキメラの翼。これを彼に持たせたのはブライだった。
こうしてはぐれてしまうことも,そしてクリフトが正しい判断を下すことも,まるで最初から決まっていたかのように感じてしまう。
それはブライが仕込んでおいた,キメラの翼という安全装置が働いたからこそだった。
役割分担も大事ですぞ。
昨晩聞いた言葉。生まれた時から毎日毎日聞き続けてきた教育係の声が,耳の奥でよみがえった。
傍にいなくなって初めて,その偉大さをアリーナは痛感する。
「・・・行こう,上に!」
アリーナは力を取り戻した瞳で階段を見据えると,マントを翻して駆け出した。
四階は拍子抜けするほど狭かった。
階段を登って少し進んだだけで,もう次の階への階段が見つかる。
「あれを登れば,てっぺんよね」
「えぇ,おそらく」
会話はそこで途切れた。
二人は無言のまま,最上階への階段を一歩一歩,登る。
ある段を上った瞬間,視界が広がった。
緑色。水音。アリーナは激しい既視感に襲われた。
そう,つい二日前,砂漠の中でバザーを発見したときの,あの感覚。
そこはまるで,オアシスの縮図だった。
澄んだ水を湛えた池と,その中央に浮かぶ島のような地面。
緑の中,咲き乱れる花々がいろどりを添える。
予想だにしなかった光景に,アリーナは呆気に取られてしまった。
その景色の中にごく自然に溶け込み,自由に飛び回る二つの影が発した声に,すぐに反応できなかったほどに。
「きゃっ!に,人間!?」
緑の髪。尖った耳の先。
二人の美しい少女が,目を見開いてこちらを見ていた。
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小さな後書き
アリーナもクリフトも,そして離れたブライも,頑張っています。
そしてようやくエルフ,発見。
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