3つ目の名前

「お前が一番望んでいることは,なんなのか。よく考えろ」

その言葉に,私はもう・・・反論が出来なかった。




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「へえ。結構にぎわってるじゃない」
「あんまり大きくない街だけど,なんか庶民的でいいなぁ。俺好きかも!」
「おや,お店がいろいろと充実してますねぇ。私が新しく出店するのは厳しいかな」

サランの街の感想を背後に聞いて,アリーナ,クリフト,ブライの3人は思わず顔を見合わせた。
それぞれ,少し寂しそうに,笑う。

「では,実家までご案内しますので」

皆にそう言って,クリフトは先頭に立つ。
まっすぐ前を向き,確かな足取りで,慣れ親しんだ道を進んだ。

夕食の材料の買出しにきた女性たちでにぎわう市場通りを抜ける。
建設中の新しい道具屋の角を曲がると,かくれんぼをする子供達の声がどこからか聞こえてきた。
メイプルシフォンが人気のケーキ屋から漂う,甘い香り。

久々に帰ってきたサランは,以前と同じ,優しい気配がした。
それこそ,すぐそばのサントハイム城が魔物の巣窟になっていることなど信じられないほどに。
・・・温かい空気を,無理にでも保とうとしている。
住民そろって,必死になって。
皆の感想に笑顔でありがとうと言えないのは,そのせいだった。



「クリフト!?」

右のほうから突然かけられた声にクリフトは驚いて振り向いた。
人ごみの中から一人の女性が走り出て,クリフトに飛びつく。
皆の目が丸くなる。

「やっぱりクリフトね!」
「姉上!」
「ニア!!」

青い髪を揺らして飛び掛ってきた姉,ニアーリエを受け止めて,クリフトはようやく心からの笑みを見せた。
アリーナも一緒になって再会を喜ぶ。ブライが優しい表情でそれを見守る。

「ええっクリフトのお姉さん!?」
「うわぁ怖いくらいそっくりだよ・・・」
「きれいなかたですね。まさにクリフトさんを女性にしたような」
「なるほど,クリフト殿のあの珍しい髪の色は遺伝なのだな」

「アリーナ様・・・。お久しぶりです」
「うん!ニア!!全然変わらないのね。ううん,ますます美人になったわ」
「何をおっしゃいます,アリーナ様こそ,こんなに美しく成長されて・・・」

本当に・・・と,ニアーリエは喉を詰まらせ,アリーナを抱きしめた。
その腕の温かさに,アリーナもつい,顔をゆがませた。

幼い頃から,アリーナは頻繁に,クリフトの実家であるルラーフ家に遊びに行った。
もちろん勝手に城の外に出ることは許されない。いつもクリフトの父,ウェイマーが城からサランへ帰るときにお願いして,父王の許可をもらってから一緒についていった。
旅に出る前のアリーナが知る,唯一の外の世界。それがサランのルラーフ家だった。
2つ年上のニアーリエは,アリーナにとって姉も同然の存在だったのだ。

ニアーリエはそっと腕をといて,アリーナの頭を撫でた。
そしてそばにいる弟を見上げる。

「クリフトもこんなに立派になって・・・。ますます背が伸びたのね。顔立ちもすっかり大人びてしまって」
「姉上も,お元気そうでなによりです」
「ええ。家業も順調よ。おかげで毎日忙しくて大変」

サランで一番大きな仕立て屋に嫁いだ姉は,自ら生地の仕入れに,縫製の指導にと飛び回っているらしい。
大変,と言ったその表情は,とても充実感に満ちていて。クリフトはうれしそうに目を細めた。



皆に挨拶した後,一度店に戻ってからまた行くわねと言うニアーリエと,いったん別れた。
クリフトはまた先頭を歩き出した。無意識にどんどん早くなっていく足をノイエにからかわれ,顔を赤くする。

もう少しだ。あの赤茶色の屋根の家の角を曲がれば・・・ほら,見えてきた。
大きな門。上品な花で飾られた前庭。その奥に佇む,年月を重ねた風格のある屋敷。
・・・ああ,変わってないな。クリフトの口元が思わず緩んだ。

「着きました。こちらです」
「え・・・?」
「な!?」
「この家??」

アリーナとブライ以外,皆,固まってしまった。
右手で屋敷を指し示していたクリフトは,その反応に少し首をかしげた。

「どうかしましたか?」
「クリフト,お前って・・・」

空いた口がふさがらない,といった風のノイエ。

「貴族のおぼっちゃんだったのか?」






◆◆◆


橙色の光が差し込む部屋。ドアを閉めると床にどさりと荷物を落として,ベッドに突っ伏した。
・・・今頃になって,泣きそうになる。

成長したな。その一言だけで,あとは力強く自分を抱きしめる父上。
よく無事で・・・と,ぽろぽろと涙を流して喜ぶ母上。
自分はよく泣かずにいられたと思う。知らず知らず,気が張っていたのかもしれない。
明日のサントハイム城での戦いのことを考えてしまって。

ここに住んでいるわけではなかったのに,昔からちゃんと用意されていた自分の部屋。
絵本から医学書まで,自分の歩みがそのまま詰まった本棚。
いつも使っているのと同じ,ペンとインク。
ソファーの前のテーブルには,母上の大好きなアーモンドサブレ。

なにもかも,変わってなさすぎて。
こらえていた涙も,もう限界だった。


◆◆◆






汲んできた水で顔を洗っていると,ドアを叩く音がした。
クリフトはあわててタオルでごしごし拭く。

「はいっ」
「クリフト?俺だけど」
「ああノイエ。どうぞ,開いてます」
「わりぃ,邪魔するな!」

すたすたと中に入ってきたノイエは,ひと通り部屋の中を見回してからへぇーと感嘆の声を上げた。

「なんだ,超普通じゃん」
「普通?」
「俺が通された客室は随分豪華だったのに。なんか質素だよな,お前の部屋。
普通のベッドに普通のテーブル,あと普通のソファー」
「これだけあれば,十分ですよ」
「まあ,確かにそうだけど。クリフトらしすぎてなんか笑えるな〜。
でも,そんなお前が貴族の息子だったってのは逆にすごい意外かも」

ノイエはぽふっ,とソファーに沈んで,歯をいっぱい見せて笑った。
自分が泣いていたことにまったく気が付いていないふりをしてくれる彼に,クリフトは感謝した。

「夕食の準備が整うまで,まだしばらくかかりそうですね」
「ああ。なんかあんなに広い部屋に一人でいるのも退屈だし。クリフトも退屈だろうと思って,話し相手になりにきてやったぞ!」
「きてやった,って・・・」

ははは,と。ちょっとだけ眉を下げて笑うクリフト。
でもおかげで,いつものペースが取り戻せそうだった。

「では,お茶でも淹れましょうか。おいしいサブレもありますし」
「まじ!?実はちょっとそれを期待してきた」
「ああ,それならそうと最初に言ってくれれば,すぐに準備に取りかかったのに」
「そんな,言えるかよ!男なのに『お茶が飲みたーい,お菓子が食べたーい』なんて」
「そうですか?『お茶が飲みたいですね』って言うの,そんなに変ですか」
「たしかにクリフトが言うぶんには違和感ないよな・・・」
「ノイエが言っても,違和感ないですよ。お茶,嫌いですか?好きですよね?だから,飲みたいんですよね?」
「・・・・・・。飲みたい,です・・・」
「はい!では淹れましょうね」
「すっげえうれしそうな顔・・・」

なんだよぅとでも言いたげなノイエを残し,クリフトはお湯をもらう為に部屋を出ようとしたが,
ドアを半分まで開けたところで立ち止まって,振り返った。
ノイエのそのむくれた表情が,目が合った瞬間,すとんと落ちる。

「お茶飲みながら,聞いてもらえますか?・・・『貴族のおぼっちゃん』が神官になった,訳」



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小さな後書き

お姉さん登場。クリフトが貴族の息子,というのはオリジナル設定です。
さて,本人に語ってもらいましょう。

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