戦いは,熾烈を極めた。



「ライアン!一旦こっちに下がれ!!」
「マーニャごめんっ,こいつ狙って!」
「了解アリーナ,もうちょい踏ん張ってなさいよー!」


右の太腿に怪我を負ったライアンをノイエが癒す。
前線の人数が一時的に減る。マーニャとブライの魔法の援護を受けても防ぎきれない敵の攻撃が,残る二人の体力を奪っていく。
その怪我を,クリフトとミネアが癒す。もはやいたちごっこだった。

いつもなら,クリフトが開始一番でスクルトを唱えていただろう。
打撃のダメージを和らげるこの魔法は,このように力で押す敵と戦う際に,絶大な効果を発揮する。
さらに回復も,彼のベホマラーだけで十分だったはずだ。

これまでいかにクリフトの魔法に頼っていたのか。皆,身をもって思い知った。



「きゃあぁっ!!」


トドの怪物の拳をまともに受け,アリーナの身体は後ろに吹っ飛んだ。
クリフトの喉から息だけが漏れる。即座に駆け寄ってその肩に触れ,回復魔法を使った。
見る見るうちに怪我が治っていく。治療の速さと確かさでは彼の右に出るものはいない。

「あり,がと・・・」

衝撃でまだ少々ふらつく足を,気合いでなんとかごまかす。
絶対に倒れたりしない。背後のクリフトの気配を感じながら,アリーナは拳を握り締めて再び前線へと戻る。

クリフトも,ひっきりなしに魔法を使ったためか,胸の辺りに小さな痛みを感じていた。
彼は周囲の様子を確認した。トルネコの怪我をノイエが治し,ミネアは自分自身が受けた傷を治している。
他に今すぐに治療が必要な人がいないことを認めて,クリフトは剣を構えると,苦戦している前衛の援護に回るため走り出した。



トルネコを治療し終えて送り出したノイエは,信じられないものを見た。
魔物のうち二匹が突然大きくジャンプし,自分たちの頭上を越えて,甲板の中央に着地したのだ。
二匹はそれぞれ違う方向へ散る。その先には,マーニャとブライが,そしてクリフトがいた。

「気をつけろマーニャブライ!クリフトっ!!」



クリフトは足を止め,眼前に迫る巨体に剣先を定めた。
せめてこの一匹だけでも,自分がひきつけておこう。そう思った。
猛烈な勢いで振り下ろされる拳をぎりぎりでかわす。隙があれば,剣での一撃を浴びせる。
攻撃さえ受けなければいい。避けることに全力を注げばいい。
そう考えていた彼に突然襲い掛かったのは,圧迫されるような激しい胸の痛み。


音のない咳が出る。よろめく。
それでもなんとか拳をかわしたクリフトに,鞭のようにしなる,トドの頭そのものが迫る。


「クリフトーっ!!!」


船の縁に叩きつけられたクリフトに,ノイエは駆け寄った。
ミネアが咄嗟に真空の刃を生み出して,魔物の気をそらす。


「おい,しっかりしろ!!」
「・・・・・・」

苦しげな呼吸を繰り返すクリフトの腹の辺りに右手を置いて,ノイエは癒しの力を注いだ。
だが彼の場合,クリフトほどは速く治せない。ノイエは苛立ちを覚えながらも,必死に治療を続けた。

「・・・お前に群がるどころじゃなかったな。そんな余裕もねぇ」

奥歯をぎりぎりと噛み締めたノイエの手に,クリフトは右の手のひらを沿わせた。


「んな・・・・・・?」


身体を包み込む,慣れ親しんだ魔法の気配に,ノイエは言葉を失う。

以前,自分が彼に言った台詞が,鮮明によみがえった。



『スクルトじゃなくてスカラだからな!俺最優先!!』



「お前・・・こんなときに・・・!」


おそらく,半分無意識でかけた魔法なのだろう。
血をにじませたままの口元が,かすかに笑みをかたどった。
その手がずるりと甲板に落ちる。瞼が閉じられる。


「・・・クリフト?
 おい。ちょっ・・・」


意識を失ってしまった友を前にして,ノイエはしばし,呆然としていた。



それでもやがて,のろのろと頭を動かす。


ライアンとトルネコが,お互いの背を庇いながら,なんとか立っていた。
アリーナの怪我がまた増えてきていた。
ミネアが舳先に追い詰められていた。
マーニャとブライが小さな魔法を連発して,魔物の接近を必死に食い止めていた。


全滅という単語が,ノイエの頭の中をちらつく。



―また,失うのか。大事な人達を。
今度こそみんなを守ると誓ったのに。
剣も,魔法も,何のために必死になって練習したんだ?

誰も死なせないためじゃ,なかったのか?



「・・・死なせねぇ」

ゆらり,と,ノイエは立ち上がる。

「みんな絶対に死なせるもんかぁっ!!」


光が,弾け飛んだ。





左足をやられて片膝をついてしまったアリーナは,突然身体を包んだ光に驚く。
そして,身体中の怪我が,受けたばかりの左足の深手までもが一瞬で治ってしまったことに気がついて,再度驚愕した。
突然のことに戸惑う魔物にピアスの片方を投げつけながら,仲間の様子に素早く目を走らせる。
全員,怪我が全快していた。

その魔法はクリフトのベホマラーではなかった。
魔法が使えないアリーナでも,魔法力そのものの色の違いで,誰の力なのか判別が付く。

今のは,緑。森の色。

「・・・ノイエなの!?」




「な・・・なんだ,この魔法・・・」

一番驚いているのは当の本人だった。自分の両手をまじまじと見つめる。
今まで感じたことのないほどの強力な癒しの力。今のは本当に自分の力だったのだろうかと,不安に思うほどの。

だから,クリフトの瞼がゆっくりと開いたことにも,彼は気がつかなかった。



「・・・ノイエ」
「おぅ」


ごく普通に返事をした後,ノイエはぎょっとなって声の主を見た。
驚きから喜びへ。その表情は一気に変化する。


「クリフトお前,声・・・!!」


返事の代わりに笑顔で頷いたクリフトは,立ち上がって表情を引き締め,目を閉じた。
その唇からまるで歌うように紡がれる,ひとすじの呪文。両手の間に生まれる青い光。
皆はその声に気がついて振り返った。それぞれの顔に力が戻る。
アリーナが笑顔で,でも眉だけはぎゅっと寄せたままで,こちらを見た。


彼が手を空に向けると,光は八つに分かれて散らばり,仲間達を包み込んだ。
こんな場にあっても響きの美しさは損なわれないその声が,甲板に響く。



「スクルトをかけました!皆さんもう打撃は怖くありません!!」



「・・・っしゃあ!みんな,ガンガン行くぞーっ!!!」

親友の背中をひと叩きしてからノイエは,先ほどまでよりも小さく見えるトドの怪物めがけて突っ込んでいった。







とにかく,そこからは早かった。

クリフトの長剣が閃く。アリーナの拳が入る。
ブライの氷の魔法が炸裂する。ノイエの軽い剣での攻撃が続けざまに二度,決まる。

歴戦の8人は,次々と敵にとどめを刺していった。
最後の一匹が完全に動かなくなるまで,そう時間は必要としなかった。




戦いを終えた一同は,甲板の中央に集まった。
なぜか不安げな表情を浮かべたクリフトは,皆の顔を順に見て,恐る恐る口を開いた。


「私の声,変じゃ,ないですか・・・?
 何か,変わってしまって,いませんか・・・?」


アリーナとノイエは反射的に,クリフトに抱きついた。
左右から同時に飛びつかれて,彼はその間で押しつぶされる羽目になった。

「いつもと同じ,クリフトの声よ!」
「おぅよ,前とおんなじだ!背ぇでかい癖にそんな高い声してんの,お前くらいだ!!」
「・・・えぇ。そうですね。・・・ありがとう」
「クリフト,そこはちょっと怒ってもいいところだと思うの」


心配かけおってとブライが息をつく。
ライアンとトルネコは笑顔で頷き,姉妹は顔を見合わせてどちらからともなく笑った。


「・・・あぁでも,今回は本気でやばかったわねぇ」
「ええ,本当に。回復が追いつかなくてどうしようかと思ったけれど・・・そういえば,ノイエ」
「ん?」

ミネアに呼ばれてノイエは振り向いた。

「さっきのあの魔法は,一体・・・?」
「いや,それがさ・・・。俺にもよくわからなくて。気が付いたら使ってたんだけど。
 あれってベホマラー?」

「ベホマズン,だと思います」


クリフトの口から出たのは,聞きなれない魔法の名前。


「ベホマズン?なんだそりゃ」
「はい。私も実際に見たことはないんですが,それに間違いないと思います。
 味方全員を,一瞬で完全に回復させる魔法です。使い手は皆無に等しいらしいのですが・・・」
「でも俺,そんな呪文習ったことないぞ」
「習って覚えれるものではないのじゃ」


ブライが杖の先でノイエを小突いた。
少々言いづらそうに,口の中でもそもそと呟く。


「おぬしが引く・・・その血と。なによりその心が,力の源じゃ」
「そっ,か・・・。ははっ。
 て・・・天空人の血とかいうやつも,たまには役に立つもんだな」
「ノイエはそんな血引いてなくても,強いよ!」
「そうです。やさしくて,力強い」

アリーナとクリフトは,真剣な顔でノイエを見つめた。
クリフトが言葉を続ける。

「初めてあなたに回復魔法をかけてもらったときにも,そう,言ったでしょう?」
「・・・おぅ。そうだった」
「それに,私が声を取り戻せたのも,ノイエのおかげです」
「えっ?まじで?」
「えぇ」


あれ以来ずっと,喉の奥に感じていた重い負担が,あの瞬間に,なくなったのだ。


「それから。あなたの強さも,分けてもらいました」


深くは語らずに,クリフトはふわりと笑った。
彼はささやいた。その静かな,穏やかな声で。


「これからは,死の呪文の力に負けることはないと思います。ありがとう。ノイエ」
「ノイエ,本当にありがとう」



ノイエは一瞬だけ,泣きそうな顔になる。
唇と顎の間にしわが寄る。眉が寄せられる。


それから,とびきりの笑顔で,二人まとめてその両腕で力強く抱きしめた。



―今度は,失わなかった。
みんなみんな,生きてる。



たとえ,この後向かう魔族の居城で何が起ころうとも,この仲間達となら越えていける。
すっかり青さを取り戻した大海原の上を渡る風を全身で受けながら,ノイエはそう思った。


船は再び,その風を帆に受けて,前へ前へと進みだした。



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小さな後書き


ザキ,ベホマラー,トヘロス,スカラ,そしてベホマズン。そんな呪文たちが鍵となりました。

お互いに守り抜いた命。取り戻せた静かな声。
冒険も後半。皆の絆は,さらに深まっていきます。

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