手早く身体の水気を拭いて,服を着て。
クリフトが風呂から出てくる前に,外に出た。
心配させちまうだろうな。やっぱり一声かけておけばよかったかな。



賑やかな温泉街も目抜き通りをそれてしまえば,普通の民家が立ち並ぶ,ごくありふれた街だった。
途中でさらに右に曲がって,人とすれ違えないんじゃないかってくらい細い道を抜ける。確かこっちの方角だったはず。
左の家から甲高い声が二つ聞こえてきた。細く開いている窓から漏れて,路地に響いていた。
小さなきょうだいが喧嘩している。男の子と女の子。お姉ちゃんのほうが苺が大きいとかなんとか言ってるから,デザートの取り合いなのかもしれない。

「なぉー」
「おわっ」

・・・びっくりした。樽の上に猫がいた。
暗くて毛の色は分からないけれど,多分しましまの猫だ。瞳は金色に光っている。
そろっと手を伸ばしてみた。逃げない。よく見たら首輪をしていた。飼い猫か。
身体を撫でる。温かかった。

急に思い出した。
同じ金目の,竜の言葉。


  『神とて万能ではない。お前たちが思っているほど,この私とて絶対の者ではないのだ』


とんでもないことを,さらっと言ってくれたマスタードラゴン。
無条件に命を蘇らせる力はない。事前に祝福を与えた者だけに限られるとか,なんとか。
すげぇ制限。神様のくせに。できないって決め付ける前に,努力はしたのかよ。




猫に別れを告げて路地を抜けると,だだっ広い空き地に出た。


「っつ・・・」

今まで建物が遮ってくれていた風が途端に襲ってきた。頭が一気に冷える。
そういえば髪,後ろで縛ったままで,ろくに水気を拭いてないんだった。
くくった毛先から水滴が伝って首の後ろのあたりが濡れている。少し冷たい。

空き地の一番奥,生垣に囲まれた場所がある。
そこに向かった。背中がぞくりと震える。身体が冷えてしまったせいなのか,それとも。

植え込みの切れ目から中に入る。
ぽつぽつと点在する四角い石と十字架。墓場だ。
そのなかで一番大きく立派な墓の前に立つ人影。
突然現れた俺に驚くでもなく,黙ってこっちを見ていた。



「・・・・・・リバスト」



呼びかけると,この街の勇者は,ほんの少しだけ顎を引いて頷いた。
淡い光を纏っている。後ろも透けて見える。おまけに地面から僅かに浮いていた。
なんて分かりやすい幽霊。でも,どうやら俺にしか見えないらしい。
前に見てしまったときも,マーニャとミネアは無反応だった。一人で焦る俺をマーニャは容赦なく笑い飛ばした。


「・・・お前が使ってた鎧,本物を見つけたぞ。今,俺が借りてる」


天空の鎧の以前の持ち主は,また頷いた。
黒髪,黒い目。俺より5つ6つくらい,年上に見える。
この街を守り抜いた勇者は,最後の最後,魔物の親玉と刺し違えて命を落とした。
多分この外見の時に死んだんだろう。


「天空の鎧まで身に着けてたのに。
 お前は神の祝福とやらを,受けてなかったのか」


尋ねてみる。もちろん答えなんて返ってこない。
まあ,俺もその祝福を受けているとは限らないけど。



「・・・俺は,絶対に死なない」



そうか。なんでわざわざ遠回りしてまで,こんなところに来ちまったんだろうと思ってたけど。
俺はきっと,これを言いに来たんだ。
口に出してからようやく気がついた。馬鹿だなと思った。
リバストは少しだけ笑って,それから音もなく空気に溶け込むように姿を消した。



「・・・・・・死ぬもんか」


俺は勇者の墓に背を向けた。





街の南側から回って宿に戻ることもできたけど,やっぱり来た道を戻ることにした。
温泉街の湯気の匂いと賑やかさがうれしい。
一人でいるのは基本的に苦手だから,こういう活気がある場所を通るほうが好き。


俺の村も,風呂は共同だったな。宿屋の大きな風呂をみんな使ってた。
ほかほかにあったまった身体が冷える前にと,大急ぎで家まで走って帰ってたっけ。
途中で転んで泥だらけになって,また風呂に連れ戻されたこともあった。

露店から甘い香りが漂ってきた。でも,少しだけ焦げた匂いも混ざってる。
母さんが焼いてくれたケーキ,こんな感じだったな。シンシアとよく半分こして食べたよな。


あぁ。早く宿に帰ってみんなの顔が見たい。







宿の前,窓から漏れる灯りを背景に,見慣れた形の影が二つ並んでいた。


「・・・ノイエ!」
「ノイエっ!」

声も二つ飛んできた。拳は一つだけ。
腹に力を入れて準備してたけれど,それでも結構きた。

「いってええぇ!」
「どこ行ってたのよ!!」

拳どころか,身体ごと派手にぶつかってきたアリーナ。
クリフトも走ってきた。眉が寄っている。

「身体,冷えちゃってるよ」
「髪もこんなに濡らしたままで・・・」
「わりぃ。でも,大丈夫だって」

ここに帰ってくれば,すぐにあったまるから。

「ちょっと寄り道してただけ。ほら」

左手に抱えていた紙袋から中の物を一つ取り出す。ちょうど何か言おうと唇を開いたアリーナの口に,それを放り込んだ。

「んんっ!?」
「あんまりいい匂いがするもんだからさ,ふらふらっと誘われちまった。
 食べながら帰ってきたんだけど,どうだ?うまいだろー」


まん丸で小さい,鈴みたいな形をした一口サイズの焼き菓子。
外側は綺麗なキャラメル色に焼けている。
俺も一個頬張った。甘くてふかふかで,ミルクと卵とはちみつの味がした。
しばし休戦。二人でもぐもぐと口を動かす。


「・・・・・・んー,確かに美味しいけど。もう,心配して損した!」
「ごめんごめん。ほら,クリフトも」

さすがにもう不意打ちは効かないから,手で渡す。クリフトは受け取ってすぐに食べた。
一口で全部食べちまうなんて珍しいな。呑気に考えていたら突然,空いている両手で肩と頭を掴まれた。こっちが不意打ちを食らった。


「んな,うぉっ!?」


焼き菓子を頬張ったままのクリフトは無言で,俺の後ろ髪を掴んで軽く引っ張った。くくってあった紐が丸ごと取られた。
自分の肩を覆っていたタオルを掴んで広げると,勢いよく俺の頭にかぶせてきた。前が見えない。

「・・・・・・」

タオルの上から両手で頭を押される。その後,わさわさと掻き回された。


「・・・また,風邪,ひきますよ?」
「いっぱい頬張りながら話すと,むせちまうんじゃなかったっけ?」
「ノイエ・・・」

やばい,この声。
でも,タオルを取り払われた後に見えたクリフトは,いつもと変わらない顔だった。
心の中で,めいっぱい感謝した。


「さ!早く中に入ろうよ。みんな待ってるんだよ」
「おぅ!」





宿のロビーには,みんなが揃っていた。


「お帰りなさい」
「遅かったじゃない」
「どうせ露店でもひやかしとったんじゃろ」
「うえ,なんでばれるんだろ。とりあえずこれ,おみやげ〜。ひとり一個ずつ」
「おやおや,これはまたおいしそうですねぇ」
「あんた,あれだけ食べたのにまだ食べ物買ってたわけ・・・」
「まだ育ち盛りだからな,少しくらい多めに食べても構わないだろう」
「俺,まだまだ若いもん。・・・っでででで! 耳!耳引っ張るなー!!」
「姉さんほどほどに・・・」

ほらもう身体,ぽかぽかになってきた。


「で,明日なんだけどさ」



さらりと話題に出した。無理せずに言えた。
それでもどうしても,空気は変わってしまう。



「・・・とりあえず朝一番に,世界樹に向かうぞ。んで,世界樹の花とやらを手に入れる。
 ここまではいいか?」
「・・・うん」
「確かに,早い時間のほうがいいですね」
「おぅ。・・・問題はその後,どこに行くかなんだけど,」「決めてるんでしょ」


マーニャの姿勢は妙に綺麗だった。横のミネアも同じ表情で,俺を見る。


「・・・異論はないわ。あたしやミネアだけじゃなくて,多分みんな。
 別に,あんたに決定権を押し付けてる訳じゃない。
 みんな考えて,考えて,最終的に出た結論は,同じになってると思う」



・・・ほんとに?

ひとりずつ顔を見た。目を合わせた。
・・・なんかもう。鼻の奥がちょっと痛くなる。
みんなほんとは,生き返らせたいやつ,一人くらいはいるはずなのに。

俺一人じゃない。みんなでこの決断が下せたことが,たまらなくうれしい。



「・・・ロザリーヒルに」
「えぇ」
「そうしよう」




   『邪悪なる者を打ち倒せるよう,今以上に強くなる』
   『憎しみに凍てついた彼の者の心を溶かす』


マスタードラゴンは,二つのうちどちらかを選べと言った。
だけど,溶かせなかったら,打ち倒す。両方選べるようにしてやる。このほうがもっと確実。



「世界樹の花は,さぞかし大きいじゃろうな」
「でも案外,このケーキくらいのサイズだったりして」
「いやぁ,樹の大きさが大きさですからねえ。重くて持ちあがらないくらいかもしれないですよ」
「それでもこれだけ人数がいれば,なんとでもなるでしょうよ」
「・・・だな!!」



時の砂はもう割れてしまった。この前みたいにやり直しはできない。
だけどそれが当たり前のこと,当然のこと。だからこその,この選択だ。
見てるかマスタードラゴン。これが俺たちの答えだ。ざまあみろ。



「そういえば世界樹って,確か3人で行かないといけないんじゃなかったっけ」
「あれは,ルーシアさんがそう言っていただけで」
「そうそう。今度はもう全員で登ってやろうぜ。
 あんなぶっとい樹,8人くらいで折れるわけないじゃん!」
「でもクリフトはお留守番でもいいよ?こないだもちょっと震えてたし」
「いえ・・・行きます。大丈夫です」
「ほっほっほ,修業じゃ修業」

「・・・よっし!とりあえずぐっすり寝て身体休めて,魔法力回復しとかないと。
 ちょっとまだ早いけど,俺もう寝るな。おやすみー!!」



いくらなんでも早すぎだろう。何人かのそんな声を背中で受けながら,階段を駆け上がった。
一段飛ばしで上りながら,また焼き菓子を一つ頬張る。




強くなりたいと思った理由はただ一つ。俺はそれを忘れない。
死なないし,死なせない。意地でも守り抜いてやる。

甘い香りに優しい味。温まった身体。今夜もよく眠れそうな気がした。




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小さな後書き

リセットは効きません。決戦も,花の使い道も,やり直すことは不可能です。
それでも彼らは,この選択を後悔する事はないのでしょう。
明日の朝8人は,しっかりと顔を上げて,前を見て,全員揃って世界樹に登ってくれると思います。

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