本は滅多に読まない。だが,戦術書だけはそれなりに目を通す。
部隊対部隊,つまり人間同士の戦い方が記された本。子供の頃は何の疑問も抱かずに読んでいたものだ。

知っていることと,実際に利用することは違う。知ることによって回避できる戦いも出てくるだろう。
だから今になって私はまた,この本を読む。



華やかな声が降ってきた。女性達がそろって階段を下りてくる。


「・・・あれ?ライアンはお風呂行かないの?」
「いや,もうじき行く」
「留守番ってわけね」
「そのようなものだ。ブライ殿とトルネコ殿もまだ,部屋にいる」
「そうなんですか」

このソファーは低い。膝頭がかなり上がってしまう。
一度本を閉じて,腰を上げた。

「ノイエ殿とクリフト殿が先に行っている。戻ってきたら交替させてもらおう」
「そう?じゃあ,わたしたちもお風呂入ってくるね」
「先に失礼します」
「あぁ」


駆け出したアリーナ姫を,ミネア殿が追った。
マーニャだけが動かない。
テーブルの上のランプの灯りが揺らめいた。


「・・・今晩,飲まない?」
「悪くないな」
「じゃあ,いろいろ片が付いた後に,あそこのカウンターで」
「分かった」


機嫌がよさそうに笑うと,急ぐでもなく,ゆっくりと歩いて出て行く。



再びソファーに身を沈めて,本を読む。
なれない読書。やや不自然な姿勢もあいまって,集中力が持続しない。情けないことだ。

章の切り替わるところまでたどり着き,しおりを挟んだ。
本を閉じて横から厚みを見てみる。しおりが挟まれているのはまだかなり上のほうだった。あまり進んていない。


カウンターの中の棚に並ぶ酒瓶をざっと見た。
さすが観光地,世界各国の酒が置いてある。
まずは,この街の温泉水を使用した薬草酒。
サントハイムの麦の蒸留酒。ブランカのぶどう酒。
コーミズのさとうきびから作った酒に,スタンシアラ伝統の強く透明な酒。ソレッタの芋から作る酒。
二段目の棚の右端に,りんごの蒸留酒と山ぶどうの蒸留酒の二本を見つけて思わず口元が緩んだ。故郷の銘酒だ。


「晩酌の物色ですか?」


階段のほうに顔をやると,トルネコ殿が途中まで降りてきていた。すぐ後ろにブライ殿も。


「あぁ。いい酒がそろっているようだ」
「もしや待っとってくれたのか。すまんのぅ」
「すみません,いやぁちょっと食べ過ぎたみたいで。なかなか動けませんでした」
「いや,ノイエ殿とクリフト殿が戻ってから行こうと思っていた」

ちょうどいい。外からも慣れた気配が近づいている。


「・・・すみません,遅くなりました」

クリフト殿一人だけだ。先に帰ってきたのだろうか。珍しい。
頬が僅かに上気している。湯から上がって,まださほど経っていないのだろう。


「温泉,今なら人が少ないと思います」
「そうか。ではわしらも行くとするかの」
「それではクリフト君,留守番を頼んでもいいですか?」
「もちろん。・・・あの」
「はい?」
「ノイエ,帰ってきませんでしたか。私より先に」


開いたままの扉が風を受けて軋んだ。


「・・・わしらも今降りてきたところじゃからのぅ。ライアンはずっとここにおったのか?」
「あぁ。だが,クリフト殿が最初だ」
「そうですか・・・」
「きっと寄り道してるんですよ」
「途中に土産物屋や飲み物の屋台もたくさんあったしの。心配せずとも平気じゃろう」

トルネコ殿もブライ殿も,そうではないと分かっているのだろう。
それでも平然と振舞った。見事だった。

「・・・行きにすれ違ったら,早めに戻るように伝えておこう」
「はい,お願いします」






温泉街は夜でもそこそこにぎやかだ。人通りもある。
念のため両側の露店に視線を走らせて緑の髪を捜すが,やはり見当たらない。



「・・・クリフト君には」
「なんじゃ」
「弟は,いないんでしたっけ」
「じゃな。兄と姉はおるがの」
「なるほどなぁ。・・・アリーナさんは一人娘でしたね」

トルネコ殿は目を細めながら二度,頷いた。

「・・・ライアンさん,ご兄弟は?」
「いや,一人だ」
「そうでしたか。実は私も一人っ子なんですよ」
「わしもじゃ」
「ブライさんまで!これは驚いた・・・」


会話が途絶えた。
観光客らしき集団とすれ違う。酔っているのだろう,大声で会話をしながら宿に戻っていく。


私が二歳の時,両親共に,はやりの病で他界してしまった。兄弟はいない。
もしかすると,トルネコ殿とブライ殿のご両親も早世されたのかもしれない。


「・・・いかんのぅ。昔のことほど鮮明に思い出すわ。歳は取りたくないものじゃ」
「本当に。・・・とりあえず,温泉につかってのんびりするとしましょうよ。
 私たちはこういうときこそ,どーんと構えていないと」
「ほっほっほ,そうじゃったのぅ」



自分の両親の顔は覚えていない。
王族や貴族と違い肖像画など残っているはずもなく,どんな姿だったのか分からないままだ。
だがなぜか,優しい四つの瞳がよぎる。それは自分の心が作り出した姿に過ぎない。
しかし,無理に打ち消そうとも思わない。私にとって両親とは,そういうものだ。


ノイエ殿は,村を滅ぼされている。
マーニャとミネア殿は,父親を殺害された。

竜の神は惨い。可能性を与えるふりをして,選択を押し付ける。



「・・・ねぇ,どうですブライさん。今晩は部屋でのんびり,果実酒でも」
「そうじゃな。お湯割りがいいのう」
「ええ。あったまりますしねぇ」


トルネコ殿とブライ殿も,今夜はちびちびと飲むことを決めたようだ。



今日のような日に,共に飲める相手がいるというのはありがたいことだ。
今晩,まずは山ぶどうの蒸留酒から始めるとしよう。長い夜になりそうだ。




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小さな後書き

ちゃんと考えている。でも,動じない。
実はそれは,とても大変なことなんだと思います。

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