ろうそくと猫と香草茶

決まった時刻に,城の礼拝堂で祈りを捧げるのが日課だった。
朝,昼,晩,そして眠りにつく前。
幼い頃から当たり前のように毎日繰り返してきた。



ろうそくを点していない礼拝堂は,かすかな月明かりだけが頼り。
神聖さに溢れているが,冷たい感じはしない。優しい暗さ,とでもいうのか。
この空気に慣れているから,そう思うだけかもしれないけれど。
自分の靴音が天井からはね返ってきた。自然と背筋が伸びた。

跪いて,いつもの言葉を紡ぎ出す。


「与えられた一日が終わろうとしています・・・」


・・・びっくりした。
こんなに,響くものだった?






さえずりの蜜が効いて,王は無事に声を取り戻された。
エンドールへ向かう許可も頂けた。
両方とも,姫様はそれは喜ばれた。
今日は城でゆっくりと休み,明日改めて出発することになった。


姫様を追いかけるようにして城を出てから約半月。
短い間に,何ていろんなことが起きたんだろう。
宿屋で,街道で,森の奥で。道中に捧げた祈りの声はすぐ空に吸われた。
祈るだけでは駄目なのだと思い知らされたことも,あった。
守るためなら,自分は平気で剣を振るえることを知った。




久々の礼拝堂は,発した声をいつまでもいつまでも引きずって,絡み付いて離してくれない。
次々と重なる残響にだんだん苦しくなって,つい息を止める。


「もう終わり?」


背中に声がかかった。
・・・ついこの間もこんなことがあったっけ。
振り返る。暗がりでも明るい姫様の笑顔。


「すみません。なんだか,残響に圧倒されてしまって」
「・・そうね。久しぶりだもんね」
「はい」
「あれ?」

姫様の視線が,祭壇の燭台の上で止まった。

「ろうそく点けてないの?」
「ええ,後はもう寝るだけですので・・・」
「そっか。・・・じゃあ今日は,続き一緒にお祈りするね!この前はこっそり聞いてたけど」

先日のことを憶えていらしたらしい。

「はい。では・・・」






二人分の祈りの言葉が礼拝堂の空気に溶ける。
姫様の声と私の声が重なって,膨れ上がって,また戻ってきて。
幾重にも折り重なっていくその響きに耳の奥が熱くなる。祈りの最中だというのにぼーっとなる。


高すぎる自分の声。だけど,姫様の声には合わせやすい。
姫様が好きだと言ってくれる,この,声。
いつまで,この高さなんだろう。
・・・いつまで,こうやって夜にふらりと会えるんだろう。咎められずに。

あなたとつりあうだけの立場は,ほしい。
だけど,こんな特権も手放したくない。我ながらなんて我侭なんだろう。



でもせめて今はこうして,声を重ねていたかった。










お父様の声は,すっかり元通りに出るようになった。
よかった。・・・本当に,よかった。
その場でお父様に抱きついた。ばしばし背中を叩かれた。
泣きそうになったけど,我慢した。

武術大会に出場してもいいって,言ってくれた。
ありがとう,お父様。

でも,しばらくお父様のもとを離れないといけないのが,少し心配。
また声が出なくなったり,しない?
・・・城を飛び出しておいて,今更こんなこと言うのも,自分勝手なんだけどね。






ほんの半月しか離れていなかったのに,城のすべてが懐かしく感じる。
そうよね。生まれてからの,ほぼすべての時間をここで過ごしているんだから。
後は,サランのクリフトの実家くらいしか,知らない。



部屋へ戻る途中,クリフトの声が聞こえた。
礼拝堂からこんなに遠くにまで届く,夜の祈り。
本当によく通る声。大きいわけじゃない。なのに聞き取りやすい。

その声が聞きたくて,よく,絵本を読んでもらったり,うたを歌ってもらったりした。
優しいクリフト。声にまでそれが出るみたい。とびきり暖かくて,でも,きれい。



階段を登るのをやめて礼拝堂へ向かった。
扉の隙間から覗いて見た。暗くてよく見えない。
そのうちにだんだん目が慣れてきて,跪いて祈りを捧げるクリフトの背中が見えた。

こないだみたいに,祈りが終わったら驚かせちゃおうかな。
音を立ないようにそっと中に入った。礼拝堂の中の空気は,随分ひんやりとしていた。
こっそりと聞いていたら,すぐに声が途絶えてしまった。
どうして?まだ途中のはずなのに。


「もう終わり?」


声をかけたらすぐにこっちを振り返った。さらりと揺れる前髪。


「すみません。なんだか,残響に圧倒されてしまって」
「・・そうね。久しぶりだもんね」
「はい」
「あれ?」

さっきからなんだか暗いなと思ってたら,燭台のろうそくに灯が入ってない。

「ろうそく点けてないの?」
「ええ,後はもう寝るだけですので・・・」
「そっか。・・・じゃあ今日は,続き一緒にお祈りするね!この前はこっそり聞いてたけど」

クリフトは笑った。こないだのこと,思い出したのかな。

「はい。では・・・」






隣で,同じように跪いて。声を合わせて祈る。
クリフトと一緒に祈ると,自分の声もちゃんと,天の神様に届く気がする。
神様は,ここ半月のわたしを見て,どう思ったかな。

閉じた目の内側に,ついさっきのことのようにくっきりと浮かぶ光景。
真っ赤に染まるクリフトの服,遥か階下へ落ちていくブライ。
なすすべもなく叫ぶことしかできなかったわたし。


いっぱい助けられた。
一人でも大丈夫だと思っていたけど。もしほんとに一人だけだったら,きっと生きて帰れなかった。
この旅が終わっても,二人にはこの先まだまだ助けてもらうことになるんだ。
わたしの片腕として。相談役として。



少しだけ目を開けて,横のクリフトを見てみた。
ずっとずっと昔からわたしの傍に寄り添う優しい片腕は,ただ真剣に,祈りを捧げているようだった。




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小さな後書き

悩み事がない人なんて,いないのかもしれません。

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