starlit night

1.a calm


「大航海の連続だったのに。本当によく,乗り切ってくれました」



ドックの出口で,後ろを振り返ったトルネコは,自分の船を眺めながら呟いた。
傍らのブライも同じように船を見,そしてゆっくりと頷く。
数歩先を歩いていたライアンも,足を止めた。


側面は無数の損傷を受けていた。
まだ操作になれていない頃に,岩に擦ってしまって出来た傷。魔物が吐いた炎によって焦げた痕。
陽光を浴びると目が痛く感じるほど輝いていた純白の帆は,長い間風雨にさらされたために,今や黒ずんで見える。

それでも,船はどこか誇らしげに,このコナンベリーの港で最も大きなドックに堂々と収まっていた。


「・・・いい船を,作られたな」
「ええ,私の宝です。まずはここでゆっくり休ませて。痛んだところを補修して。
 それからまた,今度は商船として活躍してもらうことになるでしょう」
「この船も,引退できるのはまだまだ先のことになるんじゃろうな」

手にした杖の先で,ブライは自分の肩を二回叩いた。





商人と戦士,老魔法使いは,一足先に外に出て仲間達を待つ。
月のない夜は闇が濃い。しかしその分,小さな星々まではっきりと見ることができた。
潮騒はほとんど聞こえなかった。脇の岸壁によせる波は,僅かに海面が上下する程度のもの。
以前の荒れ模様が嘘のように,コナンベリーの海は凪いでいた。



さほど経たないうちに,皆が次々とドックから出てくる。
先頭のマーニャの腕輪が,その手の動きに合わせてきらきらと光った。


「あぁごめんなさい,待たせちゃったわね。なんだかありえないほど荷物があって戸惑っちゃったわよ」
「わたしも。そんなにないと思ってたのに」
「遅くなってしまってすみません」
「いえいえ,構いませんよ。もうほかに必要なものは残ってませんか?」
「うーん,多分・・・」
「またすぐに取りにくればいいだけの話じゃん」

小さな荷物袋とスケッチブックだけを抱えたノイエが,さらりと言う。

「俺,鎧や盾は明日の朝もっかい取りにくるつもり。あと,画材とかはほとんど残したまんまだし」


その言葉に,アリーナははっとさせられた。
確かに,なにも今晩中に,船の自室を空にしなければいけないという訳ではない。


「・・・そうよね。いつでも取りに来ればいいんだよね」
「ええ。戻ってきた後,いつだって」

ミネアのその声は,皆の心に優しく響いた。



「・・・よし!とりあえず晩飯・・・」
「明日の朝,この場所にくればよいのだろう」

氷の質感を持った声音に遮られ,ノイエの表情は瞬く間に険しくなった。
最後尾に影の様に佇んでいた男に,視線が集まる。

「私たちは別行動を取らせてもらう」
「!そんな,勝手に」
「貴様たちも,今宵くらいは各々好きな場所で時を過ごせばよかろう。つるんでばかりいずにな。
 ・・・来い,ロザリー」
「はい。・・・すみません,皆さん」


漆黒のマントが翻った。二人の姿は一瞬にして闇に融け,消えた。


「あんの野郎・・・!」
「・・・ロザリーヒルに,向かったのでしょうか」
「でしょうねぇ」
「あやつはあやつなりに,思うところがあるのじゃろう」

ピサロとロザリーがいた空間をしばらく睨んでいたノイエだが,やがて肩の力を抜くと,ため息混じりに呟いた。

「今晩くらいは,か」
「ノイエ・・・」
「うんまあ,どうするかは後で決めるとして。
 ・・・とりあえず俺,晩飯はみんなで食べたいんだけど,駄目?」
「ほらほら,そんな顔してる暇があったらとっとと食堂に向かう!」

閉じられた鉄の扇が,ぺしりと音を立てて緑の髪に埋もれた。







港の傍にあった大きな食堂に入る。
8人はいつものように,一つのテーブルを囲んだ。
次々と大皿で運ばれてくる料理を皆でつつく。
飲める者は軽めのワインやビールを,飲めない者は絞りたてのジュースや茶を片手に。


卵サラダを頬張り,幸せそうに表情を崩すアリーナ。
小骨が大量にある魚にも関わらず,見事なほどきれいに食べるクリフト。
パンを3つもおかわりするトルネコ。
ライアンの前に置いてあるビールのピッチャーは,みるみるうちに減っていく。
大皿から大量に巻き取ったパスタが途中でほどけ,テーブルクロスの上に派手にこぼしてしまうノイエ。
よくばるからよ,とマーニャはフォークの先だけで器用にすくってみせた。
少食のミネアはもうナイフとフォークを置いている。
ブライも梅昆布茶を飲みながらほっと息をつく。


絶妙のタイミングで行われる飲み物の追加注文。
鳥のから揚げが一つだけ残ったときに走る,微妙な緊張感。
締めのデザートは,季節のフルーツの盛り合わせ。


会話は尽きることがない。常に誰かが話をし,誰かが笑っている。
気が付けば,こんな賑やかな食卓が当たり前になっていたのだ。
なんと幸せなことなのだろう。改めて皆,素晴らしいこの時間を胸に刻み込んだ。




「ごちそうさまでした」
「お腹いっぱい・・・」
「もうこれ以上は食べられませんねぇ」


椅子に沈み込む仲間達を見ながら,ノイエはゆっくりと,目を細めた。
めずらしい表情に,向かいにいたブライがおやっと眉を上げる。
ノイエは席を立って身体を左右にねじり,そして背伸びをした。
彼は落ち着いた笑顔で,言った。


「みんな。
 外,行こうぜ」



それはまるで,食後の散歩にでも誘うかのような,自然な声だった。








食堂の裏手の海は,小型船の係留所になっていた。
この時間にもなると,さすがに船の出入りはない。辺りは静まり返っていた。
海面から突き出たおびただしい数の係留用のポールが,食堂の窓からもれる明かりに照らされている。
あたかも天から降り注ぐ光の雨のように,闇の中にふわりと浮かび上がるその光景は,幻想的ですらあった。


岸壁の際で足を止めたノイエは,「きれいだな」と呟いた。
後ろを振り返る。
皆,なにも言わずに,ただ静かに彼の言葉を待っていた。
ノイエは少し笑って,自分の荷物袋を軽く振った。



「・・・荷物ってさ。いつの間にか,増えてるもんなんだな。
 村にいた頃は,そう簡単には物が手に入らない生活だったからさ。
 俺も今日,船の部屋片付けてて本当にびっくりした。アリーナやマーニャと一緒」
「いっぱいありすぎて,収拾つかないよね」
「おう。・・・でな」


一旦区切って息をつく。
ふっと真顔になって,先を続けた。


「思い出とか,心とか。荷物と同じなのかなって,ちょっと思った。
 いいのも悪いのも,気が付いたらいっぱい増えてたし。
 たまには整理してやらないと,えらいことになるし。
 ・・・でも別に,無理して全部捨てる必要なんてないのも,似てる」


左に抱えたスケッチブックを,無意識のうちに強く掴む。


「荷物はまた取りにこればいい。でも,心だけはちゃんと整理しといたほうがいい。俺も。みんなも」


緩い潮風が,港を通り抜けていく。

誰も,動けない。


「なにも今じゃなくていいって気もするけど。でもやっぱり,今じゃないといけない気がして・・・。
 ・・・・・・あぁわりぃ,俺,何言ってるのか自分でも分かんなくなってきた・・・」
「いや」
「大丈夫。ちゃんと,分かります」
「あんたらしい感性ね」
「自分の言葉に,自信を持つのじゃ」
「・・・おぅ。さんきゅ」


一人一人の顔を順に見ながら,ノイエはしっかりとした声で,告げた。


「あいつの言うこと聞くみたいで,ちょっと悔しいけど。
 今晩はそれぞれ,行きたいとこ・・・行こう。んで,明日の朝,ドックの前に集まろう。
 負けちまったら終わりだから,いまのうちに行っておくとか,そんなんじゃない。
 明日,勝つために,行こうぜ」
「・・・うん」
「えぇ。勝つために」
「そうね」


仲間達の表情が,徐々に穏やかなものになっていく。


「とりあえず,これだけ言わせてくれ。・・・ちょっと照れくさいけど。
 俺,みんなと旅ができてよかった。今までほんとに,ありがとう」



不意にアリーナが小走りでノイエに近づき,その肩に飛びついた。

「うおっ!?」
「『今まで』ってそんな,これで終わりみたいな台詞吐かないでよ!」
「ははっそうだよな。わり・・・ぅぐっ」

肘打ちをもろに食らい,ノイエは思わずうめき声を上げた。
それをきっかけに,皆いっせいに動き出す。

クリフトが,親友を力いっぱい抱きしめる。
ここ一年でずいぶん逞しくなった肩を,ライアンがそっと叩く。
ミネアが手を伸ばして,その頭を撫でる。
トルネコが傍で鼻をすする。
扇を広げて,また閉じて,マーニャはふふっと笑う。
「なかなかの名演説じゃったぞ」とブライが頷く。


「ブライにそう言ってもらえると,なんかすっげーうれしいかも。
 よっし!とりあえず今日はこれで解散。みんなお疲れ!
 ・・・さぁ,どこに行く?ルーラ使えない人は,俺送るけど」
「マーニャ」



落ち着いた低い声が響いた。

名を呼ばれた本人は,動揺することもなく,声の主のほうをゆっくりと振り返った。



「飲みにいかないか」
「・・・いいわねぇ」


あでやかに微笑むマーニャ。


「その前に,一箇所寄り道してもいいかしら」
「ああ。無論だ」
「ミネア,行くわよ」
「・・・ええ。コーミズへ」
「そのあとは,モンバーバラにでも行こうかしらね。せっかくだし,美味しい酒が飲みたいわ。
 ・・・それじゃぁみんな,また明日ね」

マーニャは口早にルーラの呪文を唱えた。三人の姿は光となって,天に吸い込まれた。




「いやいや,さすがライアンさん。さらっと誘うなんて,かっこいいですねぇ」
「ライアン,今,『殿』付けなかったよね・・・」
「・・・そうですね・・・」
「あれっ?なんだお前ら,気がついてなかったのかよ」
「うん・・・」

あっけに取られているアリーナとクリフトを見て,ノイエは笑い崩れた。

「なによ,そんなに笑わなくてもいいのにー」
「っはは・・・っ,いや,だって二人してぽか〜んとしてるからさ。おっかしくて。
 ・・・で。お前たちはどうする?」


咄嗟に返事ができず,アリーナはしばし,口ごもった。
故郷の城はいまだ,無人のまま。


「・・・どこにでも,お供しますぞ」
「どうぞ,姫様のお好きなところへ」
「ありがとう。・・・わたし」

顔を上げて,アリーナは言った。

「サランに行きたい」
「サランに?」
「うん。ルラーフ家の屋敷に。
 でも,こんな時間に突然尋ねていったら,ウェイマーとフィアナ,びっくりするかな」
「・・・いいえ。父も母も,歓迎してくれます」
「じゃな。しかも,息子と旧友のおまけ付きじゃしのう」
「そうね。喜んでくれるよね」


こくり,と頷いて,アリーナはとびきり綺麗に笑う。


「じゃあブライ,お願いね」
「ほっほっほ,クリフト,ルーラ酔いの覚悟はよいかのう」
「はい・・・」
「お前,最後の最後まで大変だなぁ」
「ノイエ。あなたは,どうするんですか」



クリフトの問いに,ノイエの表情が固まった。



「俺は・・・」
「ねぇ,ノイエさえよかったら,わたしたちと一緒に・・・」
「おう,ありがと。・・・でも俺にも,行きたいところ,あるんだ。
 トルネコをエンドールまで送ってから,そこに行くつもり。だから心配すんなって」


その笑顔が作られたものではないことを確認して,クリフトは頷いた。


「・・・分かりました。それではまた,明日」
「ノイエ,トルネコ,お休みー!」
「あぁ,じゃあな三人とも!ゆっくりしてこいよー」


ブライの呪文が完成し,残るはトルネコとノイエだけになった。



「・・・よっし。行くか,トルネコ」
「えぇ。でも,いいんですかノイエ君。私だったらキメラの翼ででも・・・」
「ああ気にすんなって!実は俺が行きたいところも,エンドールにあるんだ」
「エンドールに?」
「おう。だから,ついで・・・って言ったら言葉悪いけどな」
「ありがとうございます。助かります」
「それじゃ,行くぞ!」







夜の港は途端に静寂を取り戻した。

コナンベリーの春凪の海は,朝を,そして8人の帰りを,息を潜めて待つ。
全てを見ていた無数の光の雨だけが,ひっそりと揺らめき続けていた。




第2話「coppers」へ

小さな後書き

長い夜が始まります。
さて,ここからはそれぞれにスポットを当てていきましょう。

ノベルに戻る
トップ画面に戻る