地平線が金色に輝く。太陽がその姿を現す。
まだ弱い陽光が浅い角度で窓から差し込む。
すべての世界が,光に包まれる。
「どうぞ」
クリフトはノイエの向かいに座って,お茶を勧めた。
皿の上には6匹のうさぎ。その横には爽やかに香るミントのハーブティ。
「サランのときは,サブレと紅茶だったな」
「そうでしたね。・・・あの日は,随分としゃべった気がします」
「で,夜は軽く喧嘩になったよなぁ・・・」
あの夜のやり取りを,ノイエははっきりと憶えていた。
胸倉を掴んで,遠慮の欠片もない言葉をぶつけて。
返ってきた反応は,いつものクリフトからは想像もつかないほど激しかった。
彼の感受性の強さといったら。普段よく抑えこんでいられるなとつくづく思う。
うさぎの耳の部分を上によけて,ノイエはりんごをかじった。
甘く瑞々しい果汁が口いっぱいに広がる。うまいと呟くと,クリフトは少しだけ目尻を下げた。
りんごを食べ続けるノイエ。
静かにハーブティを飲むクリフト。
会話はない。しかし,言葉以外の全てで意思の疎通ができる。
不思議な感覚。穏やかな,その静寂。
気持ちを落ち着かせて。呼吸を整えて。
今なら,言える気がした。
ティーカップの縁を指でなぞりながら,ノイエは口を開いた。
「・・・俺の村があいつに滅ぼされたのは,もうみんなに言ったけど」
「えぇ・・・」
「もちろん,そんなことをしたあいつを恨んだし,憎んでた。
でも,なんていうのかな・・・どこか,漠然とした感じだった。
あいつの姿を,見たことがなかったからかもしれない」
「ではあの夢で,初めてデスピサロの姿を?」
「違う。俺・・・もう会ってた」
「えっ・・・」
ティースプーンが砂糖壷にぶつかって,冷たい音をたてた。
「あの日あいつは,村の中にいた。吟遊詩人のふりをして,平然と。
外から来た人が物珍しくて,俺,ノリノリで話しかけちまったよ。馬鹿だよな」
「そんな・・・」
「うん,まぁ・・・な。
さっきの夢で,あいつがデスピサロだったって,知って。それで一気に」
自分の中でくすぶっていた負の感情が一気に爆発した。
怒りも憎しみも。そしてその一部は,あの日のノイエ自身にも向けられた。
「・・・あなたの,せいじゃない」
「はは,お前やっぱり人の心読めるんだろ」
自分がほしい言葉を,クリフトはその綺麗な声で静かに届けてくれる。
「ありがとクリフト。ごめんな?・・・俺,取り乱してみんなに迷惑かけたよな」
「いいえ。・・・いいえ」
「俺,さ」
「はい」
「好きなコがいたんだ」
「・・・・・・」
「俺より一つ年上で。姉弟みたいに育った。狭い村の中,いつも一緒で」
砂糖をほんの少しだけすくって入れる。
それはゆらゆらと靄のように,カップの中の光を屈折させながら,溶けて底に沈んでいく。
儚い揺らぎの中に,ノイエは故郷の幻を見た。
一言ずつ,自分の発した言葉を噛み締めるように,語る。
「小さい頃は,ただ懐いてた。構ってほしくて。
でも,成長していくうちに,俺はその子が・・・シンシアのことが好きなんだって,気がついて。
それでもやっぱり,懐いてた。懐いてるだけのふりを続けてた。気持ちを言葉に代えれなかった。
今の関係を崩したくなかった」
「あ・・・」
「おぅ。誰かさんと同じ。
・・・そのうち,シンシアも俺のこと想ってくれてるって,なんとなく分かった。
それでも俺は言わないし,行動も起こさなかった。動かなかった分,お前より俺のほうがたちが悪い。
抱いてしまえば,なんてえらそうな顔してこないだお前に言ったけど。
俺自身は,ほんとは,キスすらしたことない」
ふっと息をついて,ノイエはハーブティを口に含んだ。
「シンシアも,俺の気持ち,分かってたんだと思う。
それでも気がつかないふりをして,俺が勇気を出して想いを告げる日を待ってたんだと思う。でも」
「・・・でも?」
「俺の身代わりになって死んだ。
魔法で俺そっくりに姿を変えて外に飛び出して,殺された」
青い瞳が揺れた。
外から鳥の鳴き声がした。
「最後の最後,シンシアは泣きながら,笑ってた。・・・壮絶なくらいにきれいで,悲しい顔で。
頭ん中に焼きついて離れない。あのときのシンシアよりきれいな女の人,俺,見たことない」
脳裏に浮かぶのは最期の表情ばかり。
その顔が普段の遠慮がちな笑みに戻るのは,自分が笑ったときだけだった。
「最初はもう嫌になるほど後悔したし,俺のせいで死んだのかと自己嫌悪にも陥ったし。
それでももう,ふっきったつもりだったんだけど。
・・・・・・やっぱり全然,ふっきれてなかったのかな。だから,こんなことに」
夢をきっかけに再びさまざまな思いが浮上し,ぎりぎりと心を締め上げる。
ノイエは額に手を当てて俯いた。
不意に,反対の手に暖かさを感じた。
テーブルの上の左手に,クリフトがそっと手を重ねていた。
静謐な眼差し。全部分かった上で何も言わない目。
「・・・アリーナ,予想,外したな」
「え」
「前に言ってた。シンシアの話聞いたら,クリフトはきっと泣くだろう,って」
「・・・そうですね。もしかすると泣いていたかもしれない。泣かずに済んだのはたぶん,」
クリフトは表情を変えずに言った。
「今こうして,私に話していくうちに。あなたが,無意識のうちに答えを見つけたからかもしれない」
ノイエの息が一瞬だけ止まる。
「答え・・・?」
「ちゃんと言ったほうが,いいですか?
ノイエの心の整理に役立つのなら,言葉にします」
「・・・・・・あぁ。頼む」
クリフトは小さく頷くと,ゆっくりと一回瞬きをした。
彼にしてはめずらしい少し低めの声で,言った。
「シンシアさんは,ノイエにいろいろなものを与えてくれたのでしょう?
与えることで,ノイエを見守っていた。それは今でも続いているんだと,思います」
「続いて,いる・・・?」
もうシンシアはこの世にいないのに。何が,どう続いているというのだ。
「あなたの精神的な強さ。それは,亡くなったシンシアさんから貰ったのではないですか?」
テーブル上の手が強張った。
「失ったものは,もうかえってこないけれど。
それと同じか,それ以上のものを,あなたは貰ったんだ」
「・・・・・・」
ノイエは目を閉じた。
木漏れ日のような,シンシアの普段の笑顔が見えた。
自分が前に進めるのは,記憶の中にシンシアとの幸せな日々があるから。
自分が生きているのは,シンシアが身を挺して自分を生かしてくれたから。
シンシアにもらった,命だから。
「・・・そっか」
俺,分かってたのか。
ノイエは呟いた。
「だから俺,いっぱい,笑えたんだ・・・」
シンシアが一緒に笑ってくれたから。
気が付けば,笑うことが心を守ることになっていた。
仲間と出会って。独りじゃなくなって。
親友と呼んでもいい,同い年の二人もいて。
そんな皆を守りたくて,強くなりたくて。剣や魔法の特訓して。
毎日に意味があった。明日を迎える理由があった。だから抜け殻にならずにすんだ。
いつしか自然に,心の底から笑えた。復讐に捕らわれずに,すんだ。
「シンシアはずっと見守ってくれてたんだ。・・・ここで」
胸に手を当てる。暖かい。
ノイエの中で,シンシアは生きていた。
目を開けたら,クリフトが今頃になって泣いている。
「結局今日,三回目だな」
「・・・ごめんなさい。でも,悲しくはないです。ね?ノイエ」
「うー。どこまでも共鳴しやすいんだなぁお前」
右手から伝わる過去のぬくもりと,左手から伝わる今のぬくもり。
両方,宝物だった。大切にしたいと思った。
「復讐とか,恨みとか。ゼロにはできるかって言われたら,やっぱり無理な話かもしれない。
でも俺は,俺自身のために,先に進むぞ。デスピサロを追う。
・・・多分それでも時々は,へこんだ顔すると思うんだ。こう,ふっといろいろ思い出したときとか。
今日みたいに,あいつの姿に反応してしまったりとか」
すっかり明るくなった部屋の中,ノイエは立ち上がった。
クリフトに手を差し出す。彼は少し不思議そうに首をかしげたまま,その手を掴んできた。
直後,勢いよく引っ張り上げる。
「うわっ?」
「頼むぜクリフト!そのときは俺が笑っていられるように,殴るなり蹴るなり替わりに泣いてくれるなり,
とにかく何とかしてくれ」
「・・・・・・はい!」
「んー?無理です,とか,調子が良すぎます,とか言わなくていいのか?」
「大丈夫,何とでもしてみせますよ」
「わっはっは!さっすが」
ぶつかるようにクリフトに抱きつき,ノイエはばしばしとその背中を叩いた。
自分より背の高い親友は,涙を目に残したまま笑った。頭を撫でてくる。
「こら,お子さま扱いするな!お前もばしばししろー!」
「はい」
「あとでアリーナにもばしばししよっと!クリフト妬くなよ」
「はいはい」
ばしばしばしばし。叩かれて,さらに叩き返して。
ノイエはただひたすら笑った。幸せだと思った。うれしくて泣きそうだった。
薄明の時間が終わり,さえざえとした朝日が差し込む宿の一室。
りんごとハーブティ。来てくれた二人の友。支えてくれる仲間たち。
すべてが合わさって,諦念を超えた幸福感を生む。自分の身体が満たされていくのが分かる。
シンシアが自分に残そうとしたものは,まさにこういう感覚なのかもしれない。
日常の,当たり前のような小さな幸せを最大級の幸せだと感じられる,この心なのかもしれない。
食堂に行ったら,こうやって一人一人に抱きつこう。
心配をかけたことへの謝罪を込めて。そしてとびきりの感謝を込めて。
きっとそれが,一番自分らしい気持ちの示し方。
「・・・行きますか?」
「おぅ」
ありがとな。
小さく呟いてからノイエは,何かを確かめるように少しずつノブを回す。
扉の向こうの世界には,おいしそうな朝食の匂いと仲間たちの優しい気配。
そして,耳を桜色に染めて,はにかんだように笑うシンシアが待っていた。
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小さな後書き
与えてくれたものの大きさを知ったとき,残された人はさらに強くなれるんだと思います 。
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