正しい休日の過ごし方

この街はいつ訪れても,いい香りがする。
それはケーキ屋さんのメイプルシフォンだったり,民家の焼き魚だったり,小さな酒場の裏メニューのスープだったり。
どれも全部,あたたかくて,どこか懐かしくて,ほっとする感じ。
サランの街は今日も,そんなやわらかい空気に包まれていた。




並んで歩くクリフトを見上げたら,すぐにわたしの視線に気がついて,少し目を細めて笑い返してくれた。

「いい天気ですね」
「うん。お休みが昨日じゃなくてよかったね。ずっと雨だったから」
「えぇ。この様子だと,今日は一日降りそうにないですね。今出ている雲も消えてしまうでしょう。
 今晩は新月のはずですから,星がよく見えそうです」
「じゃあ今夜は外でお茶しよ!城のテラスで」
「分かりました。夜にまたお邪魔しますね。ちょうど母が焼いたサブレもありますし」

そう言ってクリフトは,手から提げている袋を軽く振った。
中には,今貰ってきたばかりのサブレがぎっしり詰まってる。これほんとに美味しいのよ。アーモンドの粉がたくさん入ってて,さっくり香ばしい。夜が楽しみ。


サランにはクリフトの実家がある。たまにしか帰れないけれど,ちゃんと彼の部屋だってある。
久々に顔を出しに行くというクリフトに,わたしはちゃっかり付いてきた。だって今日は一日,公務も授業もなんにも入ってなかったんだもの。
長い旅を終えて城に戻ってきてから,あわただしい毎日が続いていた。でも苦痛には感じない。
もし旅に出る前のわたしだったらきっと,どうやってさぼろうかと必死に頭を使ったんだろうな。

それでも,たまには息抜きも必要よね?
せっかくの自由な一日,めいいっぱい楽しもう!





すれ違う人たちが,笑顔で会釈をしていく。わたしたちはそれに目で答えたり,軽く手を振ったりする。
もうこの街のほとんどの人が,わたしとクリフトの顔を知っているんだと思う。お忍びで…いえ,別にもう隠れたりはしてないけど,時々サランに遊びに来ているから。

「姫さまだ!姫さまがいる!」
「アリーナひめさまぁ!」

左後ろのほうからわたしを呼ぶ声が飛んできた。慌てて振り向くと,通りの反対側にいた子供たちが,こっちに向かって走ってくるのが見えた。
わたしはその場でかがんで,飛びついてきた男の子を受けとめる。予想よりも勢いがあってちょっとびっくりした。
幼い女の子のほうはクリフトが抱きとめる。男の子とよく似ているから,妹かな。
男の子はきらきらした目で,わたしを見上げてくる。

「姫さま!」
「うん,なあに?」
「せーのっ」
「「ごけっこんおめでとうございます!」」
「えっ?」


小さな兄妹からの突然の祝福。なんだか胸がいっぱいになった。
クリフトと視線を交わす。彼は軽く頷いた後,どきりとするくらいの鮮やかな笑顔で,女の子を抱き上げた。

「ありがとう!」
「ありがとう,うれしいわ!…えぇと,君がお兄ちゃんよね?」
「うん!妹といっぱい練習したんだ,姫さまにお祝い言おうねって」
「ちゃんといえてよかった!」
「な!おひろめの前に姫さまに会えたしな!」

二人は満足そうに頷きあっている。クリフトが女の子を地面に下ろすと,すぐにお兄ちゃんのほうに飛びついて,一緒になってくるくる回りだした。
あはは,かわいい。見ているだけで心がほんわかする。


そう,わたしは結婚する。もっとも式まではまだ,ふた月ほどあるけど。
式の後は,サントハイム国内の主要都市を回ることになっている。これはわたしの希望だった。
できるだけ多くの人たちに挨拶をしたい。ありがとうを,言いに行きたい。


「こぉらお前らなにしてんだあ!失礼だろうっ」
「「うわぁ!」」

どどどどどっ,と,ものすごい足音をたてながら,体格のいい男の人が走ってくる。
子供たちは悲鳴を上げてわたしたちの後ろに隠れた。髪の色も一緒だし,間違いなく二人の父親ね。

「……あぁ,本当にすみません姫様,子供たちがご迷惑を」
「ううん,怒らないであげて!」
「私たちにお祝いの言葉を届けに来てくれただけなんです」
「そう言っていただけると…。こいつらずっと家で練習してたんです。お披露目まで待てなかったんだな,お前たち」
「…さぁ,前においで?」


もうすぐわたしの夫になる彼は,相変わらずの穏やかな眼差しで,足の後ろにしがみつく女の子の頭をそっと撫でた。
クリフトの笑顔なんて,もう飽きるほど見てきたはずのに。少しだけ,見とれてしまった。





サランから城までは,そんなに遠くない。かといって近すぎもしない。
歩いたらそれなりにかかるけど,馬を使うほどでもない,という微妙な距離だった。だからみんな,少し長めの散歩を楽しむ。
広がる草原。海側から吹いてくる風。ぽかぽか陽気。絶好の散歩日和ね。
城への帰り道。クリフトとだったら,すたすた歩いたり走ったりしても平気。

少し先に,濃い青色のかたまりが見えた。大きな花が群れて咲いている。
往きも気になっていたけど,この花,初めて見る気がする。どこかから種が飛ばされて,ここに根付いたのかな。
走って傍まで行って,花びらに触れてみる。見た目よりも厚みがあって,驚くほどみずみずしかった。

「クリフトー!」
「はいー?」
「こんな花,前から咲いてた?」
「えぇ。毎年この時期に咲いていますよ。咲く期間が短いので,姫様は今までご覧になれなかったのかもしれませんね」
「そうなんだ。知らなかった…」

こんなに城のすぐ近くなのに。わたしが知らないことは,まだまだ沢山あるんだ,きっと。
ようやく追いついたクリフトが,花を手にとって顔を寄せた。

「…あぁ,ちょうど一番いい頃ですね」
「なにが?」
「いえ,この花,咲ききったときの香りがとてもいいんですよ」
「え……あ!ほんとね」

わたしも匂いをかいでみた。甘い香りがする。でもただ甘いだけじゃなくて,蜜柑のような爽やかさもある。

「何本かいただきましょう」

クリフトは少しかがむと,沢山の花の中から特に香りのいいものを選別して,そっと手折っていく。
五本目を手に取ってから,身体を起こした。

「すみません,お待たせしました」
「クリフトって」
「?」
「花,似合うね」
「………ありがとうございます…」


青色の花を抱えたまま,なんとも複雑な顔で礼を言うクリフトに,わたしは思わず笑ってしまった。



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小さな後書き

久々の休日。温かい祝福を受け,幸せいっぱいの二人です。

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