城に戻り,部屋の片づけがあるというクリフトと途中で別れた。
そう,クリフトは部屋を移動することになった。礼拝堂の横の小さな部屋から,ちゃんとした執務室に。
本人は,そのままでいいって言ったんだけど。さすがに周りが許さなかった。でも,あの部屋はあの部屋でそのまま残してくれるらしい。それを聞いたときのクリフトは,本当に嬉しそうだった。

…さあ,夕食まではまだまだ時間がある。どこに行こうかな?
行き先を決めずになんとなく歩いていたら,視界の右端で何かが動くのが見えた。


「なぁー」


小さな鳴き声。ミーちゃんだ。出窓に寝そべったまま,ふさふさのしっぽを優雅に揺らしていた。

「お昼寝は終わったの?」
「んなーぁ。なああぁ」
「はいはい,いま撫でるから」

撫でろ,撫でろとアピールの激しい彼女の背中と喉の下を,わたしは思いっきり撫で回した。
まるで地鳴りのような,大きなゴロゴロ音を喉から発しながら,ミーちゃんはうねうねと身体を動かす。
もさもさのお腹に顔を突っ込んだ。こうやるとミーちゃんはいつも,ちょっと嫌そうな声をあげる。
でも,たくさん撫でてもらう代償として我慢している。そんな感じ。本当に賢い子ね。
たっぷりとお日様を浴びたミーちゃんの身体は,洗濯して乾かしたばかりのタオルの匂いがした。

もういいだろうと言わんばかりに,ミーちゃんはわたしの顔の下からずりずりと這い出して,ぴょこんとジャンプした。
着地点は,わたしの肩。



「…お腹が減ったって?」
「んな」
「……ご飯のもらえる中庭まで連れて行け,って?」
「んな!」


甘えんぼうの女王様は,上機嫌で鳴いた。





結局,ご飯を平らげた後もまだまだ寝足りないというミーちゃんに付き合って,中庭で一緒にお昼寝をしてしまった。
気がつけば夕方になっていた。くっついて寝ていたミーちゃんはもう居ない。彼女はいつだって気まぐれ。
少し身体を動かそうと思っていたんだけどな。まあ,それはまた今度にしよう。
さっきまで空に少しだけ残っていた雲も,すっきりきれいに消えていた。クリフトの天気予報,大当たり。あと数刻もすればこの空は星で埋め尽くされるんだろう。
今は,てっぺんから西の地平にかけて,きれいなグラデーション。前にモンバーバラで飲んだ,オレンジとピンクグレープフルーツのミックスジュースみたいな色。ちょっと思い出して飲みたくなった。


とりあえず部屋に戻ることにした。厨房の横を通ったら,魅力的な香りが廊下にまで漂っていた。一気に空腹感を覚える。
夕食はきっとハーブ焼きね。肉かな,それとも魚かな?





予想通りのハーブ焼きを食べて,ピンクグレープフルーツがなかったから普通のオレンジジュースを飲んで。
夕食を終えて,部屋に戻ってクリフトを待つ。あ,ちなみにハーブ焼きは鶏だった。シェフ得意の料理で,わたしの大好きなメニュー。
それにしても,今日は随分といろんないい香りをかぐ日ね。


しばらくして,ドアがノックされた。控えめに三回。叩く間隔ですぐに誰だか分かる。
扉を開けて出迎えた。

「すみません,お待たせしました」

昼間に花を手折ったときと同じ台詞を言いながら,クリフトは軽く頭を下げた。

「うぅん,大して待ってないわ。さあ,行こう!」




テラスに出ると,満天の星がわたしたちを出迎えてくれた。

「うわぁ…ほんとにすごいね!」
「少し風があるから,空気が澄んでいるんだと思います」
「そっか,それでこんなにはっきり見えるのね」

空に流れる川までくっきり。東にはドラゴン座の瞳星が,西にはキングスライム座の王冠星がひときわ目立って輝いている。
旅の空で,見上げた天は星の配置が全然違った。見たことない星も沢山あった。世界中どこから見ても空は同じなのかと思っていたのに。
でもやっぱり,この時期に西の方角に王冠星が見えていると,なんとなく安心する。

…ずっと上を見ていたら首が痛くなってきた。一度ぐりぐりっと回したら,クリフトがお茶の用意をしているのが目に入った。
てきぱきした動き。でもせわしなさはなくて,落ち着いて見えるから不思議ね。


「…さあ,どうぞ」
「ありがとう。……あれ?」

漂ってきた香りに驚いた。

「これ…あの,昼間の花の香りよね?」
「ええ。実はあの花,お茶にできるんです」
「そうなんだ!」

確かに,ランプに照らされたカップの中のお茶は淡い青色をしている。
一口,飲んでみた。


「…おいしい!」
「なぜか柑橘系の味がしますよね」
「うん。さっき飲んだオレンジジュースみたい」
「気に入っていただけてよかった」

カップを持ったまま,クリフトは笑った。
ランプの炎が揺れて,青い瞳に光を添えた。



「…アリーナ様?」


ぼぅっとしていたら,名前を呼ばれた。
今日一日で,何回見とれてしまったんだろう。


「…今日ね。気がついたことがあるの」
「?」
「わたしの周りには,いろんないい香りが溢れているんだなってこと」
「えぇ。そうですね」
「それから,これは再認識したことだけど」


クリフトに見つめられて,胸がきゅっと狭くなる。多分,さっき飲んだお茶の香りがまだ鼻の奥に残ってるせい。きっとそう。
ランプに照らされたクリフトは,青色とオレンジ色。このお茶のイメージと被る。


「…わたし,クリフトのこと,自分でもあきれるくらいに好きなんだなぁ,って」



青い目が見開かれた。そのあと,ゆっくりと細くなる。
睫毛が揺れる。口元が笑みをかたどる。
ほら。そういう表情の変化がずるい。


クリフトはカップをテーブルに戻して,椅子から腰を上げる。
真面目な顔になって,わたしの傍にくる。
すっと右手が伸びてきた。顔にかかっていたサイドの髪を,耳に掛け直された。
長い指がわたしの頬に添えられる。遅れて左手も。両手でそっと包み込まれる。


「………」



わたししか聴くことができない,クリフトの声。
そして,わたしだけが見られる顔。


なんて素敵な休日だったんだろう。今日一日を振り返りながら,わたしは静かにまぶたを閉じた。





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小さな後書き

結婚前の甘々な小話でした。
愛する人とともに,小さな幸せをかみ締められる日々って素敵です。

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