夜を迎えようとしている地上は,大粒の雨が降っていた。
巨大な神殿の屋根に,濠の水面に,冬枯れの樹々に当たり,弾けて白い靄となる。
ゴットサイドに到着したばかりの8人の肩にも,容赦なく雨は降り注ぐ。
すぐにでも宿屋に走り込んだほうがいい状況だったのだが,皆,その場から動かなかった。いや,動けなかった。
「新たな強さと,僅かな弱さ,か」
めずらしく,ライアンが一人つぶやいた。
「・・・どういう意味なのかしらねぇ」
「神がおっしゃることは,即座には理解しかねるわい」
予言めいたマスタードラゴンの言葉。
天空と闇にもっとも近い場所,ここゴットサイドで,いったい何が起こるというのだろう。
「・・・あら?
ねぇ,祭壇のほう,少し騒がしくありませんか」
ミネアに言われ,一同は濠の向こうの祭壇を見た。
確かにやたらと人が多い。雨音で声は聞こえないが,皆慌てふためいているのが動作だけで分かる。
「行ってみましょう」
クリフトが皆を促した。いつもなら真っ先に,ノイエが「行こうぜ」と言い出す。
だが彼は先ほどから黙り込んだまま,一言も言葉を発しようとしなかった。
「なに,これ・・・」
最初に祭壇に登ってそれを確認したアリーナは,絶句した。
後に続いた皆も,すぐに声が出せない。
祭壇の上に,大穴が開いていた。
あまりに深すぎて底が見えない。奥に広がるのは濃い闇。
ただならぬ気配を感じた。間違いなく強い魔物たちが巣食うっている。
「大地をゆるがす音とともにこの祭壇に道は開かれた。
しかし,この道がどこへ続くのか天空の神は答えてはくださらぬ・・・。
おお天空の神よ,いったいどうしたと言うのですか?」
預言者らしき人物が,うつろな表情のまま,空に向かって空しい訴えを繰り返していた。
「・・・・・・この奥に行けと,そういうことじゃろうな」
「それ以外に考えられないわね。神の試練,ってわけ?
・・・あぁ,また魔法,使い通しになりそう」
「武器や防具も一度,しっかり点検してからのほうがよさそうだなぁ」
「食料も大量に必要になるかもしれませんね」
「・・・とりあえず,今日はもう宿に行こう?」
雨はその勢いを増している。アリーナのその提案に反対するものはいなかった。
西の空が完全に暗くなる前に,皆は宿屋の扉をくぐった。
宿の一室に,クリフトは荷物を置いた。
雨に濡れて額に貼り付いた青い髪を,右手の指でかきあげる。
荷物からタオルを取り出して,頭を覆った。タオルはすぐに水を吸って重くなっていく。
ノイエもようやく邪魔な鎧を脱ぎ終わる。クリフトが差し出した新しいタオルを受け取り,小さく「さんきゅ」と礼を言った。
濡れた身体でソファーに座るわけにもいかず,二人は立ったままで髪を拭く。
「服もずぶ濡れですね。早く着替えないと」
「そうだな」
やはりいつもより口数が少ない。返事がたった一言で終わる。
無理もなかった。
クリフトはノイエの傍まで寄ると,そっと名前を呼んだ。
「ノイエ」
「・・・・・・ん」
「あなたのせいじゃない」
「・・・お前,前にも同じこと言ってくれたよな」
頭を拭いていたタオルを首にかけて,ノイエはクリフトに顔を見せた。
「大丈夫。分かってる。ちょっとへこんだだけ。
別に自暴自棄になったりとか,そんなんじゃないから」
「・・・そうですか」
「俺,後悔はしないって決めてるしさ。
でも・・・単純に,悔しい。全然,歯がたたなかったから。
あと,今になって,ちょっと怖い」
俺はまた,大事な人たちを死なせてしまうところだったんだな。
そう呟くノイエの抑えた声に滲む,激しい感情。
他人の感情を自分の感情に置き換えてしまうクリフト。不意に涙がこぼれそうになる。
それに気がついたノイエが,少しだけ笑う。
「わりぃ。またお前,泣かせちまうな」
「いえ。・・・私だけでなく,他の皆さんも気持ちは同じです」
泣く代わりに,右手を伸ばしてノイエの頭に添わせた。
左手を背中に回して抱きしめる。
ノイエは小さく息を吐くと,クリフトの肩に頭を預けた。
濡れた前髪が額と服の間に挟まり,絞り出された雫が鼻先を伝って落ちてゆく。
「・・・マーニャさんとライアンさんの表情を,見ましたか」
「あぁ」
「姫様の声も」
「おう」
「あなたと,同じですよ」
自分にもう少し,力があったなら。
「そうだな」
そうしたら,勝てたかもしれない。
「私も,です」
仲間たちを守れたかもしれない。
「・・・強く,ならないとな」
「えぇ」
「また一緒に,ライアンに剣,習おうぜ」
「はい」
「それから,マーニャとブライと,もっと魔法の特訓する。
あと,回復魔法。効率よく治す方法,教えてくれるか?」
「もちろんです」
「俺,最近な・・・」
ノイエは額をクリフトの肩に押し当てたまま,話す。
クリフトからは,その表情は見えない。
「ちょっとだけ,『この世界を守りたい』って気持ちが強くなってきたんだ。
・・・いや別に,勇者の自覚に目覚めたとか,そんなんじゃないぞ。
ただ,お前やアリーナやライアンや・・・みんなが生きるこの世界を,守りたくなったんだと思う。
お前たちだけ守れればいい,っていうのじゃなくて。
この世界ごと・・・俺やみんなを育ててくれたこの大地ごと守れないと,意味がないんだって気づいた」
肩から直接伝わる,声。
堪え切れなかった。クリフトは静かに涙を零した。
「なんか,うまく言えないけど。根拠なんてないけど。
そのためだったら,それを叶えるためだったら,もっと強くなれそうな気がする」
「えぇ。きっと」
ノイエはクリフトを一度強めに抱きしめ返してから,その背中を数回叩き,身体を離した。
「・・・あ〜ぁあ,結局また泣かせちまったな」
ノイエの声の質が一気に変わる。
にっと歯を見せて,肩のタオルをもう一度頭に乗せた。
クリフトも自分のタオルで目を軽く押さえた。
「・・・よし!下に行こうぜ。腹減った」
「ええ。その前に着替えましょう」
「だな。今晩早速,魔法の特訓しようかな」
ノイエは窓越しに,いまだ雨足が衰えない外をじっと見やる。
「俺,すかっと晴れてる空のほうが好きだけど,しばらくは雨のままでいいかも」
「どうして」
強い目のままで,ノイエは笑った。
「雷を呼ぶには,ちょうどいい天気だろ?」
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小さな後書き
なんのために戦うのか。大変な思いをしてまで強くなろうとするのか。
皆の答えは,ここにあります。
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