優しさが溶ける雨


毎年この日だけは必ず,サランの実家に帰って,一晩泊まることになっている。


その意味が分からなかった幼い頃は,両親,兄,姉と共に過ごせることが単純に嬉しかった。
今日が何の日なのかを知ったのは,いくつくらいの時だったか。十歳前後だったかもしれない。
驚き,うろたえ・・・,それでも両親に詳しく尋ねようとは思わなかった。子供なりに心のどこかで気がついていたのかもしれない。尋ねることによって,両親が少なからず辛い思いをする,ということを。



陽が沈んだ後に,霧のような雨が落ちてきた。けむる空気が,肌と髪に細かな水滴を残していく。
前庭にある礼拝堂は,静かで厳かだった。
父上が燭台のろうそくに火を灯す。不意に,3つ目の名前を貰ったときのことを思い出した。でも今日は,ここに来た目的が違う。


「・・・さぁ,クリフト」
「お願いね」
「はい」


父上と母上が,ひざまずく。兄上と姉上が,その後ろで同じように手を組む。
私は祭壇の前に進んだ。掲げられた十字を,見上げた。


ゆっくりと,祈りの言葉を紡いでゆく。

天まで届くように。
15歳で他界した2人の兄に,聞こえるように。
そして,今ここにいる両親と兄,姉の心に響くように。

家族全員の安らぎを,願った。







残された者がいつまでも悲しみに囚われていては,死者は安心して旅立てない,という教えがある。
だから祈りの後はいつも,皆そろって食事を取り,話に花を咲かせた。
陽気な兄上が,大きな声で笑う。姉上も笑顔を見せた。普段はもの静かな表情が多いけれど,笑うととても華やかな印象になる。
父上と母上も穏やかなまなざしで,私達兄弟を見守っていてくれる。



「・・・でもまさか,私が一番最後になるとは思わなかったな」

隣に座る兄上が突然,私の肩をばしりと叩いて言った。

「?なんのこと,ですか」
「結婚」


・・・少しだけむせてしまった。
私は約ひと月後に,姫様との結婚式を控えている。


「あら,早くなんてないわ。わたしが結婚したのは十七の時でしたし」
「ニアーリエ・・・それは遠まわしに私がもたもたしすぎていると言っているのかな?」
「ふふ,でもソル兄様にだって,想う方がいらっしゃるのでしょう」
「さぁどうだろう。予想してみるかい」
「まあ。誤魔化さずにちゃんと仰ってくださいな」

ふふふふふ,と,兄上と姉上は笑い合う。
このやりとりが私は好きだった。久しぶりに聞けて,うれしい。

「ソルフィス,意中の方がいるのなら,ちゃんと連れてきてちょうだいね」
「えぇ母上,もちろんですとも。運命の相手に巡り会える日を,私は今か今かと心待ちにしているのですよ」

あまりに芝居ががったその台詞と仕草に,私はまた噴き出しそうになってしまい,兄上に頭を軽く小突かれた。







食事を終え,部屋へ戻るために,廊下を歩く。
左側は中庭に面している。よく手入れされた緑が雨粒を含んで,そのひとつひとつにランプの光を宿していた。



この壁の傷は,幼い姫様が蹴飛ばしたときについたもの。
この段差で転んで,手をすりむいたことがある。
この柱の向こうに,ノイエが隠れていた。
ここを右に曲がった先の並びの部屋に,皆さんが泊まっていた。

屋敷で過ごした時間は,城と比べると随分短いけれど。思い出は負けないほど詰まっている。
広間。食堂。自分の部屋。バルコニー。そして,この廊下。
何故だろう。ここを歩いているといつも,どこかから声をかけられそうな気がする。




「クリフト」



・・・ほら。



父上が,背後から私を呼び止めた。


「はい,父上」
「私の部屋に来てくれないか。少し話そう」
「分かりました」




父上の,その表情。
ついに,聞くことになるんだ。



今ならきっと,うろたえずに聞けると思う。
今,聞いておかなければならないのだと思う。



そう。今日でちょうど,二十年。
双子の兄達が亡くなったのは,私が生まれるよりも,前のこと。



やわらかな雨は,静かに降り続いていた。




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小さな後書き

聞かない優しさ。言わない強さ。
でも,ようやく伝える時が来たのです。

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