この世界で一番静かな時間は,雪の降る夜だと言われている。
音もなく天から舞い降りる雪が,さらに回りの音までも吸う。
そしてその次に静かなのが,きっと,今日のような霧雨の夜なのだと思う。



「・・・飲み物,用意しましょうか?」
「いや,かまわないよ。座りなさい」
「はい」


父上の部屋。お互い,テーブルを挟み向かい合ってソファーに座った。
父上がふと窓のほうを見る。つられて私も外の様子をうかがった。
風がほとんどないのだろう。窓のガラスに雨粒が当たっていない。この窓には短いひさししかついていないのに。

お互いの呼吸音までもが聞こえてきそうな静けさ。
私はただじっと,父上が話し出されるのを待った。



・・・父上の視線がゆっくりと,窓から私の顔に移動した。
自分と同じ色の父上の目を,まっすぐに見た。



「クリフト」
「はい」
「今まで聞かずに,調べずに,知ろうとせずにいてくれて,ありがとう」
「・・・・・・」
「だからこそ,しっかり話しておきたい」
「・・・はい」



頷いて,手を身体の前で軽く組んだ。
不思議なほど,心は落ちついていた。



「ランダルとレナートの死因が,はやり病などではなかったことくらいは,気がついていただろう」
「はい。当時すでに城に仕えていた人々から,兄上たちと同時期に亡くなった方の話を聞いたことが一度もありません。
 はやり病だったのなら,きっと他にも犠牲者が出ていたはずなのに」
「その通りだ。病死などではなかった。だが・・・」



父上。どうかそんな顔,なさらないで。



「・・・・・・殺された,というわけでもないのだよ」
「・・・え・・・?」



どういうことなんだろう。



「順を追って話そう。理解できない箇所があったら,その都度聞いてほしい」
「分かりました」



父上はゆっくりと話してくれた。その悲しい出来事を。







ルラーフ家の役割は,『サランの統治』『王の補佐』の二つ。
そのどちらも,当主の仕事となる。事実父上も,サランと城を頻繁に行き来し,お一人で二つの役目を見事にこなされていた。

もともと城に上がるのは,跡継ぎとなる長男だけの予定だったらしい。
だが,父上やブライ様,そして陛下は,近い将来のことを憂慮した。
サランの街は今後さらに人口が増えるだろう。他国との外交や貿易も徐々に活発になってきている。仕事量の増加は間違いない。
次代,もしくはその次の世代のうちに,一人では手が回らなくなってしまうだろうということは,容易に予想できた。

幸いにも長男・次男は双子。まずは共に城で生活させ,成人後,どちらかをサラン領主として呼び戻せばいい。
そしてもう一人はそのまま王の右腕として城に留まればいい。
こうして双子の兄・ランダル兄上と,弟・レナート兄上は,揃って城に仕えることになった。




「・・・陛下も,六つ下の二人のことを本当の弟のようにかわいがってくださった。
 陛下がご成人され,そしてご結婚されて…その半年後,ランダルとレナートの16歳の誕生日に,二人は成人の儀式を受けるはずだった」
「その,直前に・・・?」
「あぁ・・・・・・」


父上の右手が,膝の上から離れた。
首から提げた銀のプレートに触れる。それには父上の3つ目の名前が彫ってあった。
すでに用意してあった兄上たちのものは,埋葬の際に添えられたと聞いている。



「・・・二人は自ら毒をあおった」



・・・・・・え?


「そ,んな。まさか・・・!」


きっと最後まで冷静に聞けるだろうと思っていたのに。予想だにしなかった父上の言葉に,私は動揺した。


「あの子たちは,大切な人を守るための方法を間違えてしまった」







やはり兄弟のどちらか一方に,『サランの統治』と『王の補佐』の両方の役割を与えよう。
そんな動きが出てきたのだという。発端はフレノールの領主の言葉だった。・・・母上の兄。私の伯父にあたる方だ。
母上はフレノールを治める貴族の末の娘だった。家族皆にかわいがられていたが,特に歳の離れた伯父上は,母上のことを溺愛していたそうだ。
いいなずけと結婚しフレノールに留まるはずだった母上を,結果としてサランに奪ってしまった父上。最初のうちは伯父上に随分恨まれたらしい。
だが,母上の幸せそうな様子を見ているうちに,次第にわだかまりは解けていった。甥に当たる双子の兄弟を,本当にかわいがってくれたという。

そんな伯父上のただ一人の息子が,落馬による怪我で急死してしまったのだ。
突然の訃報に,フレノールの街は悲しみに包まれた。伯父上もすっかり憔悴され,床に伏せることが多くなってしまったという。
やがて伯父上から,双子のうちどちらかを養子にしたいとの申し出があった。

心優しかった兄上たちは,どちらも進んで,自分が養子にいくと言ったという。
かわいがってくれた伯父に恩返しがしたい,母の故郷の役に立ちたい,と。
最初は断るつもりでいた父上も,息子たちの真摯な思いを受けて徐々に考えを変えた。


しかし,反対意見も多かった。
他の都市を治める貴族は,フレノール領主の力が強くなりすぎることを嫌った。陛下の幼馴染という肩書きは大きい。
国内すべての都市を統括する役目を持つサランならともかく,フレノールにはそこまでの力は持ってほしくない。皆平和を愛するからこそ,飛びぬけた力を恐れていた。
サランの商人達からも反発があった。フレノール伝統の『フレノール刺繍』は,サントハイム国内だけでなく,国外でも高い人気を誇る。国外取引はサランの商人が一手に引き受けていたが,もしかするとその権利もフレノールに返還することになるかもしれない。
利益のこともある。しかしそれ以上に,知識のない者の取引によってこの刺繍の価値が下がってしまうことを,商人達は恐れた。大切な国の宝であるフレノール刺繍を,商人達は愛していた。

国全体が,どことなく落ち着きを無くしていった。
ランダル兄上が短い手紙を残して命を絶ったのは,そんな時だった。







「二人でなく,一人しかいなかったら。そう考えたのだろう。
 そして翌日,レナートまでもが同じ行動を取った。
 ・・・そんな所まで双子で似なくても,よかったのにな。
 やがてフレノールの家督は,遠縁の家系に移った」


父上の声が頭の中で,重く響く。
気がつけば,ランプの油はもう残り少なくなっていた。


「誰かが誰かを陥れたわけではない。激しい争いが起こったわけでもない。
 人の優しさと弱さと脆さが,このような結果を招いてしまった。
 時として悲しい出来事は起こる。だがそのことを,次代が背負ってはいけないのだと思う。
 平和と対話を重んじるこのサントハイムを,愛し続けていってほしい」



あぁ。だから,このタイミングで話してくれたんだ。



「・・・話してくださって,ありがとうございます」


もう,動揺はしない。


「兄上たちのことは,けして背負いません。でも,忘れずにいます。
 ずっと覚えて,います」


「・・・・・・ありがとう」




私は初めて,父上の涙を見た。









父上の部屋を後にして,再び,廊下を歩く。
雨はまだ降り続いていた。



城に仕える人たちからはよく,双子の兄上たちにそっくりだと言われた。
ソルフィス兄上も,ニアーリエ姉上も,兄弟全員,容姿が似ている。だけど私は顔だけでなく,背格好も,高めの声までもが似ているらしい。

急に思い出した。旅に出たばかりの頃,ブライ様に尋ねられたことがある。
『命を賭しても姫様を守れるか?』と。
いいえ,死んでしまっては意味がない,この先も守り続けるために死なないと答えた。それを聞いたときのブライ様の表情の意味が,ようやく分かった気がした。



庭の白い花が,暗い中でほんのりと浮かび上がっていた。
誘われるように庭に出てみた。屋根がない場所だけれど,弱く細かい雨は気にならなかった。


ゆっくりと深呼吸した。空気がとても澄んでいる。
この時期に東からやってくる,砂漠の砂を含んだ空気も,この雨で一掃されたらしい。
湿った空気は胸に優しい。そして多分,心にも優しい。
今日がこんな雨の日でよかったと思う。



明日はきっと,晴れ渡った真っ青な空が広がるんだろう。
優しい雨に,私は感謝した。




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小さな後書き

自分を大切にしてこその,博愛。
クリフトはしっかりと,分かっていました。

雨はクリフトを,家族を,そして国中の人々を包んで,朝まで降り続けます。

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