アリーナはつやつやになった髪を指に巻きつけて遊びながら,食堂へ向かった。
これだけきれいだったら,モンバーバラの時みたいに,クリフトが髪に触れてくれるかもしれない。そう思うと我知らず,顔が緩む。


食堂に,クリフトの姿はなかった。宿の女将が調味料の入った小瓶をそれぞれのテーブルにセットしているだけだった。
部屋もからっぽだったので,きっとお風呂にでも行ったんだろう。
残念だけど,一度戻ろうかな。そう考えた時。

「アリーナ姫,クリフト殿をお探しか?」
「あ,ライアン」

タオルを持ったライアンが,後ろに立っていた。風呂あがりらしい。

「クリフト,お風呂にいた?」
「いや。さきほど,トルネコ殿とノイエ殿と共に,出かけられたようだ。
 すまない,行き先までは聞いていなかった」
「外に出てっちゃったのね・・・」
「ああ。でもじきに戻るそうだ」
「そう。・・・ありがとライアン,わたしもちょっとだけお散歩してくるね」






あてもなく,アリーナはただ,通りを歩く。
もうじき太陽が沈む。西の空は橙,東の空は深く濃い青。
夜に,ランプの明かりの下で見るクリフトの目の色だ,と思った。



――最近二人きりになると,わたし,なんだかおかしい。とくに夜。
昼はまだまし。さっきの買出しの時も,そんなに不自然ではなかった,と思う。
どこがおかしいかは分からないけど,なんとなく。
クリフトが時々見せる,戸惑いの表情。わたし,変?でも原因が分からない。

ずっと船旅が続いたからかな。
あんまり運動,できなかったし。
ご飯,ちゃんと三食たべれなかったから?
でもクリフトには,聞けない――



だんだんと人影がまばらになってきた。
そろそろ戻らないといけない,みんな心配する。引き返そうとアリーナは足を止め,後ろを向くときに何気なく右の店のショーウィンドウを見た。

そこは,小さな画材店だった。味のある油彩画がイーゼルに飾られ,その下には筆や紙などの画材が綺麗に並べてある。
手前には,色とりどりの絵の具たち。
と。そのまま・・・惹き込まれた。

「あ・・・・・・」



それは,パステルのセット。

髪の青。目の青。クリフトの色が,そこにあった。
初春の晴れた空のような,優しいが,どこか毅然とした色。
南国の深い海のような,濃く鮮やかだが,どこまでも澄み渡った色。


――触れたい。
あなたの色に触れれば,もっと近づける?
わたしを置いて,いかない?――


「・・・っ」

無意識のうちにガラスに両手を押し当てていたことに,気がついた。
手をどかすと,まるでそこだけくり抜いたかのように,手形がくっきりと残っていた。


――いったい今,なにを考えた?


手の甲で頭をてしてしと叩いた。
よくよく見るとパステルには,全員の色がそろっていた。この緑はノイエ,こっちの紫はマーニャとミネア。
ライアンの茶,トルネコの青灰,ブライの白。
そしてアリーナ自身の,亜麻色と赤も。

しかし,目がいくのは青ばかり。


すぐ横の扉が中から開けられても,アリーナはずっとその青を見つめたままだった。

「あれっアリーナ?」
「・・・え。何?どうして」

店から出てきたのは,ノイエだった。






「いやお前さんがいなくなってからは,教会に行くのも大変でのぅ」
「では今日は久々に押しましょうか,トムじいさん。・・・よいしょ。おおお懐かしい感触だなぁ」

トルネコは,「あぁ申し訳ない,先に宿に戻っていてもらえますか」とクリフトに声をかけて,
老人を後ろから押しながら教会を出て行く。

「分かりました。気をつけて下さいね」

右に左に。お腹を揺らして行ったり来たりしながら老人を押すトルネコのシルエットが夕闇に浮かび上がった。
聞こえてくる声は楽しそうなのだが,すでにその肩は上下している。
どうかお二人とも,川に落ちたりしませんように。クリフトは思わず手を組んで祈った。
神父とシスターが顔を見合わせて,くすりと笑った。
その視線に気がついて,ははは・・・と少し首を傾けながら照れくさそうに眉を下げる。

「・・・それでは,私もこの辺で失礼いたします。いろいろとお話を聞かせてくださって,ありがとうございました」
「ええ。お疲れ様でした。またなにかありましたら,遠慮なくいらして下さい」
「旅の無事をお祈り申し上げます,神官様」


神父とシスターに頭を下げ,クリフトは「おやすみなさい」と柔らかい声を残して,教会を出ようとした。
ふと,向こうから走って近づいてくる影に気がついて,足を止める。扉の横によって道を空けた。

やってきたのは,まだ若い男性だった。自分より少し上くらいだろうとクリフトは思った。

「ふぅ・・・。あっ,すんませんどいてもらっちゃって」
「いえ,お気になさらず」
「あなた・・・何も走ってこなくてもいいのに」

シスターのその言葉に,クリフトは少しだけ驚いて振り返った。

「日が暮れる前に迎えにこようと思ったんだよ。間に合わなかったけど」
「もう。いつもこうなんだから・・・」


口調とは裏腹に,咎めの気配は感じられないうれしそうな声。
クリフトの目も思わず細くなった。

「お二人は,ご夫婦でいらっしゃるんですか?」






「どうしてノイエが画材屋さんから出てくるの?」
「アリーナこそなんでこんなとこにいるんだよ?」
「あ,あのちょっと,見てただけ,きれいだなと思って,色,パステルとか」

言葉は明らかにおかしかったが,ノイエは「ふ〜ん」と言っただけで,つっこんで聞いてはこなかった。
アリーナに並ぶようにして,ショーウィンドウの中を見る。


「・・・うん。確かにきれいだよな・・・・・・」

彼の視線も,パステルの中の一点で止まって,そのまま動かなくなった。
ノイエはいったい何色を見ているんだろう。アリーナには分からなかった。
とりあえず自分もまたパステルに目を戻す。

「ね?きれいでしょ。
 ・・・あれ?」


ガラスに映るノイエの姿。その手には,平たくて大きな包み紙が。


「なにか,買ったの?」
「スケッチブックと,そこにあるのとおんなじパステル。・・・・・・うぉいちょっとまてアリーナ,なんだよその顔!」
「ノイエ・・・絵なんて描くの・・・?」
「おう。ノイエ画伯って呼んでくれ。あれ普通は苗字?じゃあニーベルリート画伯。うん,ちょっとかっこいいじゃん」
「うそぉ!?だってノイエよ?ノイエだよ??え,絵?ええーっ」
「いやそこまで言われると,さすがの俺だって傷つくぞぅ・・・」

しゅん。となってしまったノイエを見てさらにアリーナは驚く。

「ごめん,だってあんまり意外だったから。ごめんねごめんね,よしよし」
「同い年のアリーナになでられてもうれしくないぞ。ってなんか俺最近,頭なでられてばっかりだ。
 こないだクリフトにもなでられた!」

うれしくないといいながら,やっぱり元気になるあたりがノイエだとアリーナは思った。

「子供のときにさ。父さんが街で買ってきてくれたんだよな,12色のクレヨン。
 それ使って似顔絵を描いてプレゼントしたら,すっげー喜んでもらえて。それからかなぁ」



家族や友達の誕生日に,毎年絵を贈っていたのだとノイエは言う。
意外と彼には,芸術的センスがあるのかもしれない。歌だけは・・・なんというか,痛いけど。
アリーナがそんなことを考えているうちに,ノイエの目はいつの間にか,パステルへと戻っていた。

「クレヨンから,絵の具になって。んでパステルも使うようになったりとか。
 運動したり,釣りしたり,水汲みしたりする合間に,ちょこちょこ描いててさ。
 結構,上手くなったんだぞ?シンシアにも褒めら・・・」


ノイエの肩が揺れた。俯き気味だったので顔が影になって分からない。
ただ,顔を上げてこちらを向いたその表情は,いつものノイエだった。アリーナにはそう見えた。


「そうだ!こんどアリーナも描いてやるな!!モデルになってくれ。
 また船旅になるし,そしたら暇々じゃん?もうモップ競争にも飽きてきたし,剣や魔法の練習も,船上じゃ限度があるし。まぁ退屈しのぎだと思ってさ!あははは」
「うん。そうだね,描いて」
「クリフトの絵描いたら,お前にやるな」
「なななんで!?」
「青色ばっかり見てたくせに」
「ノイエー!」
「せっかくだから教会まで本物を迎えに行こうぜっ」
「あっちょっと〜!もしかしたらもう,宿に戻ってるかもしれないわよ?」



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小さな後書き

アリーナ,自分がおかしいことには気が付いているけど,具体的に何が,というのが
分からないんです。恋っていいわ。若いっていいわ。
そしてノイエ画伯初登場です 。

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