身支度を整えてから,下に参りますので。俺が部屋を出る間際に,クリフトはそう言って軽く頭を下げた。

俺はどすどすと階段を一段飛ばしで下りた。階段は飛ばせるけど,いったん感じた気持ちは,そう簡単に飛ばせない。

あいつは俺より背が高い。
あいつは俺より顔が大人びてる。
あいつは俺より早く生まれてやがる。

・・・ちぇ。なんだかなぁ。



朝飯が片付いて,昼飯の準備が始まる前の食堂は,がらんとしていた。テーブルと椅子,こんなにいっぱいあったのか。
夜には酒が用意される小さなカウンターで,アリーナは一人,赤みががったオレンジ色の飲み物を飲んでいた。
すでに俺に気が付いていたらしく,こっちを見て手を振ってくる。

「みんな,買出しに行ったよ?」
「アリーナがいなかった時に頼んどいたんだ」
「そうなんだ。・・・元気になってたでしょ」
「ああ。あれなら明日はいけそうだな」
「うん。ありがとう,出発遅らせてくれて。ほんとにありがとうノイエ」

素直に感謝されると,なんだか照れくさかった。
さっきクリフトに聞いたんだけど,この姫さんも俺と同い年らしい。こっちは納得できる。うん。むしろ俺より下かと思ってた。
毛先が巻いた明るい色の髪に,赤い生き生きとした目。気取ったところはかけらもない話し方。
お姫様かぁ。そうは見えないけど。


「それ,なんだ?」
「あ,これ?ニンジンジュース」
「なんかうまそう!」
「おいしいよ。ここの野菜おいしいよね。クリフトもいっぱい食べてくれた」
「ずいぶん,の〜んびり,二人っきりで食事してたんだなぁ」
「え・・・っ違うよ。もう。そんなんじゃないわよ?」

頬を少しだけ染めて言う,肯定を含んだ否定の言葉。
分かりやすいなあ。当分からかってやろ。でもアリーナ一人だと結構さっくり認めそうだから,二人一緒にいるときに。

「ノイエは恋人,いないの?」



桃色の髪が脳裏で揺れた。
不意打ちだ。



「・・・・・・まあ,いたことはいたけど」

頭の中で鮮やかに再現される光景を無視して。できる限り無視して。

「死んじゃったんだ」
「えっ・・・ごめん」
「あぁいいっていいって!もう過去の話!!」

明るい声を作り出して,手をぶんぶん振って言った。
アリーナが申し訳なさそうな顔をする。

「無神経なこと,聞いちゃった・・・」
「大丈夫俺気にしてないから!」
「ごめんその話・・・もうしばらくだけ,クリフトにはしないでもらってもいい?」
「え」
「きっと泣くから。クリフト泣いちゃうから。取り乱しちゃうから」
「なんで」
「そういう人なの」


分からない。俺の話を聞いたら泣いてしまうだと。
なんだよ,同情か?哀れみか?
けっ,そんなのはごめんだ!
まあ,この話題を出すこともまずないだろうけどさ。


規則正しい靴音が聞こえてきたのは,この直後だった。
アリーナがばっと,ものすごい勢いで階段のほうに振り向いたかと思うと,即座に走り出して階段を駆け上った。
階段を下りようとしていたクリフトに,低い位置から飛びつく。二人の歓声と驚愕の声が広い食堂に響いた。

「クリフト!クリフトもう起きて大丈夫なの!?」
「は,はい。おかげさまでもうすっかり良くなりました」
「よかったぁ・・・」

やっぱお前らデキてんじゃん。見せつけんなよ。クリフトのほうはめちゃめちゃ動揺してるけど。

アリーナをやんわりと自分から離れさせて,クリフトは階段を下りて俺のほうに来た。

「先ほどはどうも」
「んー」

とりあえず生返事した。
きっちり神官服を着込んで,背筋をぴんと伸ばしたクリフトは,
気のせいか,なんかさっきよりももっと目線が上にあるような気がする。
・・・あぁそうか,今は靴,履いてるからか。ってことはやっぱり俺より結構高いなぁ。くっそう。


「・・・大丈夫そうだな」
「ええ。でも思えば,こうして歩くことすら久しぶりで。すっかり身体がなまってしまいました」
「アリーナと外でも散歩してくれば?」
「えっ・・・」
「それもいいけど,なまったのなら稽古しない?相手になるわよ」
「稽古,ですか。・・・そうですね,いいかもしれませんね」
「うん。身体動かすのが一番!」
「俺もやる!」

そう言ったら二人が同時にこっちを見たので,どきっとした。

「あっほら,これから一緒に戦っていくわけだしさっ,二人の戦い方を知っておくのも大事かなーなんて!」

うわぁ建前にしか聞こえねぇ。
それでも,疑うことを知らなさそうな二人は,俺の言うことをさっくりと信じて,そうだね,そうですね,とうれしそうに笑った。
――軽い罪悪感。


どのくらい強いのか,確認してみたかった・・・なんて,言えない。
ましてや・・・俺より,ちょっと弱いといいなって思った,なんて。








宿の後ろ,北側にある小さめの庭には,人気がなかった。
今の時間は直接太陽があたらないせいか,空気も少しひんやりしている。
クリフトとノイエの稽古が見てみたい。アリーナはそう言って,庭の端にある花壇の縁に腰掛けて見物を決め込んだ。
後で両方とも戦わせてね,という一言を忘れずに付け加えてから。


ばらばらと。いくつかの武器を地面に放って,その中から自分の剣を手に取り,鞘からすらりと抜いた俺に,クリフトは待ったをかけてきた。

「あれ?クリフトも,得物は剣なんだろ?」
「ええ。でも,真剣は,勘弁してもらえないでしょうか」
「なんで?」
「まだ身体の感覚がつかめていません。手元が狂って,ノイエさんに怪我を負わせてしまうかもしれない」
「大丈夫だって,そのくらい避けるって」
「でも」
「んん〜。・・・じゃ,わかった。とりあえず一回目はこれで!」

木剣を掴んでぽんと放り投げると,クリフトはそれを上手くキャッチしてから,ありがとうございますと礼を言った。
俺も木剣に持ち変える。調子が戻ってきたら絶対に真剣でやらせるからな。

「よっし,とりあえず適当に打ち込んでくからな!」
「はい,よろしくお願いします」



前を向いたまま五歩ほど後ろにさがって,木剣を構えた。

「二人ともがんばれー!」
背後からアリーナの声。

いい感じに力の抜けた,きれいな構えのクリフト。
右足を後ろでぐっとためてから,俺は突っ込んだ。髪が後ろに引っ張られる感覚。


小気味いい音を響かせて木剣がぶつかる。
そのまま流して首を狙うが駄目。剣を垂直に当てて防がれた。
ぎりぎりと押し合う。ものすごい近い位置で視線がぶつかる。青すぎて底が知れない目からは,何も読めない。

思いっきり膝蹴りして一歩後ろに下がらせて,間髪入れずに利き手を襲った。
しかし絶妙のタイミングではじかれて,むしろこっちが仰け反ってしまう。負けじと反動で左肩に打ち込んだ。

カッ!!!

・・・体勢を崩しもせずに止めやがった。畜生!


俺は後ろにステップして間合いを取って,最初の位置に戻った。落ち着け自分。

「・・・結構やるな」
「いいえ」

多分,本格的に習ったことがあるんだろう。しかも,正統な剣術。
神官のくせに。息も乱していない。


「では,いきますね」

すっ・・・と一呼吸で間合いを詰められた。まっすぐ正面に打ち込まれた剣を,慌てて受ける。
なんだ力は,俺よりも弱いじゃないか。

コン,ガッ!カン・・・カ!ごっ カ,ガン!!

防御に勤しむ俺をあざ笑うように,二振りの木剣が不規則なリズムを刻む。
右脇腹,こめかみ,一歩引いて左膝,鎖骨のくぼみ,
こっちが踏み込んだら腹の真ん中,そして肘の先。
表情を変えず,奴はただただ狙ってきた。容赦がない。攻撃に転じれない。こっちの集中力が持たない。・・・怖い。

気が付けば,押されてアリーナの傍まで下がっていた。一気に焦る。奴の髪が冷たい水色の空に溶けて迫る。

その時,奴が何かに足を取られてよろめいた。
咄嗟に力いっぱい上段から振り下ろす。至近距離!もらった!!


一瞬で。
奴は俺の視界から消えた。
自分の剣が下から突き上げられて飛んでいくのが,引き伸ばされた時間の中で見えた。
やられた。後はきっと喉元に一撃だろう。
今頃冷静になって,俺は,衝撃と悔しさと後悔に耐えるため歯を食いしばった。

「っ!!!・・・・・・ん,ぁ?」




・・・クリフトは。
木剣を持ったまま,俺の一歩手前の地面にぺったり張り付いていた。

なっ??な,

「なんだよリアルすぎなんだよそのフェイントっほんとに転ぶんじゃねぇよ!!」
「いたた・・・。ああ,違うんです,本当に躓いてしまって。こんなところに石が」
「じゃあなんで俺の剣が吹っ飛ぶんだ!」
「偶然私の剣がぶつかったみたいですね」
「えええええ・・・」


しかし・・・こいつ最悪だ。なんてヤな場所ばかり正確に狙ってくるんだ!防ぎにくいったらないじゃん。
力より技術のタイプかよ。腹立つ!俺,こういう攻め方一番苦手だ。


「クリフト,鼻のてっぺん擦り剥けて血が出てるよ」
「え?・・・うぁ本当だ。情けない・・・」
「早く治さなきゃ」「俺,治してやる!」

遠慮して断ったりする間も与えず,俺は即座にクリフトの腕を掴んで引っ張り起こしてから,顔の前に手をかざし,回復魔法をかけ始めた。
俺だって,このくらいはできるんだ!

「あ・・・,すみませんノイエさん」
「いいって。自分で治すより楽だろ」

なぜかこの手の魔法,自分自身にかけるより,他人にかけるほうが効果が強い。

「ノイエ,回復魔法も使えるの?」
「うんまあ,今んところ簡単なやつだけ」
「いいなぁ。わたし魔法全然駄目なのよね」
「へぇ〜そうなのか。・・・はい,治ったぞ」
「ありがとうございます。やさしいですね」
「はっ???」

思ってもみなかったクリフトの台詞に俺は動揺した。

「なななにを?」
「魔法の気配が。やさしくて,力強い」
「気配,か。・・・そう?」

魔法力には,人それぞれ特性がある。それは,知っている。
マーニャのは,熱い。熱くて,激しい。
ミネアは,ぴんとしてて清冽で,静か。
でも,俺のは・・・絶対,やさしくなんてない気がする。もっと,いろいろ混ざってて,きたない。多分。

「そんなことないと思うけどな・・・」
「いいえ。そもそも回復魔法は,『癒してあげたい』という気持ちが根本にないと,使えないものなんですよ。
魔物たちが使うのはちょっと,訳が違うみたいですが」
「ふふふ,ノイエやさしいんだ!」
「そうですね。ノイエさんご本人が,きっとやさしいんですね」
「えっいや・・・」

なんかすんごい照れるんですけど。おい。
っていうか,アリーナはともかくクリフトその笑顔はなんだよ。稽古中とのギャップがすげぇよ・・・。


「よーし今度はわたしが相手よクリフト!」
「はい。少し勘が戻ってきたので,なんとかなると思います」
「降参って言うまでやめてあげないからね!!」
「お手柔らかにお願いします・・・・・・」


さっきまでアリーナが座っていた花壇の縁に腰を下ろした。
嬉々としてクリフトに向かって構えを取るアリーナを見ながら俺は,
勝負に勝ったわけでも負けたわけでもない,このやり様がない中途半端な感じと,
どうにもすっきりしない心の中を持て余していた。




うあ?アリーナ,つえぇ・・・。な,なんなんだあの,突きの速さと蹴りの正確さは。
すばやい攻撃に防戦一方になるクリフト。間合いすら取らせてもらえない。ざまぁみろ。

「アリーナやっちまえー!」


野次を飛ばしてみたものの・・・次は,俺とアリーナか。
負けそう・・・・・・。



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小さな後書き

年上だと思ってたら同い年で,剣もかなり強かった。
しかもいいやつっぽい 。
ノイエ,ただいまもどかしさ最高潮です。

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