あぁ,結局,俺も身を守るので手一杯になったさ!
信じねえ。あれでお姫さまなんて信じてやんねぇ!!




とりあえずあの後,大事をとってクリフトにはまた部屋で休んでもらって。
俺とアリーナは買出し部隊と合流して,明日の出発の準備を進めた。
長い船旅。途中,補給もままならないかもしれない。必然的に,水や保存のきく食料を多めに用意しなければいけないことになる。
気が付くともう陽は傾いていた。見る見るうちに西の森の中に吸い込まれていく。
それと同じ速さで東の山から迫る闇に追われるように,俺たちは急いで宿に戻った。


晩飯は,みんなそろって食った。
クリフトが姿を見せると,皆,わらわらと周りを取り囲んで,よかったよかったと肩を叩いたり,
心配かけおってとぼやいたり,あ〜らやっぱりこうして見ると結構いい男じゃないと喜んでみたり,
それを聞いてあいつの腕にしがみ付いてみたり,食べ物を多めに取り分けてあげたりした。
クリフトはひたすら申し訳なさそうに頭を下げた後,すんなりと,上手に,自然な言葉で会話の輪の中に入っていく。
アリーナはよくしゃべる。表情をころころと変える。マーニャとミネアに可愛がられてずいぶんご機嫌だ。

人数が増えて。さらににぎやかで暖かになった食卓。
明日からもまた船の中で,こんな光景が毎日のように繰り広げられるんだろうな。
うん,まあ,もちろんいいことなんだけどさ。
ちょっとだけ・・・父さんと母さんのこと,思い出した。
その晩は俺も,アリーナに負けないくらい,いっぱいしゃべった。







翌朝。
すかんと晴れ渡った空の下,十分に休養を取った俺たちは,同じくゆっくり足を休めたパトリシアに牽かれて,船を係留してある北の入り江へ向かった。距離はそんなにない。半日もかからずに到着できると思う。



ことこと,ことこと。トルネコのうまい手綱捌きのおかげで,ほどよく心地よく揺れる馬車の中は,時間がゆっくり流れていく。
・・・なんだか眠くなってきた。アリーナはすでに,隅っこにいるクリフトの右肩にもたれかかるようにしてうとうとしている。
そんなアリーナを起こしたりしないように細心の注意を払いながら,あいつはものすごくぶ厚い本を読んでいた。

「クリフトは眠くないのか?」

小声で聞いてみると,本から顔を上げて,ささやくような声で返事をしてきた。

「昨日,午後から少し寝ておいたんです」
「そっか。アリーナはもう限界みたいだな。ふわぁー,俺も眠い」
「姫様は昨日,睡眠時間が短かったので」

何気ない一言にぎょっとした。

「なんでそんなこと分かるんだ?」
「えっ・・・」
「あらぁ?」

よっしゃマーニャも乗ってきた。ししし。

「まさか夜中まで二人でいたなんて,言わないでしょうねぇ」
「あ,はい。そうです」
「えええっ!」

思わずでかい声を出してしまい,慌てて口を押さえる。クリフトは自分の唇に人差し指をあてて,しーっとやった。
幸い,アリーナが起きる気配はない。
俺は声を落としてクリフトに詰め寄った。

「そ,それってどういう・・・」
「ずっと,話をしていたんです。気がついたら随分遅い時間になってしまっていて。
姫様には申し訳ないことを,しました」
「それだけ?」
「それだけ,って・・・?」
「あ〜,いや・・・・・・なんでもない」

反応が面白くないからからかうのを諦めた数秒後。クリフトの顔が,かーっと赤くなる。
「それだけですよっっ」

小声のまま器用に叫びやがった。
はっはっは!遅!!

「私は幼い頃から,姫様の話相手をさせて頂いてます。昨日は,私が倒れてから回復するまでに起きた出来事を残さず話されました。
きっと,話したくてしょうがなかったのだと,思います。途中でお止めすればよかったんですが・・・」
「話相手,ねぇ・・・」
「ふ〜ん」

俺とマーニャが茶々を入れたが,クリフトはまた本に目を戻してしまって,乗ってはこなかった。
夜中まで姫さんと神官が二人っきりだなんて,世間一般ではそれだけで許されないことのような気がしなくもないんだが,ブライは,ふんと軽く鼻を鳴らしただけで何も言わない。

本当に恋人同士なのなら,クリフトはこんなに素直に,『話をしてました』なんて言わないはず。
でも主従関係の中に見え隠れする,幼馴染の気安さもある。
まだいまいち掴めねぇ。この二人。

ぱらりとページをめくるクリフト。さっきまであんなに顔赤くしてたのに。本に集中しだした途端,表情が消えた。
昨日の稽古を思い出して背筋がぞくりとした。思わず聞いてしまう。

「なぁなぁ」
「・・・あっ,はい?」
「その本,なに?異様にぶ厚いけど。剣の指南書かなんかか?」
「いいえ。違いますよ,これ,医学書なんです」
「医学書?」
「はい。・・・見てみます?」

どうぞ,と本を渡された。受け取ったときの想像以上の重さにびびりつつ,中を開いてみる。
うわぁ。文字,びっしり。謎の単語ばっかりだ。あと訳のわかんない図と絵がいっぱいだ。
これなんだ?腕の絵?ええと,こっちは指か?おぅわぁなんか骨!骨の絵もある!!!

丁重にお返しした。

「・・・見ただけで頭痛がした」
「確かに。なかなか難解で,私も思うように読み進められなくて」
「でも,なんでまたこんな本読んでるんだ?」

神官は医学も勉強しないといけない,なんて決まりは,聞いたことがない。

「治したいんです」

なぜか切羽詰ったような声で。クリフトはそれだけ言った。どういう意味だろう。
言葉が足りなかったのに気が付いたのか,付け加えてくる。

「医者の資格が,ほしくて」



サントハイムでは,医者になるためには,国が行う厳しい試験に合格する必要があるらしい。
知識の足りない者が勝手に医者を名乗らないための制度だそうだ。ずいぶんしっかりした国だな。
クリフトは,いずれその試験を受けるつもりなのだと,いう。



「怪我は魔法で治せても,病気は・・・そうはいきませんから」
「それで医者の資格もとって,どっちも治せるように・・・ってか」
「ええ」
「でも,自分が病に倒れたら元も子もないだろ」

それこそ,何のための勉強なのか分からない。

「ん・・・。そうですね」

クリフトはちょっとさみしげに笑った後,右肩のアリーナの様子を確認してから,また本に目を落とした。

・・・なんでこいつはここまで,他人を癒すことに,執着するんだろう。
ちょっと考えてみたけど,やっぱりまだ全然,よく分からなくて。
まあ,付き合っていけばそのうちまたいろいろあるだろう。悪い奴じゃないのは,一応・・・もう,分かったし。
俺は一つあくびをしてから,馬車の揺れに身を任せた。







――腹が減ってきた。そろそろおやつに何か食べたい。果物がいいなぁ。
この減り具合からすると,もう船は目と鼻の先だな。俺の腹時計はわりと正確なんだ。
いや,確かにちょっと早くなることもあるけど。それはまあ,まだまだ育ち盛り,ってことで!
・・・あぁもう,暇だからこんなくだらねぇこと考えちまう。


ぐっすり寝ていたアリーナがいきなり目を覚ましてガバっと身体を起こしたのは,そんなときだった。

「うぁどうしたアリーナ!?」
「みなさん!!!」

突然トルネコの大声。馬車が急停車して激しく揺れた。パトリシアの嘶き。魔物か!
すでに飛び出したアリーナに続くように,俺も剣を手にして馬車の外へと身を躍らせた。
右斜め前方の茂みがガサガサと揺れる。現れた3つの影。
あれは・・・前に何度も戦ったぞ!じごくのよろい,とかいう奴が二匹と,コン・・・なんとか。
渦巻く澱んで濁った理由のない殺気。最低なニタニタ笑い。

「たぁあっ!」

その空気ごと鮮やかに切り裂いたのは,寝起きとは思えないアリーナの気合の声と飛び蹴りだった。
ありえない距離を跳んで,コンなんとかの顔を襲う。奇襲は成功して,蹴り飛ばされた奴は吹っ飛びいきなり孤立した。

コン・・・そうだコンジャラーだ。奴は魔法を使う。だから使う隙を与えないように,アリーナは間合いを開けずに次々と攻撃を繰り出す。すげぇ。


じごくのよろい達は,そんなコンジャラーを見捨てることにしたのか,ゆっくり・・・がしょん,がしょんと音を立てながらこちらに向かってきた。俺は前を向いたまま叫ぶ。

「トルネコミネアそれとブライっ馬車を守れ!あとの二人はもう一匹を頼んだ!!」
「任せてください!」
「はい!」
「安心せい!」
「了解っ」
「わかりました!」



がしょん。がしょん。がしょん。
その空っぽの鎧には死の臭いだけが詰まっていて気味が悪い。
すぐ後ろから聞こえてきた,マーニャの呪文詠唱の声とクリフトが鞘から剣を抜く音。
俺は剣を正面に構えたまま,敵に突っ込むタイミングを計る。
その間にも遠くのアリーナは一人,確実に相手を弱らせていく。


ブーツの甲が唸りを立てて脇に決まる。
さらに近づいて密着するくらいの距離から放つ,みぞおちへの正拳突き。敵は身体を二つに折り曲げる。
逆上して杖で殴りつけてきたのを両手を交差して受けて,すかさず掴んで奪って後ろに放った。

敵に動揺が走る。鉄の爪がひらめく。吹き上がる体液と宙を舞う亜麻色の髪。
こぶしを突っ込まれ,もう呪文を唱えられそうにないほどに変形した口から,言葉にもならない絶叫がほとばしった。
赤く濡れて輝く凶器とアリーナの瞳。どっちも潔いほど野蛮で強くてなのに綺麗で。
杖が,思い出したかのように空から降ってきて俺のすぐ左の茂みに消えた。



背後のマーニャの声が一気に膨らむ。ただ一点に・・・二匹の間に集中していく熱い魔力の流れ。もう少し。あと少し。
剣の柄を握る手に力が入る。詠唱が一瞬止まって張りつめる。俺も息を吸って止めて,体勢を低くする。

「――っいきなさい!」

どぉん!!!

「ぅうぉおおぉっ!!!」

解き放たれた空気と熱の爆発に紛れて,俺は咆哮を上げながら右のやつに突っ込んだ!



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小さな後書き

クリフトは癒すことに,執念に近い思いを持っています。
そしてアリーナ。強いです。

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