この時間ではもう,バザーは閉まっているだろう。今晩は城で休んだほうがいい。
そう提案したブライだったが,アリーナは首を振った。


「城には帰らない。・・・あ,違うよ,意地になってるわけじゃないから。
 今晩のうちに移動しておいたほうが,明日は朝からすぐに動けるでしょ。
 どうせ宿も押さえてあるし。それに・・・」


前を向いたまま,アリーナはしっかりとした声で告げた。


「『ただいま』には,『おかえり』って返事がほしいから」









翌朝,雲ひとつない砂漠の空の下。


「さえずりの蜜? ・・・あぁ,そういえば昔,この店にも一つだけあったっけ」


道具屋の主人は,手入れされた顎ひげをいじりながらそう答えた。


「本当に!?でも昔・・・ってことは,今はもう置いてないの?」
「あぁ,置けるもんなら置いておきたいところなんだが,ちょいと・・・いや,かなり珍しい代物でな」
「そうなんだ・・・。じゃあ,他の店にもまず置いてないってこと?」
「だろうなぁ。もしかしたら今でも,西の塔に行けば手に入るのかもしれないが」
「西の塔って!?」


アリーナは思わず,カウンターに勢いよく手をついて身を乗り出した。
置いてあったペンが転がり,そろばんが僅かに浮いて玉が鳴る。


「おわっ落ち着きなって嬢ちゃん。
 ・・・そうそう,西の塔。ここから砂漠を越えて西に行ったところに古い塔があるんだ。
 そこにはなんと,エルフがやってくるらしい」
「エルフじゃと!」

ブライが目を見開いた。


「・・・知らんかったのぅ。サントハイム領土内に,エルフが訪れる場所があるとは」
「いや爺さん,知らないのが当たり前さ。おれたち道具屋の間に広まった噂に過ぎないからな」
「確かさえずりの蜜は,エルフの間に伝わる秘薬でしたね」
「そうらしいな。だから,うまいこと会えれば,蜜がもらえるかもしれない。
 まぁ,あいつらはひどく人間嫌いらしいから,そう簡単なことじゃあないだろうがな」

そう言って,道具屋の主人は肩をすくめた。

「うん・・・。でも,可能性がないわけじゃないし。
 西の塔に行ってみることにする。教えてくれてありがとう!」
「ありがとうございます」
「いやいや礼には及ばんさ。ついでに商売させてもらうと・・・」


主人は背後の引き出しを開けて,何かを取り出した。


「・・・このキメラの翼を持っていったほうがいいぞ。帰りもまた歩いて戻るのはしんどいからなぁ」
「あ・・・,でもブライの魔法があるからだいじょ・・・」「一ついただこうかの」


そのブライが,ほっほと笑いながら財布を開く。


「万が一,わしの魔法力が尽きてしまったら大変ですわい。
 これさえあれば,その心配はなくなりますしの」
「・・・うん,そうね」

ブライは財布から50ゴールド硬貨を一枚取り出し,主人に渡した。
受け取ったキメラの翼をクリフトに持たせる。


「おぬしが管理しておけ」
「あ,はい」
「あぁ店主よ,釣りはいらんわい」
「まいどあり!気をつけてな,砂漠の魔物どもはなかなかしつこいぞ」









道具屋の主人の言ったとおりだった。
昨日は一度も遭遇しなかった,砂漠に住む魔物たち。今日は出発していくばくも立たないうちに襲い掛かってきた。


おぞましいほど巨大なミミズ。
硬い殻に覆われた,同じく巨大なサソリ。
すさまじい速さでこちらに向かって突撃してくる,二本足で歩く竜。

砂に潜って姿を隠す。足元から突然現れる。
鋭いとげが急所を狙う。
剣で受け流せないほどの力で押される。


こちらは砂に足を取られ,思うように動けない。
特にアリーナは自慢の俊敏さを活かすことができず,かなり苦戦を強いられた。
度々飛んでくる二人の援護の魔法に,何度助けられたか分からない。

なんとか全てを打ち倒したあと,アリーナは一瞬,砂漠の暑さを忘れた。
言葉に表せない何かが,突然背筋を駆け上がってくる。ブライとクリフトがいなかったら,自分はどうなっていたのだろう。








やっとの思いで砂漠を抜け,草原から森に景色が変化したところで,太陽が地平線の下に消えた。


今夜はここで野宿じゃな,と,ブライが腰を叩く。

「いやはや,陽が沈んだのが砂漠を抜けた後でよかったわい」
「本当に。今,食事の準備をします。すぐそこに小川があったので,水を組んできますね」
「うん,気をつけてね」


水を入れる皮袋と鍋を持って,クリフトは森の中へと消えていった。



「では,薪代わりになるものでも集めるとしますかの」
「そうね」


アリーナはブライと共に,付近に落ちている乾燥した小枝を集める。
もくもくと。単調な作業は続く。珍しくアリーナは静かだ。


ブライがふと,口を開いた。



「・・・今朝の話ですが。四軒目で情報が手に入ったのは運がよかったですのぅ」
「え? うん,ほんとね。バザーにある道具屋を全部尋ね回ってたら,あっという間に陽が暮れてたと思う」

そういえば,とアリーナは切り出した。

「ねぇブライ。キメラの翼を買うとき,結構多めにお金渡してた?」
「本来ならあの額で2つは買えるところですがのぅ。まあ,情報料ですわい」
「そっか。貴重な話を教えてくれたんだもんね」
「お礼という形で突然現金を渡すよりは,商品の釣り銭として自然に渡したほうが,向こうも気分がいいものですじゃ」


確かにその通りだ。ブライの知識と機転のよさに,アリーナは素直に感嘆した。


「すごいね・・・。そういうの,わたしもちゃんと覚えとかないとね」
「ほっほっほ。ああいうやりとりまで,姫様が会得される必要はないですじゃ。わしの仕事を取らんでくだされ」
「でも・・・,今回わたし,なんだか頼りっぱなしだったから。戦闘でも」
「食事は,クリフトに作らせるのが一番美味い」


一見関係のない話題。拾った薪の土を払いながら,ブライは続ける。


「わしや姫様が作ると,ああはなりませんのぅ」
「え,うん。クリフトのご飯,おいしいよね」
「しかしながら,クリフトに先陣きって魔物に向かって行け,というのも酷な話」
「ええっ!?そんなのわたしがやるよ」
「そうおっしゃると思いましたわい。お守りする立場としては複雑な心境ですがな」
「でも,それがわたしに一番向いてるもの」
「それと一緒ですじゃ」



役割分担も大事ですぞ。

ブライのその言葉が,妙に胸にしみる。
戦うこと以外の自分の役割は,何だろう。咄嗟に思いつかないのが悲しい。



砂漠さえ抜ければ,いつもどおり戦うことができれば,自分はまたいつもの調子を取り戻せるのだろうか。
アリーナは集めた枝をまとめて地面に放った。ずっと曲げていた腰を伸ばして,空を見上げる。
満天の星。白く流れる星屑の川がやけにくっきりと見えて,何故か不安になった。




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小さな後書き

元気の塊だったアリーナ,ちょっとしたきっかけで当惑中です。

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