◆◆◆

食事が終わると,一人,また一人と早めに部屋に戻りだした。
明日までに身体を休めねばならない。心も,整理しないといけない。
マーニャさんとミネアさんにとっては,父の敵を打つ日。
姫様,ブライ様,そして私にとっては,故郷を取り戻す日。
明日は,そんな日だ。

私は最後まで残って皆さんを見送ってから,父上,母上,姉上に挨拶をして,退席した。


自分の部屋へと続く廊下を急ぐ。
歩きながら,先ほどの両親の喜びようを思い出して口元が緩んでしまう。

息子を手元で育ててやれなかった。重すぎる役目を背負わせた。
そんな罪悪感は,持っていてほしくなかった。
でも自分がいくら,つらくない,幸せなんだと否定しても。父上と母上のその思いを消し去ることができないことは,よく分かっていた。
だから,姫様に協力していただいた。姫様に必要とされて,それを誇りに思う自分の姿を見てもらうために。


「やるなあ息子」

柱の向こうから,突然声が飛んできた。
ノイエが姿を現す。どうしてこんなところにいるんだろう。
風邪でもひいたら大変だ。早く部屋に戻らせないと。

「親心,よく分かってんじゃん」
「ノイエ,ずっとここにいたんですか?今日は寒いですから早く部屋に・・・」
「うれしそうだったよなぁ,二人とも」
「え?えぇ・・・」
「お前もほっとしただろ」
「はい。これで安心しました」
「俺にも過去を語ることできたし」
「あ・・・はい」
「すっきりしただろ」
「そうですね。あなたのおかげです」


会話に,違和感を感じた。
なんだかいつもと違う。


「これで明日は,全力で行けるな?」

ああなんだ,私を心配してくれたのか。
だからって,こんなところで待ってなくてもいいのに。
ノイエらしいな。

「大丈夫です。気持ちの整理もつきましたし」

そう言って,笑顔を見せた。
・・・あれ。
なんで笑い返してこないのだろう。

「そうだな。んで」

ノイエがゆっくりと近づいてくる。
訳が分からず,私の目の前に来るのをただ待った。

「あいつの気持ちは整理させてやったのか」
「あいつ?」
「分かってるんだろ」
「・・・どなたのことですか」

内心の動揺を隠して。
ノイエの質問に,私は嘘をついた。
上手についたつもりだったのに。彼の目は疑いを孕んだままだ。

そうか,ノイエ,怒っているんだ。
でもどうしてそのことで,あなたに怒られなければならない?
・・・そんな筋合いは,ない。

このままでは,感情の押さえがきかなくなりそうだった。
だんだん,笑顔を保つのが苦痛になってきた。


「言いたいこと言って。親も安心させて」

なんなんだその表情は。

「お前ばかり心のつっかえが取れたって訳か」
「・・・どういう,意味ですか?」
「へぇ。お前でもそんな目,出来るんだ」
「・・・・・・」

こんなぴりぴりとした空気は,慣れなかった。
いつもの雰囲気に戻したい。夕方の,紅茶を入れて話をしていた時のような。
心の中ではちゃんとそう思っているのに,なぜかもう,歯止めが効かない。


「いってやれよ。お前以外には無理だ」
「何のことです?」
「俺,何回も見たぞ」
「だから何を」
「お前があいつを抱きしめているとこ」
「・・・!」

驚いた。
・・・そうか,見られていたのか。だから,余計に怒っているのか?
勝手に一人で勘違いして,そう思い込んで,私にあたらないでほしい。
放っておいて,ほしい。

「・・・・・・『抱きしめて』とおっしゃるから抱きしめた,だけです」
「お前やっぱりバカだろ」
「そうかもしれませんね」
「はぐらかすな!笑ってごまかすな!!」

目をそらしたら,胸元をつかまれて引き戻された。
飾り釦の縁がランプの明かりを反射させる。その光が流れて目に入ったとたん,かあっときた。

「何するんですか!」
「いい子ぶるなよ」
「なっ」
「すっげえ感情の波激しいくせに」
「そんなこと・・・!」
「普段は抑えてるだけのくせに」
「違う!!」
「ほらやっぱりそうじゃん!」
「うるさい!!!」

もう頭にきた!今度は意地でも目をそらすものか!

「私たちのことに!」
「あぁ?」
「口出ししないでください!!」
「やだね!」
「こっの・・・・・・!」
「『この野郎』?」
「言ってほしいんですかっ?」
「ああそうだ言ってほしいんだよ!!!」
「!?」
「・・・抑えんなよ」


緑の瞳から,すっと怒気が消えた。
あまりに急に消えてしまったから,正直,拍子抜けした。
こっちがようやく本気になったのに。・・・なんなんだ。


「押し込めるなよ。なぁ。たまにはそういう,素直な感情そのまま出せよ。
お前,いろいろ無理してんの,俺でさえ分かるんだ。
・・・アリーナが気付いていないわけ,ないだろ?」
「えっ・・・」
「アリーナに心配かけないためにも。お前の,自分自身のためにも。
言いたいこと,言っちまえよ。アリーナに。
口出しするなってお前今言ったけど。なんか見てらんねえ。
お節介ぐらい,焼かせろ。
・・・・・・一応さ,仲間,ってやつだろ?
照れくさいけど」

心配なんだよ,と。
小さな小さな声が聞こえた。



・・・はははは。
なんだ。
これが,ノイエの心配方法,なのか。

一気に力が抜けた。もう立っていられない。
廊下の壁に寄りかかって,その場にずるずると座り込んだ。顔が上げられない。

ノイエがすぐ隣で,同じように床に座った。さっきはあれだけからんできたのに,もう何も言わない。何か言えとも言わない。
ただ黙って,横にいた。
大理石の床から伝わる突き放すような冷たさが,冷静さを取り戻す手助けをしてくれる。
私は,三歩ほど先の床の模様を見つめたまま,ゆっくりと話を始めた。
いつもどおりの声が出せることを,祈りながら。


「・・・ええ,そうですね。確かに私は普段,感情を抑えている節があります。
幼い頃は,すぐに泣いたり,喚いたりしました。
感受性が高いとか,そんなレベルではないんです。他人の感情をそのまま自分の感情に置き換えてしまうほどです。
だから,抑える方法を身につけました。いつも穏やかに,声を荒げないようにって。
周りのみんなが大切だから。嫌な思いをさせたくないから」

声の高さは,いつもと同じ。
でも,ところどころ震える。

「姫様に対しては特に気をつけてますよ。あの方の前で抑えている感情は,喜びや悲しみや怒りじゃ,ないから。
抱きしめてって言われたらとりあえず抱きしめたまま動けないし,
頭撫でてって言われたら撫で続けることしかできません。
だって,ちょっとでも油断したら何を口走ってしまうか分からない」

唇が勝手に躍り続ける。
普段,人には見せない自分の一面が,ノイエのせいで引きずり出されるような感覚。
でもなぜか,嫌な感じはしなかった。話すのが辛くなかった。

「幼い頃からあなたしか見てこなかったんだと,
あなたとつり合う身分がほしくて頑張ったんだと,
このままずっと抱きしめていてもいいですか,もっと髪に触れてもいいですか,頬に触れてもいいですか,
どこにもいかないでください,傍にいてください,傍にいさせてください。
・・・多分このくらいじゃ,済まないんでしょうね」


ああ。
そうか。

きっと,私はずっと,誰かに聞いてほしかったんだ。
自分の過去も,抑えてきた感情も。
聞いてくれる相手が,話す相手がようやく見つかったから。
だから,止まらないんだ。


「そこまで想ってるのに,今は言えるのに。なんでアリーナに言わないんだよ」
「・・・怖いんです」
「怖い?」
「言葉が怖い。言葉の持つ力が,怖い」
「どうして」
「言葉はね・・・それだけで人を殺すことも,できるんです」



幼い頃に,ちょっとした事故で憶えてしまってからまだ,一度も口にしていない言葉がある。
その言葉をただ風に乗せるだけで,絶対の死をもたらす。剣や魔法で命を絶つのとは訳が違う。
相手は,最期に抵抗する生命の煌きを見せることもかなわない。
その命が刻んできた時間や記憶を一瞬でなかったことに出来る言葉。
死の呪文。まさに,呪いの言葉。
きっと,一生使うことはないのだろう。

だから歌を,覚えて。賛美歌や,やさしいあったかい歌をいっぱい覚えて。
歌って,みんなに喜んでもらって。
そうやって,一生懸命,打ち消そうとした。呪いの言葉なんて知らない,自分の声は,言葉は,みんなを幸せにするためにあるんだと。

正と負,両方の言葉の力を知ってしまったから。
自分の本心はもう,怖くて,言葉に出来ない。



「言葉にしなくても,伝わるのなら。ずっとこのままでいい」
「駄目だ!!!」

いきなり両肩を掴まれた。また喧嘩の続きか。もう,いいよ。分かったから。
そう思ったけれど,違った。喧嘩ではなかった。


・・・なんて必死な顔,するんだ。


「言えるうちに言っとかないと駄目なんだよ!
お互いに分かってて,両方好きなの分かってて。でも言ってなくて!伝わるからいいと思ってて!!
気が付いた時にはもう,言いたくても二度と言えなくなる事だってあるんだよっ!!」

まるで血を吐くような叫びだった。
ノイエの心に引っ張られて,私が痛くて苦しくて辛くて泣きたくなるほどの。

彼の実体験なんだ,きっと。
もう,言えない相手が,いるんだ。
後悔に,苛まれているんだ。
だから,こんなにまで,私たちのことを・・・?

「・・・行って,言ってこいって。お前がその服脱いで,また神官に戻る前に。
お前が一番望んでいることは,なんなのか。よく考えろ」

その言葉に,私はもう・・・反論が出来なかった。



第3話へ戻る 第5話へ進む

小さな後書き

好きな人への想いまで話せる相手がいるのは,幸せなことです。
さあ,ここから一気に甘くなります 。

ノベルに戻る
トップ画面に戻る