花の香りだと,すぐに分かった。
商売柄,あたしは花を貰うことも多い。モンバーバラの楽屋は常に花束で溢れていた。
高山にしか咲かない花。一晩きりで枯れてしまう花。ありえない色をした大輪のバラ。そんな珍しい花を贈られることもある。
けれど今ここに漂っている香りは,今まで嗅いだことのあるどの花のものよりも強い。
強いくせに恐ろしく優雅で繊細で儚げで,強烈に引き込まれる香り。



「すっ・・・げぇ・・・」
「なんというか・・・,くらくらしますねぇ」
「・・・やっぱり,この樹だったのね」

ミネアが遥か頭上を見上げながら呟く。
花の姿は見えない。多分,樹の先端にあるんでしょうね。

「これが,神に与えられた試練を乗り越えた,その結果・・・?」
「まだまだ続き,かもしれんがのぅ」

勘弁してよ,爺さん。
あたしはミネアの説を支持したい。これは褒美。試練は終わり。



「おぉお前さんたち,いい時に来たなぁ!」

樹の入口に集まっていたホビットの一人が声をかけてきた。
前に来たときにしゃべったホビットだろうけど。この種族はみな顔が似ていて見分けが付かない。

「千年に一度しか咲かない世界樹の花が咲いたんだよ!!
 どうだいこの香りの素晴らしさといったら!胸いっぱいに吸い込んでおくれよ!!」
「お,おぅ。すごい匂いだよな」
「オレは今年で978歳なんだ,きゅうひゃくななじゅうはっさい!
 前回んときは残念ながらまだこの世にいなかったってことさ!
 だからようやくこの花の香りを嗅げて,今猛烈に感動してるってわけだ!!」
「へ・・・えぇ・・・」

興奮しすぎのホビットに,ノイエがちょっと引き気味。珍しい。

「それはそれは美しい花だって話さ!明日陽が昇ったらすぐに見に行ってみようかと思ってるけどな!
 早くしないと無くなっちまう」
「そんなにすぐに枯れちゃうの?」
「いやぁ違うよお嬢ちゃん。樹と繋がってる限り,世界樹の花は咲き続けるんだ」
「でしたら,そんなに急ぐこともないのでは」「いやいやいやぁ,兄ちゃん,これがまた不思議なもんでな〜」


ただでさえ赤い鼻をさらに赤くして,ホビットは顔の前でちっちっと指を振る。


「花を必要とする者がタイミングよく現れて,すぐに持ってっちまうらしい。奇跡を起こすためにね」
「奇跡・・・?」
「そうそう。世界樹の花は,ただ綺麗なだけの花じゃない。ものすごい力を持った花なのさ!なんと・・・」


勝手に左腕が震えた。やな予感がした。


「・・・失われた命をひとつだけ蘇らせることができるんだよ!
 人間,動物,ホビットにエルフ,種族を問わずにな。すごいだろ!!」



爺さん。当たりだわ。
試練とやらはまだ,終わっちゃいなかった。









どうせ一晩明かすのなら,樹の根元なんかじゃなく,もっと快適な宿がある街で一泊したい。
そう主張したあたしの意見は,案外すんなりと受け入れられた。

「久々に温泉にでも浸かりたいのぅ」とつぶやいた爺さんの一言が決定打。行き先はアネイルに決まった。
本当はエンドールに行きたかったんだけど,まぁ,ここは年長者の意見に従うことにしようかしらね。
確かに今は,小さなバスタブよりも池のような露天風呂が恋しい。
皆,疲れていた。かくいうあたしもこのルーラを唱えきるのでいっぱいいっぱい。あたしとしたことが。



夕暮れどきのアネイルの街は,空腹を刺激される香りに満ちていた。
温泉特有の,古くなった卵のような匂いが時々混ざる。でも,悪くない。

「とりあえず,宿取ったらすぐに晩飯食おうぜ。腹減った」
「そのあと温泉ね。マーニャ,ミネア,一緒に入ろ」
「えぇ」
「そうね」

いろいろ考えるのは,腹を満たして身体を温めてからでいいわ。






いつものように三部屋確保し,下の食堂で大きなテーブルを囲む。
違うのは,食卓に酒が並ばないこと。

「いやぁ,酔っ払った状態で温泉に入るのは危険ですからね。
 飲みたい人は,湯上がりに各自飲むことにしましょうよ」

さすがトルネコ,うまい理由を見つけるわね。
いつもの空気と何かが違ってしまったとしても,酒がなかったせいにできる。


「わたし,鶏料理は好きなんだよ。大好物なんだから」
「知ってるって。俺と何回唐揚げ争奪戦したっけ」
「でもよりによって,今日に限ってこんなにたくさん注文しなくたっていいじゃない」
「平気平気,俺が平らげるから」
「んんーー」
「姫様,こちらに牛のすね肉の煮込みもありますよ?」


おなじみの会話が繰り広げられている。この子達のやり取りを見ているのは好き。
あの花のことは話題に出ない。今はまだ話題に出さないほうがいいことを,よく分かっている。


肉をひとかけ,口に放った。美味しいと感じるあたしは多分大丈夫。
急に強い酒が飲みたくなった。温泉から戻ったらライアンを誘おう。
話が終わった後で,一緒に飲みたい。




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小さな後書き

すでに答えを見つけていたとしても,少しの時間は必要です。

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