音を立てないようにそっと,姫様の部屋の扉を閉めた。


辺りを見回す。幸いにも,廊下には誰もいなかった。
その場に座り込みそうになる。堪えて,顔を上げて部屋に向かった。

静まり返った夜の城。自分の靴音だけが石の床に響いていた。




・・・姫様は,抵抗したかったはず。
なのにそれを我慢していた。そうまでして,背伸びをするなんて。


いつものハーブティーの匂いが,なかったから。だからこんなことに。
毎晩毎晩,姫様と二人のときに淹れていたハーブティー。
いつの間にかその匂いは,自分を偽るための鍵となっていた。

りんごの香り。
否が応でも,あの夜を思い出す。
想いを告げて,初めて唇を重ねたサランの夜。
高いところが苦手なのに。それも忘れて柵に寄りかかっていた自分。

だから,果汁で濡れた赤い唇がため息をついた瞬間,我を忘れてしまった。手が勝手に動いた。



・・・やめた。言い訳にもならない。
今更後悔しても,もう遅い。






部屋に戻ると,皆すでに寝支度を終えていた。
何とか無理矢理押し込んだといった印象の,縦横に入り組んだ5台のベッド。一番奥が空いていたのでそこへ向かう。
寝間着姿のノイエが小さな声で,「アリーナ妬いてただろ?」と声をかけてきた。
さすがに今は,その問いに笑顔を返すことが出来なかった。
ノイエは一瞬真顔になった。その後すぐに歯を見せて笑って,最近ミネアさんに作ってもらった寝癖対策のナイトキャップを被った。


「まぁなんだ,とにかく寝ようぜ!寝たもん勝ち。トルネコとブライの鼾が始まったら寝れなくなるぞ〜」
「え,えぇ・・・」



着替えて,ベッドに横になる。
しばらくして本当に,トルネコさんとブライ様の鼾が聞こえてきた。
眠れない。でも,鼾のせいではない。


唇の柔らかさと口紅の苦い味,耳朶の冷たさとピアスの金属の味。
子供じゃない,そう言ったときの姫様の目。




自分は何を守りたかったんだろう。
明日きっと,姫様が笑顔を見せることはない。








「なんだよあの態度!俺すっげー悔しい〜」
「あああもう,あったまくるわ!」
「まぁまぁお二人とも,とりあえず落ち着いて・・・」
「無理!絶対無理!!」

ノイエとマーニャさんの激しい怒りは,さすがのトルネコさんにも収められそうになかった。
ミネアさんがマーニャさんの腕を掴んで引っ張る。私もノイエの肩をそっと叩いた。ノイエは膨れた頬のまま口を引き結んだ。



朝食の後,私たちはようやくガーデンブルグ女王に謁見することができた。
おそらく40前後の女王様は線の細い方で,濃い茶の瞳は知的な印象を受けた。
この方ならきっと話が通じる。天空の盾を譲ってもらえる。皆,そう期待した。

が,結果はひどいものだった。
申し訳ないが早めにこの国から出て行ってほしい。ただその一点張り。天空の盾について尋ねることすらできない。
あくまで,私たちは招かれざる客にすぎなかった。たとえ勇者やサントハイム王女がいても。
こんな様子では,これ以上時間をかけてもどうしようもない。一旦部屋に戻って対策を練ることにしたのだった。


マーニャさん越しに見える,姫様の背中。
不機嫌なのは気配で分かった。いつもなら二人と同じように文句を言うはず。
そして,私がなだめる。そう,いつもなら。




突然,左の部屋のドアが勢いよく開いた。先頭の姫様がぶつかりそうになる。
中から出てきたのはなんと,男性だった。

「あれ?俺たちの他にもちゃんと男の人いるじゃん」

ノイエが驚く。詩人風の服装をしたその男性は,姫様に一言二言ささやくと,優雅な礼を残して去っていった。
姫様は不思議そうな顔をしながら部屋の中へ入っていってしまう。

「姫様,どこへ・・・」
「なになに?どうしたのアリーナ」

マーニャさんも後を追って部屋に入る。後ろから女性の悲鳴が聞こえたのはその直後だった。



「ど,泥棒っ!!誰か来てーーーっ!!!」








「何度でも言います!わたしはブロンズの十字架なんて盗んでないわ!!」
「さきほども言うたように,姫様が部屋に入る直前に男が出てきたんじゃ!」
「あたしも見たわ!それにアリーナが箪笥開けたときはもうからっぽだった」
「信じてください女王様!」
「では何故あなたは,シスターの部屋に入り,箪笥を開けたのですか」
「だからそれは・・・」



その箪笥の中には,シスターが何よりも大切にしていたブロンズの十字架が入っていたらしい。
それが綺麗になくなっていた。
盗んでいない。どれだけそう説明しても,先ほどと同じようにまったく聞いてもらえない。

犯人は間違いなく,あの詩人。姫様に「箪笥の中に面白いものが入っている」と声をかけたらしい。
私たちを利用してまんまと逃走したのだろう。
信じられない。他国の城で,姫様に盗難の嫌疑がかけられるなんて・・・。


「俺,泥棒の顔覚えてる!似顔絵だって描ける!!疑うのはそいつを捕まえてからにしてくれ」
「もしもあなたが,いもしない架空の人物の顔を描いたらどうするのです」
「俺は嘘なんてついてねぇ!」

叫んで,ノイエは両手を腿に強く叩き付けた。
もどかしさは私も同じだった。あの時咄嗟に男を追っていれば。

・・・そうだ,今からでも遅くない。追えばいいんだ。
冷静に聞こえるように,いつもよりトーンを下げて,私は口を開いた。


「では,私たちで真犯人を捕まえて参ります」
「あなたたちが?」
「はい」



女王の瞳が,私の前で止まる。



「・・・よろしいでしょう。ただし,どなたか一人に残ってもらいます」

逃亡できないように人質を取る,ということか。

「他の方が戻ってくるまで,その方には牢屋に入っていただきます」
「では,私が」「わたしが残ります」


重なった声を,信じられない思いで聞いた。


「姫様,何を」
「なんということをおっしゃるんじゃ姫様!」
「引っかかってしまったのはわたしだから」
「しかしアリーナ姫・・・」
「人質がサントハイム王女では不服ですか?女王様」
「・・・・・・いいえ」
「ちょっ・・・アリーナ!!」
「アリーナおいマジかよ!?」
「大丈夫。心配しないで。ちょっと狭い部屋でじっとしてるだけじゃない」


兵士が姫様の両側に立つ。連れ出される。
姫様が,牢屋に?
そんな・・・馬鹿な。


「駄目です!やはり私が・・・」
「こないで」






姫様はこちらを振り返ろうともしなかった。




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小さな後書き

アリーナは少し意地になっている訳ですが,今の彼には気がつく余裕などありません。
傍にいると誓った相手が,みずから自分の傍を離れてしまう。
どうする?クリフト。

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