南の方角へ走っていく人影を見た。
ノイエがそんな話を,城の女性から聞いてきた。
城の南にある山の中腹には,古い洞窟があるという。内部はかなり広く,入り組んでいるらしい。

「他に手がかりもないし,まずはそこから調べようぜ。洞窟ん中のどっかに潜んでるかも」
「そうねぇ。めんどくさいけど,そうするしかなさそう」
「では急ぐとするかの」
「パトリシア,連れてきますね。皆さん城門のところで待っててください」

トルネコさんはお腹を揺らしながら厩の方へ走っていった。



空を見上げた。天気があまりよくない。風上には鉛色の雲の線が見える。
もしかすると午後には雨が落ちてくるかもしれない。

背中に剣を括りつけた。
神官帽のベルトを締めなおした。

「大丈夫だ」
「・・・ライアンさん」
「確かにこの国は排他的なところがある。だが,他国の王族を不当に扱うようなことはしない」
「はい。ありがとうございます」


頭では分かっていたことを,ライアンさんは再認識させてくれた。

それでも,背中の剣はいつもよりずっと重い。







途中何度か,魔物の群れに出くわした。
いつものように剣を抜いてノイエのサポートに回る。だが,どうしても今日はタイミングが合わない。
普段は考えなくても身体が動くのに。踏み込みが遅れる。狙いが外れる。
自分の剣が届く前に,敵の爪が彼の皮膚を薄く切り裂いた。


最後の一匹が絶命した後,ノイエはがくりと片膝をついた。慌てて駆け寄った。
傷口から,毒が回っていた。




「ノイエ・・・ごめんなさい」
「だぁいじょうぶだって!気にすんなよ」
「私のせいであなたを,こんな目に・・・」
「なんでお前のせいなんだ?あの魔物のせいじゃん。むしろクリフトの解毒魔法のおかげで助かったし」

笑う。ノイエは,気がついているはずなのに。


「あら?もしかすると,洞窟ってあれ・・・かしら」

ミネアさんが南の山肌を指差す。そこには確かに,暗闇がぽかりと口を開けていた。

「そのようですね」
「近くに,馬車を隠せそうな場所がないな」
「入り口付近に奴が潜んでいるかもしれんしのう」
「そしたら,ここからは数人だけで行こうぜ。あっちの森の方から回れば多分気付かれない。
 残りはここで馬車を守る・・・っていうのはどうだ?」
「どうしたのノイエ,珍しくいい判断するじゃない」
「マーニャひでぇよ〜」


ノイエは地面に横たえていた剣を再び手に取り,立ち上がって背伸びをした。
買い出しのメンバーを決めるときのような,気楽な声で,言った。

「洞窟は,俺とライアン,マーニャ,ミネアなー。ブライとトルネコ,クリフトは馬車組な」
「え・・・っ!?」



そんな,ここまで来てただじっとしているなんて!



「ノイエ,私も洞窟に行ってはいけませんか?」
「・・・わりぃクリフト。今回は残ってくれ」
「ですが,」
「ごめんな。でもな,今日はもうお前,剣を持たないほうがいい・・・というかなんというか,えっと」
「・・・分かりました。すみません,ここで待っていますね。皆さんお気をつけて」
「おぅ。まぁ,たまには休んでなって。じゃあ行ってくるな!」


私を傷つけない言葉を必死で探すノイエに対して,とても無理は言えなかった。








予想通り,雨が落ちてきた。
最初は細かな霧雨だったのに,徐々に大粒になり,幌に当たって大きな音を立て始めた。
パトリシアに直接雨が当たらないよう,葉を広く伸ばした樹の下に馬車を移動させた。


聞こえるのは雨音,そしてトルネコさんのそろばんの音。
出納帳を見ながらぱちぱちとはじいていく。数字を記入して,指を左から右に走らせる。
強い雨音にも似た音がして,玉が全て最初の位置に戻る。その繰り返し。

ブライ様はいつものように杖を磨いていた。私も医学書を広げてみたが,内容がさっぱり入ってこない。
目で文を追う。だが,意識は別のところに飛ぶ。



ノイエは気がついていた。私の動揺の原因まで。
姫様が牢屋に入れられたせいだけではないことに。
魔物との戦いよりもずっと前・・・たぶん,昨日の夜から。

姫様は無事だろう。
たとえ牢屋に入れられても,おそらく冷たい石の床に直接座らさせられることは,ない。食事もそれなりのものを出してもらえるだろう。
犯人を女王に突き出せば,姫様はすぐに解放される。
そのとき自分はどうすればいい?
こないでと言われ,その場から動けなかった自分は。


姫様。あのまま抱いてしまったほうがよかったのですか?



幸せになれ。後悔するな。レイクナバで,ノイエはそう言った。
ノイエ。あがいた結果が,これだった。
守るどころか傷つけてしまった。しばらくは話もしてもらえないかもしれない。


それでも傍にいたいと願う私は,我侭,なんでしょうか。




「なかなか止まんのう」

ブライ様の声で我にかえった。雨音は依然続いていた。
トルネコさんも手を止めて顔を上げた。

「本当ですねぇ。ちゃんと洞窟にたどり着けたかな」
「まぁ,ライアンが付いとるしの。大丈夫じゃろう」
「はい,皆さんきっとすぐに戻ってきます」

そうですね,とトルネコさんは頷いて,馬車の外に目をやった。
ブライ様も同じように遠くの樹を見ながら,ぽつりと呟いた。


「あの日も,こんな雨じゃった」
「え・・・?」
「・・・ほっほっほ。どれ,暇つぶしに一つ,昔話をしようかのぅ。こんな雨では魔物も襲ってこんしの」
「昔話,ですか」
「そうじゃ。・・・クリフトおぬしは,ウェイマーとフィアナの馴れ初めを知っておるか?」

父上と母上の話?
意外な話題だった。それ以前に,ブライ様はあまり昔のことを話さない。かなり珍しい。

「あ,はい。あまり詳しくは知らないのですが,母上が礼儀作法を学ぶために城を訪れた際に,父上と出会ったと聞きました」
「まぁ,大筋はそれで合っておるが。実際には,ひとやまもふたやまもあったんじゃよ。
 ・・・トルネコも聞いてくれるか?ただの老人の昔自慢じゃがの」
「えぇ,喜んで」

出納帳を閉じて,トルネコさんは身体の向きを変えた。
ブライ様が語る両親の出会い。悩むことすら一時忘れて,私はその話に聞き入った。





今から35年前。父上は,フレノールからやってきた母上に恋をした。
しかし母上は,すでに定められた相手と結婚するため,花嫁修業の一環として城に礼儀作法を学びにきたのだった。
そんな彼女にこの気持ちを伝えることなどできないと,父上は悩んだ。
やがて母上も,父上に惹かれてしまう。想いあっているのに,お互いその気持ちを伝えることが出来ない。
どちらも言い出せないまま,母上がフレノールへ帰る日が来てしまった。許婚と結婚するために。
馬車に乗って,母上は行ってしまう。降りしきる雨の中,父上はただ城門の影で立ち尽くしていた。


「わしと王が,発破をかけてやったんじゃよ」


ウェイマーとフィアナのけっこんしきのゆめをみたよ。

当時まだ5歳だった陛下が,そうおっしゃったらしい。



「ぼやぼやせずにさっさと奪い取りにいかんか!と,あやつの尻を蹴飛ばしてやったわ。
 ウェイマーはそのまま厩へ走って馬にまたがり,馬車を追った。そしてフィアナを後ろに乗せて帰ってきた」

・・・驚いた。
そんなことが,あっただなんて。

「二人ともずぶ濡れで,服も泥だらけじゃ。いやしかし,幸せそうじゃったな。
 そのときにウェイマーがあまりにすごい台詞を吐いたもんじゃから,当時サントハイムでその言葉が流行ってのう」
「えっ?いったい父上はなんと」
「戻ったら直接聞いてみるがよい。真っ赤になるあやつの顔が目に浮かぶわ」
「いやあクリフト君のお父さん,情熱家だったんですねぇ」
「い・・・いえ,今はとてもそんな風には見えません」
「いやいやいや,誰だって若い頃はまたちょっと違うものですよ。
 ・・・おや?小降りになってきましたね」

本当だ。いつの間にか雨音がほとんど止んでいる。

「ちょっとパトリシアを見てきますよ。濡れたついでだ,ブラシでもかけてあげましょう。
 貴重なお話をありがとうございました,ブライさん」

トルネコさんはそのまま馬車の外へ出て行った。
こうしてはいられない,私も手伝わないと。


「ではブライ様,私も・・・」
「姫様には許婚がおる」




その言葉の意味が頭の中に染み込んでくるまで,しばらくかかった。




許婚・・・いいなずけ。
なん,だって・・・!


「そんな・・・!でも,聞いたことが・・・」
「嘘ではない。本当じゃ。このことは姫様自身もご存知ない」


馬鹿な!本人も知らない許婚なんて。


ブライ様は何事もなかったかのように平然と,再び杖と布を手に取った。

「おぬしは,その男から姫様を奪う覚悟はあるか?父と同じように」






・・・そうか。

確かに,驚きはした。
だが,身を引こうなどとは欠片も考えなかった。奪わなければいけないということすら思いつかなかった。
渡すことなどありえないのだから。

私の傍でなければ,姫様は幸せになれない。
私の傍でないと姫様は笑えない。涙も我慢できない。
私が傍にいたいと思うのは我侭なんかじゃない。
傍にいるのは,私でなければ駄目なんだ。絶対に。


・・・感受性が強すぎるから,それを抑えるすべを身に着けた。
けれど,姫様への想いはこんなにも抑えがきかない。
見守る,などとよく言えたものだ。無理されていることに気が付かれるまでそっと見守ろう,だって?
本当は余裕なんてない。

大人ぶっていたのは自分じゃないか。

私が幸せになれるのも,姫様の傍だけなんだ。





「・・・まあ,聞かずとも答えは分かるがの」
「はい。許婚が誰であれ,渡しません」




外に出る。雨上がりの空がやけに眩しかった。




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小さな後書き

他人の気持ちを吸ってしまうくらいの感受性。
彼の感情の激しさは半端じゃないんです。

ここで再びアリーナにバトンタッチです。

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