もう丸一日以上たったように感じる。
実際にはまだ,夕方くらいなんだろう。だって,あの子がまだ夕食を持ってこない。
みんな今頃,どうしてるんだろう。魔物に苦戦してないかな。
犯人,見つかった?
帰ってきたらクリフトはまた,わたしの傍にいてくれるのかな・・・。
延々と,ただ同じことをぐるぐると頭の中で繰り返し考えていたら,ようやく,外の扉が開く音が聞こえた。
きっとあの子だ。じゃあ,これでようやく夜になったのね。
「アリーナ!」
「えっマーニャ!?」
犯人,もう捕まえたの?
たくさんの足音。なだれ込むように全員,通路に入ってきた。
クリフトも・・・いた。よかった。
「アリーナ無事か!?」
「うん,大丈夫」
「よかったあぁ」
「今開けますから!」
トルネコが鍵を開けてくれた。外に出た途端,マーニャにぎゅぎゅっと抱きしめられた。
「アリーナ,心配したわよ〜」
「ありがとマーニャ,ごめんね」
「よかった!ほんとよかった!!」
「ノイエ,ばしばし痛い」
「まったく,寿命が縮みましたぞ。犯人をすぐに捕まえられたからいいようなものの,姫様,もう二度と人質になど・・・」
「うぅ〜ん,お説教は後で聞くわブライ」
冷たい牢屋があったまる。
みんな,心配かけて本当にごめんね。
マーニャの手がようやく離れた。
クリフトと目が合った。こっちに来る。・・・来てくれる。
胸が締め付けられる。
傍にいてくれること,それはこんなにもうれしいことだった。
見つめていると,クリフトはわたしが見たこともないような顔で,笑った。
・・・そうだ,あの絵。ノイエが描いてくれた,あのクリフトの笑顔。
「姫様」
柔らかな声で囁くと,その腕を伸ばして抱きしめてくれた。
幸せすぎて,目が回りそうだった。
食事の給仕の間ずっと,彼女はうれしそうだった。
小声で,「よかったですね」と言って笑ってくれた。
ありがとう。あなたと話せてよかった。
世界のどこかであなたの大切な人に会ったら,伝えておくね。もっといっぱい帰ってあげて,って。
クリフトは今日も,部屋まで送ってくれた。あまりにいつもどおり過ぎて,少し拍子抜けするくらいだった。
でも今日は,ちゃんとお休みを言って扉を閉めるの。引っ張り込んだりしない。そう決めていた。
「失礼します」
「・・・・・・え?」
クリフトは自分で部屋の中に入って,自分で扉を閉めてしまった。
「クリフト,どうし・・・」
「姫様。あなたには許婚がいるそうです」
・・・今,なんて言ったの?
「今日,ブライ様から聞きました。
どなたかは,知りません。幼い頃すでに決められていて,姫様ご自身にも知らされていないそうです」
知らない。確かに,そんなの知らない,わたし。
クリフトは真剣なままだった。冗談なんかじゃ,ないのね。
許婚。そんな。嫌だ。絶対嫌。
「その人からあなたを奪い取ります。渡しません」
息が止まる。
「サントハイムの人たちが戻ってきたら。
司祭長と『王の補佐』だけでなく,あなたの夫となる権利も,陛下から頂戴してみせます」
そっか。こういうときに笑うと,そんな顔になるんだ・・・。
「ずるい」
「え?」
傍にいてくれるだけで幸せだって,そう思えたところだったのに。
そんな言葉を,そんな表情で言うなんて。
惹かれてしまう。触れたくなる。触れてほしくなる。
「ねぇ。クリフトはもう・・・大人なの?」
「・・・あ,名前のこと,ですね?」
違う。でもそれも聞きたかったからちょうどいい。
「きっとサランで,ウェイマーからもらったのよね?どうしてすぐに教えてくれなかったの」
「すみません。正式な成人の儀式はまだなので,それまで名乗らないでおこうと思っていたんです」
「じゃあどうして昨日は,名乗っちゃったの?」
「・・・姫様のために名前を使おうと,決めていたから」
どきりとする。
語尾だけ抜け落ちる敬語。別に珍しくはない。珍しくないけど。
「・・・じゃあ,なんでノイエは知ってたの」
「これに,気付かれてしまって」
首の後ろの鎖を引っぱって,ロザリオを引き上げようとした。
けど,こんな時に限って服にひっかかってしまったらしい。いつもは簡単そうに出すのに。
結局クリフトは,途中で諦めた。
「名を刻んだプレートに,ノイエが気が付い」「見せて」
手を伸ばした。
襟のところに手をかけた。
クリフトはちょっとだけ動揺したみたいだったけど,すぐにわたしの手を掴んで下ろさせた。
神官の位を表わす橙色の布を解く。長い指で,神官服の一番上のボタンだけを外す。
開いた襟元から手を入れて,直接取り出した。
首にかかったまま差し出されたそれを,わたしは手に取った。
「これです。このプレート」
「・・・ほんとね。リーセウタって彫ってある」
「えぇ」
「『癒しの・・・炎』?」
「『癒しの灯』」
あぁ。ぴったりね。
「ねぇ,クリフト」
「はい」
「傍に,いてくれるんでしょう?」
「・・・はい」
「一つ我侭,言っていいかな」
どんな,とは聞いてこない。ただクリフトは,頷いた。
「もう一度,誓って?
今度は,わたしにも分かる言葉で」
「・・・・・・」
ロザリオを持つわたしの手に,温もりが重なった。
「・・・誓います。これからもずっと,傍に。
あなたを必ず,幸せにします」
なんて素直で,真っ直ぐな言葉なんだろう。
わたしはずっと,この人に想われてきたんだ。
でも,お互いのフルネームを入れる決まりを忘れてるよ。クリフト。
重ねられた手が少し震えている。
「・・・なんだか結婚の誓いみたいね」
「あ・・・言い直したほうが,いいですか?すみません,名前も入れ忘れましたね」
「ううん,いいの。
・・・やっぱりちょっと待って」
誓いの締めくくりに手の甲にキスをしようとしたクリフトを止めて,一度手を離した。
両耳のピアスを外して,横のテーブルに置いた。
そしてまたロザリオを手に取った。呆然としているクリフトを見上げて言った。
「これで,怪我しない」
青い目が見開かれて,そのあとゆっくりと,切なげに細くなる。
「今日は口紅,つけてないし」
「はい」
「もう,無理してないわよ」
「・・・ええ」
自分が大人じゃないことが分かったから。
でも,子供でもないことも,分かったから。
「わたしも,誓うわ。
クリフトの傍にいる。二人で,幸せになるの」
十字の部分を,自分の口元に寄せる。
頬にクリフトの手がかかる。顔を上げて目を閉じた。
ロザリオごしのキス。
お互いの手の甲にするよりも,この誓いには相応しい。
「・・・クリフト」
手を伸ばしてクリフトの前髪に触れた。手から零れ落ちる,淡い青。
深い青の瞳。そらしたりしない。ずっとわたしを見てくれる。見つめたままでいてくれる。
今,クリフトはどんな気持ちなんだろう。何を思ってるんだろう。
・・・でもやっぱり,クリフトの考えを全部分かる必要なんて,ないんだ。
分からない部分があって,いいんだと思う。
大事なのは,わたしがクリフトのことを好きで,クリフトがわたしのことを好きだっていうその事実なのかもしれない。
ずっと欲しかったクリフトの青。今,手に入れた気がした。
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小さな後書き
傍にいてくれる?一緒にいてくれる?
今まで何度も何度もアリーナが口にした言葉です。
傍にいるのが当たり前すぎたから,少し不安になるたび確認せずにはいられない。
でもきっとこの先,問いかけることはなくなるのでしょう。
傍にいてくれてありがとう。に,変わっていくはず。
で,こんな場面で引っ張ってすみません。最後はクリフトに締めてもらいましょう。
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