空の上から見ると,一目瞭然だった。
森の中,その一角だけ樹が生えていない。
丘の上,少し開けた場所に,ノイエは気球を下ろした。
荷物袋を担ぐと,確かな足取りで坂を下っていく。
つい先日,皆を連れてきたときと何も変わっていない。
炭となって崩れた家。煤けた土。
ノイエはゆっくりと,村だった場所を巡る。
いつも剣の稽古をした川辺。
「・・・なぁ師匠。今ならきっと,一本取れると思う」
村の長老の家だった場所。
「俺,ちゃんと雷も操れるようになったぞ」
18年間,自分が暮らした家。
一本だけ崩れずに残っているのは,誕生日ごとに背の高さを刻み付けていた,大黒柱。
「父さん,母さん。俺たぶんもう,背,伸びないかも。
ここ一年,変わんなかったからさ。はは,もうちょっといくかと思ってたんだけど」
この焼け野原もまた,草が生い茂り,樹が育ち,鳥がさえずる豊かな森に戻っていくのだろう。
何十年,何百年と,長い歳月をかけて。
もしかすると自分には,それを見届けられるくらいの寿命があるのかもしれないと,ノイエは思う。
天空人のように永遠の命を持っているのか。中途半端に二百歳くらいまで生きるのか。
それともごく普通に,七,八十歳前後で生涯を終えるのか。
「・・・あと数年したら,分かるんだろうな」
無意識のうちに,彼は呟いた。
村の中央。
そこにはかつて,花に覆われていた。
ノイエはその手前で,足を止める。
踏み込む前に,報告を済ませようと思った。
顔を上げて,両の拳を握り締めて。
彼は大声で,呼びかけた。
「・・・みんな!ただいま!!
とりあえず,やることやってきたぞ!」
西風が,髪をなぶっていく。
「一年で,世界中回ったんだ。
雲の上から地の底まで。
やばい戦い,何度もくぐり抜けて。
で,一番厄介なやつ,倒してきた。
もう大丈夫だってさ!竜の神のお墨付きだ」
左手でピアスをいじる。
今でも直らない,子供の頃からの癖。
「・・・俺,絵描きになるよ。
大好きなもの,いっぱい絵にしていく。
俺の好きなものを,他の人にも,好きになってもらえる様に。
みんなのことも,また描かせてくれ。ほら,今まで描いたやつ,全部燃えちまったし」
表情豊かな瞳に,影が差した。
それでもノイエは顔を落とさなかった。しっかりと前を見ていた。
「なあ。
俺,ちゃんと笑えたよ。
これからも,笑っていけると思う。一人の,ありふれた人間として。
ありがとう,みんな。
みんなずっと,俺の中で生きてるから。いっつも力,くれたから。
これからも,俺のこと見守ってくれるよな!?」
再び,強い風が吹き抜けていった。
ノイエは僅かに,頷く。
そしてようやく,花畑だった場所に足を踏み入れた。
いつもここにいた,幼馴染。
ノイエの脳裏に,桃色の髪が,紫の瞳が,はにかんだような笑みが鮮やかに浮かぶ。
「・・・・・・シン,シア」
名を呼んだ途端,身体中から力がするりと抜けていくのが分かった。
肩から荷物袋が滑り落ちた。背後でどさりと音を立てた。
ノイエはその場に両膝を付いた。動けなかった。
世界は平和を取り戻した。仲間達を送り届けた。村の皆に報告もした。
後はもう,普通の人間として生きていくだけなのに。そう決めたのに。
「・・・へへっ。情けないよな。
なんで,今更,こんな」
彼は強く目を閉じた。
再び立ち上がるための力を得るため。
前に,進むため。
先ほどから癖っ毛を揺らしていた風が,唐突に止んだ。
周囲の空気が変わったことに気付き,ノイエは目を開いた。
「・・・え?」
辺りが徐々に,薄暗くなっていく。
ノイエは空を見上げた。雲はない。太陽はまったく隠れていない。
夕暮れの暗さとも違う。まるで絵全体に薄墨を重ねた風景画のような。
戸惑う彼の,その足元が,突然輝き出した。
ノイエの周囲から順に,花が咲いていく。いつもこの時期に咲いていた小さな花だった。
地面から次々と芽を出し,つぼみを持ち上げ,光を湛えて綻びる。
「なん,なんだ・・・?」
花から少しずつ放たれる,光の粒。
純粋で穢れのない,真っ白な光。ノイエの目の前に集まってくる。周囲の明るさを吸いながら,さらに輝きを増していく。
目を開けているのが辛い。それでもノイエは,手をかざし,目を細めてその様子を見続けていた。見ていなければいけない気がした。
光と闇のコントラストが最大になった次の瞬間,光が,爆ぜた。
「ぅわっ!!」
そのあまりの眩しさに目を焼かれ,視界が白一色になってしまう。なかなか戻らない。
何度も瞬きをして,目をこすって。
ようやく,薄ぼんやりと物の形と色が分かるようになってきた頃。
彼の耳に飛び込んできた,自分の名前。
「ノイエ」
呼吸が止まる。
「おかえりなさい」
甘やかな声。
空耳では,ない。
「ううん,ただいま,かしら」
少しずつ慣れてきた目は,薄紅色の風を捕らえた。
それは,揺れる長い髪。
手を伸ばしてみた。触れられた。
「・・・両方かもな」
呟いてみたら,ふわりと笑う。もう表情まで分かる。
「そうね」
確かな命の灯を伴って,温かに輝く,紫の瞳。
「・・・・・・シンシア・・・っ!!!」
抱きしめる。両膝をついたまま,すがりつくように。
シンシアはノイエの腕にそっと手を添えて,再びささやいた。
「おかえりなさい」
ノイエは泣いた。声を上げて。
いかなる力によるものなのか,森はすべての緑を取り戻していた。
その片隅で7人は,抱き合うノイエとシンシアを見守っていた。
そう。7人全員が集まっていた。示し合わせたわけではない。
ルーラで,キメラの翼で,各々駆けつけた。思いは同じだった。
「信じられない・・・。奇跡だわ」
ミネアは呆然と呟いた。
その隣で,マーニャは腕を組んだまま,ふふっと笑う。
ライアンは兜を取り,脇に抱えた。
「このくらいの褒美がないとやってられないわよ」
「あぁ。・・・本当に,よかった」
トルネコは鼻をすすった後,横のクリフトの様子を伺った。
「クリフト君,ルーラ酔いはもう大丈夫ですか?」
「いいえ,まだ少し。・・・でも今,倒れるわけにはいきませんから」
「今更どうしようもないが,本当に難儀な体質じゃのう」
ブライはまた,ほっほと笑った。
泣き続けるノイエを見て,やはり自分も泣いてしまったクリフト。
足元が怪しい。顔色も悪いままだ。涙も止まらない。それでも彼は,ほほえんでいた。
アリーナはクリフトと手を繋いだまま,逆の手で少しだけ目の端を拭うと,落ち着いた声で言った。
「ノイエ,やっと泣けたのね」
再び,光が生まれる。今度は空気の中からにじみ出るような,淡い輝き。
ノイエはようやく顔を上げると,温かな光を見つめた。
空に吸い込まれるようにしてその光が消えたとき,剣の師匠が,村の長老が,ノイエの両親が,村中の人々が,そこにいた。
「あぁ・・・!!」
走り出そうとしたノイエを,長老と師匠は手で制した。
えっ!?と悲しげな声を上げる息子に,父と母は笑って,彼の背後を指差す。
振り返ったノイエの目に映ったのは,7人の仲間達だった。
目が見開かれる。
眉が寄る。口がゆがむ。転んで擦りむいた痛みを我慢する子供のような顔。
そして,涙を拭ったその後は,全開の笑顔。
シンシアがその背を,そっと押した。
「っ,みんなーーーぁ!!!」
新緑の中を駆ける,緑の髪と緑の瞳のノイエ。
雲の上の天使などではない。それは大地に愛され,森で育まれた,一人の人間。
「・・・ねえ,ちゃんと構えなきゃね?」
「えぇ,もちろん」
アリーナとクリフトは,幸せそうに笑い合う。
そして,勢いよく飛びついてくるであろう親友に備えて,両足に力を込めた。
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小さな後書き
ここまでが,エンディングです。わたしが一番大好きなシーン。
皆さんの頭の中であの曲が流れたり,その時の気持ちを思い出したりしていただけたなら,幸せです。
さてここからは,その後を追ってみましょう。
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