アリーナ,クリフト,ブライの3人がサントハイムに戻ってきたときにはすでに,陽はとっぷりと暮れていた。
エンドール王と謁見するための手続きに,何だかんだと時間をとられてしまったのだった。
食事を取り身支度をしてから私室にくるようにとの王からの言伝に従い,軽い食事を済ませ,戦の埃を洗い流すと,急いで王の私室へと向かった。

3人の姿を目に捉え,扉の両側に立っていた兵士たちが敬礼した。ブライが「ご苦労じゃ」と一声かける。


「お父様,アリーナです」
「お入り」


兵士たちが両開きの扉をゆっくりと開けた。
上等な,だが華美ではない落ち着いた趣味の調度が揃えられた,ほどほどの広さの部屋。
その中央のテーブルとソファーには,チェスをしながら3人の帰りを待っていた,サントハイム王ロウラントとサラン領主ウェイマーの姿があった。


「お待たせしちゃってごめんなさい」
「あぁ,お帰り。思ったよりも早かったな」
「我が王よ,チェスの調子はどうでしたかの?」
「完全に圧されていたが,これで勝負はお流れだな。助かった」

王はソファーの背もたれに寄りかかり,ふう,と長い息をついた。
ウェイマーは僅かに首を傾けてひとしきり笑ってから,手にしていたナイトを盤上に戻した。

「・・・クリフト」
「はい,父上」
「香草茶を人数分淹れてくれないだろうか。気分の落ち着くものがいい」
「分かりました。すぐに準備します」
「ありがとう,すまないな」

クリフトは一礼し,部屋から退出した。

メイドを呼ばずに,クリフトに茶を入れさせるということ。
それはこの後に交わされる情報が,いかに極秘の内容かを物語っていた。



「・・・息子が戻ってきましたら,始めましょう」
「本当に長くなりそうじゃのう」
「一番最初に,わたしたちの話をしてもいい?」
「ああ,もちろんだ。この世界でどのような体験をし,どのようなものを得てきたのか,聞かせておくれ」
「うん!」
「次にウェイマー,サントハイムの現状を。かいつまんででいい。詳細は明日聞こう」
「かしこまりました」


立ったままのアリーナとブライにソファーを勧めてから,王は神妙な顔で頷いた。


「最後に,私が話そう。3年前,この城になにが起こったのかを」








クリフトが5つのカップに香草茶を注ぎ終えると,爽やかな柑橘の香りが部屋中に広がった。
アリーナは堰を切ったように話し出した。エンドールの武術大会から,つい先ほどの決戦まで。3年分,すべてを。
時々,ブライとクリフトの的確な補足が入る。王は香草茶を少しずつ口に運びながら,3人の話を静かに聞いていた。

すべてを伝え終えて,どこかほっとした表情を浮かべるアリーナ。
「よく頑張ってくれた。そなたを誇りに思う」と,父王はアリーナの手をしっかりと握った。
アリーナの瞳が揺れる。小さく頷いた後,晴れやかな笑顔を見せた。


続いて,ウェイマーの話が始まった。
『王の補佐』として,代行を務めさせてもらったこと。
城が無人となった直後から,国内の各町と連携を密に取り,互いに支え合って平穏を保ってきたこと。
近隣諸国にもすぐに使いを出し,そしてどの国からも,協力を惜しまないという温かい返事が返ってきたこと。
そしてなにより,国中の人々が希望を失わずに,王の帰りを信じて待っていたということ。

王は口元に手を当て,しばし目を閉じた。

「私は幸せものだな。かわいい娘と有能な部下,そして素晴らしい国民たちに恵まれて」
「我らがサントハイムは,本当に良い国ですのぅ」
「あぁ。心からそう思う。・・・あの時の私の判断は,間違っていなかったのだな」
「あの時?お父様,それって・・・」
「そう,3年前のあの日だ。皆,落ち着いて聞いてほしい」


王ロウラントの口から語られた真実は,驚くべきものだった。






その日,その時間。王は執務室で,サインすべき書類に目を通していた。
春めいた穏やかな陽。開け放った窓からは,中庭に咲く花の香りが漂ってくる。
いつもと変わらぬ日常を破ったのは,突然頭の中に直接響いてきた声だった。


『サントハイム王よ。我が声が聞こえるか』


声の主は,竜の神,マスタードラゴンと名乗った。




「なんですって!」
「マスタードラゴン・・・!そんな・・・」
「アリーナ,クリフト。二人とも落ち着きなさい。
 ・・・そう,そなたらが空の彼方の城で会ったという,マスタードラゴンだ」

王は話を続けた。




マスタードラゴンは簡潔に語った。

『まもなくこの城は,魔物の群れに襲われる。
 戦い,勝利することも可能かもしれぬ。だがこの城が陥落するまで,次々と新しい魔物が攻めてくるであろう。
 私の力を使えば,この城の人間すべてを我が天空の城に移すことができる。
 城自体も荒らされ崩れたりせぬよう守ることができる。
 サントハイム王よ。選ぶがよい。我が言葉に従うか,それとも城に留まり戦うか』

王は悟った。最近見る恐ろしい夢も,表現しようのない唐突な不安感も,すべてこの魔物の襲撃を予見していたのだ,と。
そして,即決した。

「竜の神。どうか我が城の人々を守護してほしい」

たとえ自分が不在となっても,残された部下や国民は,しっかりと国を支えてくれるだろう。
幸いなことに,一人娘も今は城を離れている。自分に万が一のことがあっても,アリーナはこの世界に残る。
王はそう判断し,マスタードラゴンに運命をゆだねたのだった。




「そなたたちが天空城を訪れたときも,我々はその最奥にいたのだよ」
「うそ・・・。だってマスタードラゴンはそんなこと,一言も・・・。
 わたしたちずっと,お父様たちは魔物たちに捕らわれているんだとばかり,思ってたのに・・・」
「言うわけにはいかなかったのだろう。魔族の脅威が完全になくなるまではな。
 私を地上に戻せば,また魔物たちに襲われるかもしれない。この,夢見の力のために。
 ・・・あぁ,それと。私以外の者はどうやら,若干記憶を操作されているようだ」
「記憶を・・・ですか」

訝しげに,クリフトが呟いた。

「何故か皆,エンドールの城にかくまわれていたと思い込んでいるよ」
「竜の神も地味なことをしますのぅ。・・・しかし,城の建物自体も守護を受けておったとは。
 魔物がのさばっていたにも関わらず,この城がいささかも荒れていなかった訳がようやく分かりましたわい」
「アリーナが開けた壁の穴までそのままだがな」

皆思わず笑った。
隣に座るクリフトまで笑っているのを見て,「もう」とアリーナは軽く唇を尖らせる。
そんな娘の姿に,王は目を細めた。


「・・さて,これでひと通り話は終わったが・・・クリフトよ」
「は,はい」

突然王に名を呼ばれ,クリフトは慌てて返事をした。

「先ほどウェイマーに聞いたのだが,すでに名を授かったそうだな。
 3つ目の名前は,何という?」
「・・・リーセウタ,と申します」
「『癒しの灯』,か。リーセウタ・・・いい響きだ。近いうちに,アリーナにもその名が冠せられることになるわけか」


クリフトとアリーナは同時にはっとなり,互いに顔を見合わせた。
その場は一気に,緊迫した空気に包まれる。


「二人とも,旅の間にブライから聞いているな?」
「うん」
「はい」
「内緒にしていて悪かった。本人たちも周りも知らない許婚など,前代未聞だろうな」
「ううん。もし聞いていたら,また違ったことになっていたかもしれない。
 ・・・知らなかったから,自然に気付くことができたんだと思う。わたしはクリフトのことが好きなんだ,ってこと」


照れもせずに,堂々と父にそう告げるアリーナ。
彼女の華奢な手を,クリフトはそっと握った。


「・・・陛下。私も,アリーナ様を愛しています。
 姫様に許婚がいると知ったとき,その人からあなたを奪い取る,渡さない,とまで言いました。
 まさかその許婚が自分だなどと,その時は思いもしな・・・・・・陛下?」



王は前かがみになって両手で腹を押さえ,肩を震わせていた。
ブライがほっほっほと笑いながら,杖の先の宝玉で横のウェイマーを軽く叩く。
そのウェイマーは俯いたまま,左手で顔を覆っている。


「あの・・・」
「お・・・お父様・・・?」
「・・・・・・っはっはっは!聞いたかウェイマー,血とは恐ろしいものだな!」
「えぇ,驚きました・・・」
「『許婚になど渡さない,貴女は私が奪い取ります。貴女も私も,幸せになれるのはお互いの側だけだ』
 ・・・だったかのう?」
「あぁ,もう勘弁してください」

顔を赤くしてそう懇願する父の姿に,クリフトは驚愕した。
そして,以前ブライから聞いた両親の馴れ初めの話を思い出し,あっと声を上げる。

「もしかして今のは,父上が母上に言った言葉・・・なのですか?」
「その通りだよクリフト。当時私はまだ幼かったが,よく覚えているよ。それはもう情熱的だったな」
「ロウラント様・・・」
「当時の恋人たちは皆その台詞を真似したものじゃが,まさか息子まで同じ台詞を言うことになるとはのぅー」
「ブライ殿・・・」


そのやり取りの間の絶妙なこと。アリーナとクリフトは揃って笑い出した。
お互いに想いあっていることを王に伝え,結婚の許可をもらおうと考えていたのに。
緊張が一気に解ける。肩の力が抜けていく。



「・・・さて。アリーナ,クリフト!そなたらの成人の儀式と結婚式の準備を進めさせるが,よいな?」
「ええ!」「はい」
「あぁそれからクリフト,その前に今度こそ司祭長の任命式を受けてもらうぞ。
 今の司祭長が早く譲って隠居したいとうるさくてかなわん」
「心得ました」

クリフトは笑顔で頷いた。
16歳の頃,断り続けてきた成人の儀式と司祭長の任命式。
外の世界でさまざまな体験をし,19になった今,素直に受けようと思うことができた。


「さあ,夜も遅い。今日はもうお休み」
「はい,お父様」
「私とブライ殿はもう少し話をしてから退出するから。クリフトも先に部屋に戻りなさい」
「分かりました。これで失礼します」
「アリーナ,先ほども言ったが,そなたの部屋の壁には穴が開きっぱなしだ。
 クリフトの部屋で寝かせてもらうように」
「えっ!?」「はっ??」


扉のほうに向かおうとしていた二人は,そのまま見事に固まった。


王はソファーから腰を上げると,固まったままの二人を,開けられた扉の外にぐいぐいと押し出す。
そして,にっこりと笑った。

「では,お休み。
 ・・・扉を」

王に命じられた兵士たちが,両側から扉を閉めた。
がしゃんと重い音がして,二人の姿と声はすっかり遮られてしまった。



息子と同じようにあっけに取られていたウェイマーは,呆然としたまま尋ねた。

「よ・・・よろしいのですか?あのようなことを仰られて」
「よろしいもなにも」

王は再びソファーに腰掛けた。にこやかなその顔は,随分と機嫌がよさそうに見える。
ブライは手にした杖を見たまま,呟いた。


「・・・『知って』おられたのですな?」
「そういうことだ。この後を『見た』ことがあってな。断片的にだが」


厄介な力だな。王はそう言って笑うと,肩を竦めた。





扉の向こうでは,アリーナとクリフトがいまだ,動けずにいた。

「・・・えっと・・・」
「どうしましょうか・・・」

驚きのあまり,会話もろくに出来ない。
見張りの兵士たちが,そんな二人の様子をほほえましげに,ちらちらと盗み見る。
その視線に気付いたクリフトは,慌ててこう言った。

「とりあえず,礼拝堂に行きませんか?きっとミーちゃんが待っています」







城の教会は以前と変わらず,神聖な空気に包まれていた。
祭壇も,椅子も,ろうそく一本さえも。何一つ荒らされていない。マスタードラゴンの守護のお陰なのだろう。

「ミーちゃん」

クリフトが猫の名前を呼ぶ。その声は綺麗に反響して,天井に吸われていく。
祭壇の端から,ふさふさのしっぽがはみ出して揺れた。二人は笑って,そちらに近づいた。

「ミーちゃん,お待たせ」

アリーナはふかふかの猫を抱き上げ,頭を撫でた。ごろごろごろ・・・と,猫は喉を鳴らして甘える。
クリフトも横から手を伸ばして,その腹を撫でてやった。


「・・・この礼拝堂にくるのも,久しぶりですね」
「うん,あの時以来。武術大会に出場するために,エンドールに旅立つ前の日」
「えぇ」


あの頃,アリーナは誰にも咎めれずに,クリフトの部屋に自由に出入りすることができた。
今後も咎められることはないだろう。だが,夜に部屋を訪ねることの意味が違ってくる。

「・・・お父様も,とんでもないこと言うわね」

子供扱いされてるのかな。アリーナはそう呟きながら,猫を椅子に下ろした。
猫は不満そうな鳴き声を上げて,椅子の背もたれの上に飛び乗った。


アリーナはクリフトに背を向けて,祭壇の上の十字架を見上げる。


「いろいろ,あったね」



城を飛び出したあの日。
テンペでのクリフトの大怪我。
この礼拝堂で揃って捧げた祈り。
城から人が消えた日の夜。

ミントスの出来事。
サランの夜の告白。
レイクナバの戸惑い。
ガーデンブルグでのすれ違いと,ロザリオにかけた誓い。

まったく歯が立たなかった戦い。
奇跡の花の使い道を決めたとき。
そして決戦前の,昨晩のこと。


二人は心の中で,ゆっくりと三年間を回顧した。



「・・・帰ってきたのね」
「はい」
「やっと,取り戻せたね。わたしたちの城」


振り返ったアリーナの表情は,とても柔らかだった。
クリフトはゆっくりと歩を進めて,アリーナの隣に並んだ。


言葉にならない想いに,二人の心がざわめく。


亜麻色の髪に,そっと触れる。
同じように,細い指が明るい青の髪に絡まる。



『また,離れられなくなることがあったら。その時は,共に眠ってくださいますか』

昨晩,自分が言ったその言葉が,クリフトの頭の中に響いた。
アリーナも同じことを考えているに違いないと,彼は思う。

きっともう,離れられない。
お互いに手に取ったひとふさの髪を,どうしても解放することができない。



「・・・祭壇のろうそくを点けて,ここでお話しますか?
 それとも・・・。部屋に,いらっしゃいますか」
「・・・・・・うん」

頷いたアリーナを,クリフトは包み込むように抱きしめた。



なー,と,丸い声で猫が鳴く。
雲から逃れた月の仄かな明かりが,静かに礼拝堂内を満たしていく。



クリフトは右手で首の鎖を引っ張り上げた。
ロザリオと共にその鎖にかけてあるのは,名を刻んだ銀のプレート。

二人は穏やかな気持ちで,互いに見つめ合った。
今なら,この名に誓える。そう思った。



クリフトはそっと,プレートをアリーナの唇にあてがった。
アリーナがゆっくりと瞳を閉じる。




「・・・私の名を,あなたに」





透明な月明かりを浴びながら,祭壇の前で口づけを交わす二人の姿を,白い猫だけが見ていた。



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小さな後書き

ようやく二人に,『時間と場所と想いがうまく合わさった時』が訪れました。

それから,サントハイム保護者トリオに愛を込めて。

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