エンドールの定宿の一階にある大きな食堂で,ノイエは村人全員と共に夕食をとった。
父が酒を注いでくれ,母が食べ物を取り分けてくれ,シンシアがお茶を淹れてくれる。
もうそれだけでノイエは泣きそうになった。きっと今まで泣かなかったぶん涙が溜まっていたんだと,妙な納得の仕方をする。


トルネコはきっちりと,必要な部屋数を抑えてくれていた。
だがやはり,この宿だけでは数が足りず,全部で三つの宿にまたがってしまったらしい。
ノイエは馴染みの宿の主人から,全ての宿の場所と部屋数を記した西通りの地図を受け取った。

「んと・・・,あれ?今日はここ,二部屋しか空いてないのか」
「そうなんですよ。運悪く団体の客が入ってしまったもんで。
 いつもなら,うちだけでも捌けるところなんですけどね。申し訳ない」
「あぁいや,そんな。こうやって取り次いでくれただけでもすげぇ助かったよ。ありがと」

主人に礼を言って,ノイエは皆の元に戻った。地図を見せながら説明する。

「・・・そんなわけで,ここと,ここの宿に分かれてくれ。俺が案内するから」
「ノイエはここにおるがよい」


長老の言葉に,ノイエは首をかしげて不満そうな顔をした。


「なんで?」
「二部屋なら,おぬしと両親で丁度よかろう」
「地図さえもらえれば,案内は無用だ」

剣の師匠が腕を組んで笑った。

「でも」
「わしらはこれで。・・・シンシアは後からおいで」
「えぇ分かったわ,おじいちゃん」
「え?どうし・・・」
「ではな,ノイエ」
「お休みなさい」
「また明日」
「お・・・い・・・」


戸惑うノイエのことなどお構いなしに,村の皆は手を振り,お休みを言いながら,笑顔で宿を出て行ってしまった。

宿の出口の方を向いたまま立ち尽くしている息子の肩を,父はぽんと叩いた。

「父さん?」
「皆,私たち家族とシンシアだけになるよう,気を使ってくれたんだよ。
 ・・・ノイエ,お前に話さなければならないことがある。部屋に行こう」


父と母とシンシア。その,真剣な眼差し。
ノイエは何も言えないまま,三人の後に続いておとなしく二階への階段を上った。








「先に,これだけは言っておこう。
 私も,母さんも,シンシアも,お前を愛しているよ」
「なっ・・・!んなこと,言われなくても分かってるよ!!」

さほど広くない部屋。ベッドに腰掛けていたノイエは,父のその言葉に仰天して思わず叫んだ。

両親が,シンシアが,村の皆がどれだけ自分を愛し,大切に育んでくれたか。ノイエはよく理解していた。

「だが,これから話すことを聞いたら,お前は私たちを軽蔑するかもしれない。
 それでも私たちは構わない」
「な・・・なんだよそれ・・・」
「ノイエ」


すぐ隣に腰掛けていたシンシアが,顔を覗き込んできた。
紫の瞳。柔らかそうな唇。自分との距離があまりにも近すぎる。
動揺を隠すため,ノイエはわざとぶっきらぼうに返事をした。


「・・・なに?」
「どうして,私たちは生き返ることができたのだと思う?」
「え?」



部屋の前の廊下を,宿泊客が集団で通り過ぎていく足音がした。



「・・・・・・考えてなかった」

考える余裕が,ノイエにはなかった。
ただ純粋に,うれしい,幸せだという気持ちでいっぱいで,何故というところにまで考えが及んでいなかったのだ。

二人掛けのソファーに腰掛けている両親を見た。
答えは返ってこない。
再び,シンシアに向き直った。


「なんで?」
「そういう,約束だったの」
「誰との?どんな?」

質問が正しい言葉にならない。

「マスタードラゴンとの」



「・・・は?」
「あなたが無事にやるべきことを成し遂げたら,私たちは再び命を与えられることになっていたの」
「・・・え・・・・・・」
「神も,万能ではないの。マスタードラゴンは命を与えることができるわ。でも,命を奪うことは出来ない」
「だから,悪しきものの命を奪う役目の者が必要だった」

両膝を強く握り締めながら,父は言った。
その後を母が続ける。

「天空人と人間,両方の血を引く,この世界の全てに愛される存在。それが,ノイエ,あなたよ。
 あなたを守るために,村はあった。母さんたちもそのために居た」
「・・・村がいつの日か魔物たちに発見されてしまうことは,分かっていた。
 ひどい話だろう。私たちはお前一人に全てを背負わせて,死んだ。
 そうすればお前は,嫌でも村を旅立つことになる。そして運命に導かれる」
「ノイエがどれだけ大きな衝撃を受けることになるのか,旅の途中でどんなに辛い思いをするのか,分かっていたのに」

うなだれる両親の姿を,ノイエはただ呆然と見ていた。



「ごめんなさい」

側で小さな声がした。自分の手を握る華奢な指。


「それでも,ノイエに生きていてほしかったの」




沈黙が部屋を飲み込んだ。


再び,足音が近づいてきて,また遠ざかる。




「・・・・・・嫌いになんて,ならない」


シンシアの手をゆっくりと握り返しながら,ノイエは呟いた。


「軽蔑なんてしない。するわけない。・・・だってあの時,最後まで戦ってくれたじゃん!
 シンシアも,父さんも母さんも,長老も,師匠も,みんな。
 死ぬだけならすぐにできたはずだ。でも,それでも最後まで,もう駄目だっていうギリギリまで,
 俺と共に生きるために戦ってくれたんだろ!!」
「ノイエ・・・」
「・・・それに,極端な話,絶望した俺がその場で命を絶つ可能性だってあったはずだ。
 でもみんな,俺はそんなことしないって信じてくれた。俺を信じて,自分たちの命を預けてくれた」

ノイエはベッドから腰を上げると,両親が座るソファーの後ろに回った。


「そのせいかな。俺,旅してる間も,みんなが俺の中にいるような気がしてならなかったんだ」



背中から,両親を抱きしめた。
二人ともこんなに小さかったっけ。そんな場違いなことを,ノイエは考える。


「・・・ありがとう。父さん。母さん。
 ほんとにありがと。
 ずーっと,守られっぱなしだったから。
 これからは少しくらい,親孝行させてくれ。な?」



泣き崩れる両親を,ノイエはずっと抱きしめていた。
この二人の息子として育ったことを,うれしく思った。


「シンシアも,ありがとな」
「・・・ううん」
「でも頼むからもう,あの魔法は二度と使わないでくれ。あの,姿変えるやつ」
「モシャスね」
「おぅ,それ」
「ごめんなさい。約束するわ。もう使わない」


ノイエは頷いた後,にっと歯を見せた。
そしてすぐに,憮然とした表情をする。

「・・・でもさ,よく考えたら,嫌いになるのはむしろマスタードラゴンのほうだよな。
 あんの野郎,俺にはそんなこと一言も言わなかったぞ!」
「神には神の,都合があるのよ」
「そんなもん知るかよ。・・・でもまぁ,こうして村のみんなを返してくれたから,許してやるかな」

表情をくるくる変えるノイエを見て,シンシアはくすくすと笑った。
その笑顔をみて,今度は照れたように横を向くノイエだった。



ノイエの父と母の涙がおさまったのを確認して,シンシアは「じゃあ,私はこれで」と,部屋を後にしようとした。

「えっ?シンシア,ちょっと待てよ。一人で帰る気か」
「ええ」
「駄目だ。俺が送ってく」
「あら,平気よ。まだそんなに遅い時間じゃないし。街灯もいっぱいあるし」
「そういう問題じゃない!・・・危ないって。この街にはカジノだって酒場だってあるんだし」

ノイエは半ば無理矢理,シンシアの手を取った。
扉のところまで引っ張っていってから,後ろを振り返って両親に告げる。

「ちょっと送ってくる!すぐに戻ってくるから」

ばん!と,勢いよく扉が閉まった。




「・・・・・・あの子も少しは,積極的になったのかしら。ねぇ,お父さん」
「どうだろうなぁ母さん。相変わらず純情なままのようだけど」
「そうねえ。確かに,シンシアに顔を覗き込まれたときの動揺具合といったら」
「だろう?・・・まあ,気長に待とうじゃないか。私たちもまだまだ若いんだ」
「あらでも,長老様はもう結構なお歳ですよ?」
「孫娘の花嫁姿を見るためなら,どれだけでも長生きしてくださるだろう」


二人は顔を見合わせて,ふふふと笑った。これからもノイエの両親で居続けられる幸せを噛み締めながら。







この時間のエンドールはまだ,人通りがかなり多い。

すれ違う男たちの視線が次々とシンシアに吸い寄せられていくのが,ノイエには分かった。
ほらやっぱり,というどこか自慢げな気持ちと,見るな,という敵愾心が入り混じってせめぎ合う。
自分は意外と独占欲が強いのかもしれない。ノイエはこっそりとため息をついた。
宿を出てから,成り行きで手は繋いだままだった。


「街灯,明るいわね」

シンシアは温かくほほえむ。

「そんな顔で笑うな」
「どうして?」
「・・・さっきから男たちが,シンシアのこと見てるから」
「あら。そんなことないわ。きっと気のせいよ」

ノイエはわずかに眉を寄せた。困って眉を下げるなんてなんだかクリフトみたいだなと,彼はぼんやり思う。

小さな村の中,若い女性はシンシアただひとりだった。他に比べる対象がなかった。
世界を回り,大勢の人間を見てきた今ならよく分かる。シンシアはとびきりの美人だ。
シンシア本人には自覚がないのだ。自分がどれだけ整った顔立ちをしているのか。そしてどれほど甘い声をしているのか。


「ノイエのほうが,見られてると思うけれど」
「俺が?それこそ気のせいだろ」
「ううん。女の子たち,みんな見てる」
「シンシアの隣にいるからだって。それか,俺を見たことがあるのかもな。エンドールには結構来たし。
 いつも大勢でわいわい言いながら歩いてたしな。
 俺,よく動くわ,声はでかいわだから,覚えられてるのかも」
「そうかしら」


『かわいい』と形容されがちな,少し大げさな動作と豊かな表情は,確かに人の記憶に残りやすい。
がしかし,今のように真面目な顔でおとなしく歩いていても,ノイエはそれなりに人目を引く。
鮮やかな緑の髪,強い瞳にしっかりした眉。
威勢のいい行動を抜きにしても,彼は目立つ。

結局,ノイエはノイエで自覚がないのだった。



シンシアの宿は,西通りの端にあった。
エンドールを東西に貫く大通り。二人はどこからともなく溢れ出てくる人々をよけながら,そして注がれる多くの視線をかわしながら,道を西に進む。


白壁の食器店。
一年前,ノイエはこの壁に寄りかかったきり動けなくなって,座り込んだ。
あの時に見かけた,幸せそうな若い恋人たち。
手を繋ぎ,並んで歩く今の自分たちも,傍から見たら,そう見えるのだろうか。


「・・・なに考えてんだ俺」
「なぁに?」
「え,あ・・・,なんでもない」



道は続く。

柔らかく光る街灯。
それに照らし出される花水木。
昨日ここで,ようやく一粒だけ流せた涙。
スケッチブックの上に舞い降りてきてくれた花びら。


思いっきり泣くことができて。
村の皆が帰ってきてくれて。
そして,二人でこの道を歩くことができるなんて。
そのあまりの幸福。現実感が薄らいでゆく。まるで幸せな幻の中にいるようだった。




「ここかしら?」

シンシアの声に,ノイエははっとなった。
気が付けばすでに,宿屋の正面まできていた。


「あ・・・ここだな。中に入ったら,長老たちがいるだろうから」
「そうね。送ってくれてありがとう」
「おぅ」
「お休みなさい」

繋いでいたシンシアの手が,するりと離れた。
途端,言葉にならない不安がノイエに襲い掛かる。


「あ」



手を掴む。
引き寄せる。
そこまでしてようやく,自分がシンシアを抱きしめようとしていることに気が付いて,ノイエはぎょっとした。


動けなくなった。
手を掴んだままの状態で,ただ,黙っていた。


「どうしたの・・・?」

シンシアはほんの少しだけ,首を傾げた。髪がさらりと揺れた。




・・・好きなんだ。


声に出せない。
たった一言,その一言だけでいいのに。
どうして言えないのだろう。伝えていなかったことを,ずっと後悔していたのに。




やがてシンシアは,蕩けるような笑みを見せると,ノイエに掴まれていないほうの手で彼の頬に触れた。

「大丈夫。夢じゃないわ」


私はちゃんと生きているから。そうささやく,優しい声。

ノイエはようやく,掴んでいた手の力を緩めた。


「・・・・・・そうだよな」
「ええ。明日も,会えるから」
「あぁ」
「お休みなさい」
「お休み,シンシア」


再び,手が離れる。

細い影が,扉の向こうに消えていった。




ノイエはしばらく,宿屋の扉を見つめていた。

自分が何を言おうとしたのかも,シンシアは気が付いていたに違いない。
気が付いているのに,それでもちゃんと,待っていてくれる。


子供の頃,お休みの挨拶はいつも,頬へのキスだった。

シンシアの頬にキスできなくなったのは,いつからだろう。
シンシアが自分の頬にキスしなくなったのは,いつからだろう。


明日こそ,ちゃんと言おう。そして頬にキスしよう。
頬だけじゃない。額にも,まぶたにも。そして,唇にも。



「・・・だから,なに考えてんだ俺」


ノイエは両手で自分の頬をひと叩きし,ぶんぶんと首を振った。
ぶわりと広がってしまった癖っ毛を手櫛で直すと,来た道を足早に戻っていく。

道の両側の花水木は,昨日と同じように春を謳っていた。



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小さな後書き

がんばれ純情青年。君の新しい日々は,今始まったばかり。

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