4.on the rocks




「どう?ど田舎でしょ」



マーニャは軽く肩をすくめながら,後ろのライアンを振り返った。
姉の隣でミネアが,「もう」と眉をひそめた。
ライアンは右の口角を僅かに上げた。


「静かでよい所だ」
「うまいこと言うわねぇ」


野菜畑と家畜小屋。その中に埋もれるようにして点在する家々。
コーミズの夜は早い。皆,朝早くに起きて畑仕事を開始せねばならないからだ。すでにほぼ全ての家の明かりが消えている。
村の東のなだらかな丘はすべて,さとうきび畑。春植えの品種を植える直前なのだろう,耕したばかりの黒々とした地面が広がっていた。


「そう,静かな所。これが,あたしたちの故郷。
 ・・・父さんが眠る村」


マーニャのどこか張り詰めた表情は,遠くから聞こえてきた犬の鳴き声によって,一気に崩れた。








姉妹は墓の前で膝を折り,両手を組んで,目を閉じた。

旅の空でのさまざまな出来事。明日のこと。そしてこれからのこと。報告することは,いくらでもあった。
犬のペスタは,二人の左におとなしくその大きな身体を横たえていた。

二人と一匹から少し離れて後ろに控えていたライアンは,胸に右の拳を添えると,墓に向かってそっと一礼した。




「・・・さて,と」

やがて,マーニャは顔を上げ,ゆっくりと腰を上げた。
自分とよく似た,だがやはり似ていない妹の目を,見た。

「じゃあ,ちょいと飲みに行ってきてもいいかしら?」
「いつもは止めても行っちゃうくせに」

ミネアはふいっと顔を背ける。
何気ないふりを装いながら,寄り添ってきたペスタの背中を繰り返し撫でた。

「こんなときばかり,私に確認取らないでよ」
「・・・そうね」
「私,明日はキメラの翼使って行くから。こっちには戻ってこなくてもいいわ」
「ミネア」
「いいってば」


手の動きが,止まる。


「・・・もう,いいから。私はもう,大丈夫」
「・・・・・・」
「不思議ね。私,あれだけ復讐に凝り固まっていたのに。
 今,父さんに,敵討ちを果たしたことを報告するの,すっかり忘れてしまってた」


ミネアはようやく立ち上がると,姉のほうに向き直った。
おもむろに腰に下げた袋から水晶玉を取り出し,両手で包んだ。


「これを使って,エンドールで辻占して。そしてノイエに出会って。次々に,仲間が増えていって。
 ・・・最初は,何をしてもただ辛い,復讐の旅だったはずなのに。
 今振り返ってみたら,楽しい思い出ばかり,真っ先に浮かんでくるのよ」


私はもう,大丈夫。
再び,ミネアはそう呟いた。

「だから姉さん。ちゃんと自分の幸せのこと,考えて」



今までと違う顔で笑う妹を見て,あぁやはり自分によく似ていると,マーニャは思った。


「・・・そうさせてもらうわ」
「ライアンさん。姉のこと,よろしくお願いします」
「あぁ」


短い返事と共に,ライアンは頷いた。
その落ち着いた声に潜む,揺るぎない自信と力強さを感じ取って,ミネアは安心した。


「・・・とりあえず姉さん,明日二日酔いで戦えないなんていうのだけは,お願いだからやめてね」
「あらぁ言ってくれるじゃない?」
「飲ませ過ぎぬように気をつけよう」
「ライアン,あんたまで・・・」

あぁもう。マーニャはわざとらしくため息をついた後,ぶつかるようにミネアを抱きしめた。
ミネアも,水晶玉を持っていないほうの手をマーニャの背中に回して,力を込める。


「・・・・・・絶対に勝つわよ」
「・・・ええ。負ける気がしない」
「占い師の予感ってやつ?」
「そう。外れるわけないでしょ」


腕を緩めて,お互い顔を見合わせ,笑う。


「今更だけどほんと,よく似てるわねぇ」
「当たり前じゃない。・・・さぁ,軽口はその辺にして。そろそろモンバーバラ行ったら?
 これ以上ライアンさんを待たせたら失礼よ」
「はーいはいはい」

ひらひらと手を振りながら,マーニャは後ろに下がった。
ライアンの隣に並ぶ。差し出された腕を強めに掴む。



「・・・じゃあ,また明日」
「えぇ」


マーニャは必要以上の早口で,一気に呪文を唱えた。
二人は光の矢となって,南の空に消えていった。






足元でペスタが,くぅんと甘えた声を出した。しばらく立ち尽くしていたミネアは,はっと我に返った。
ペスタの頭をそっと撫でてやる。それから,片手で持っていた水晶玉を両手で持ち直す。

昔は,恐ろしいほど冷たかった水晶玉。今は常に,ほんのりと温かい。

占い師は,自分のことは占えない。
だがこの水晶玉は,知らず知らず,その時々の自分の心を映していたように,ミネアは思う。
静かに熱を蓄える,水晶玉。
温かな氷というものがこの世に存在するなら,まさにこのような感覚なのだろう。




「・・・これ以上温かくなったら,融けて水になってしまいそうね」



ミネアは,父の墓標の十字を見た。
それから南の空に目をやる。見上げた先に明るく輝く十字の星座を見つけて,一人,穏やかに笑った。










行きつけだった酒場にマーニャが足を踏み入れた途端,辺りに静かなどよめきが走った。


「お久しぶり」

客達に鮮やかな笑みを一つ送ってから,マーニャは一番奥のカウンターへ向かう。
数人の常連客が思わず立ち上がったが,彼女と共に店に入ってきた男に気が付き,しぶしぶ席についた。
踊り子に連れがいるときは,声をかけない。それがこの街のルール。
もちろん,奪い取るつもりの場合は除く。しかしライアンの,その隙のない動きと,それに相反する確かな存在感を目の当たりにしてしまっては,勝負を挑む気も起こらないらしい。


「・・・ねぇ。なんかさりげなく,周りを牽制してない?」
「さあ,どうだろう」


ライアンは僅かに目を伏せて笑う。


「・・・まぁいいわ。マスター」
「はいよ。久しいねマーニャちゃん。今日はこれだろ?」

何も言わないうちから,目当ての酒の瓶を掲げてみせたマスターに,マーニャは舌を巻く。

「よく分かったわね」
「いい人と二人で飲むんなら,これしかないでしょ」
「な・・・」


あまりの不意打ちに,マーニャは僅かな動揺を隠しきれなかった。


「おやおや,めずらしいものが見れたよ」
「・・・・・・とりあえず,水割りのセット用意してくれる?」
「はいはい」

薄い白髪をひと撫でしてから,マスターは瓶をカウンターに置くと,グラスと氷,そして水を手際よく準備した。

「ありがと。後は自分でやるわ」
「ごゆっくり」


人好きのする笑顔を残し,マスターは遠くのカウンターにいた客と世間話を始めた。
マーニャは二つのグラスを手前に引き寄せ,アイストングを手にすると,ライアンに尋ねた。

「水割りでいい?」
「いや,氷だけでかまわない」
「・・・これ,この前のより濃いんだけど」
「大丈夫だ」
「あたしより先に酔っても知らないわよ」
「それはない」

僅かに眉を上げてから,マーニャは二つのグラスに氷を入れた。
一つを酒で満たす。もう一つは酒を半分ほど注いでから,水で薄める。
酒のみのほうをライアンに差し出した。

「じゃあとりあえず乾杯しましょ」
「何に?」
「そうね・・・そっちで決めて」
「では・・・,明日の勝利に」
「面白くない」
「冗談だ」

ライアンはマーニャと視線を合わせてから,グラスを掲げた。


「・・・決戦の前夜,私と共に杯を傾けてくれるマーニャに」


その予想以上の表情の変化に,ライアンは満足げに笑った。







「・・・ふぅ。やっぱり違うわ。これだけ飲んでも飲み飽きない」
「確かに,うまいな」
「この香りよね。・・・ねぇ,ほんとに酔ってないの?」
「あぁ」

ボトルはほぼ空になっていた。
自分が水割りで飲んだ分はたかが知れている,とマーニャは思う。
その大半を,ライアンがロックで飲んだことになる。

「呆れるほど強いわね・・・」
「ミネア殿と約束したからな」
「あたしが飲み過ぎないように,あんたが多めに飲んでるってわけ」
「そうだ」

ため息を一つついて,マーニャはグラスを揺らした。
中の氷が澄んだ音を立ててぶつかり合い,向きを変えた。
その輝きに,妹の持つ水晶玉の光を重ねる。


「あの子も,強くなったわ」


ライアンは何も答えずに,グラスに残っていた酒を一気に喉に流し込んだ。
マーニャも前を向いたまま,一人呟く。


「ちゃんと自分の幸せを,考えて,か・・・。
 いつからあたしたちのこと,知ってたのかしら。
 ばれてるの,爺さんとトルネコだけだと思ってたんだけど」
「ノイエ殿も,気が付いていたようだったが」
「そうみたいね。・・・そういえばさっき,アリーナとクリフト,ものすごいびっくりしてたわねぇ」

あっけに取られていた二人の顔を思い出して,マーニャは軽く笑った。
その,直後だった。




「マーニャ。これからもずっと,こうして共に酒を飲まないか。
 バトランドに来てほしい」




自分の表情が固まってしまったのが,分かった。

マーニャはすぐに笑みを作ると,わざと鼻で笑ってみせた。



「・・・あたし,氷の魔法は使えないけど?」
「北国だからな。氷は簡単に手に入る。魔法で作った氷を売る氷屋も,そこかしこにある」
「いつでもロックが飲めるって訳ね」
「あぁ。酒好きが多いしな」
「じゃああたしなんかいなくても,飲み友達には事欠かないんじゃない?」
「確かに。だが・・・」



胸を震わす,ライアンの低い声。



「眠りにつく直前まで共に飲んでいたいと思うのは,そなただけだ」





じわじわと込み上げてくる感情を抑えながら,マーニャは,問いを投げかけ続ける。


「国に戻れば,あんたもお偉いさんになるんでしょ。あたしは,踊り子よ。それは変えられない」
「縛り付けるつもりはない。家庭に篭る必要はない」
「踊りも,続けていいってこと?」
「ああ」
「あたしがあんたの知らないところで浮気して,逃げ出したらどうする?」
「それはないな」
「あら,自信たっぷりねぇ。でも」



グラスを置いて,マーニャはライアンの首に,両腕を回した。



「・・・そういうとこ,好きよ」





なんとなく二人の様子を伺っていた周囲の客達は,不自然なほどいっせいに,視線をそらした。



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小さな後書き

彼の言葉はさりげなく,しかし,力強く。

温かな水晶玉。グラスの中の氷。 まったく異なる,しかしよく似た輝きを放つもの。
どちらもゆっくり,心に融けていきます。

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